212 OH!部屋

1/1
2027人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ

212 OH!部屋

「はじけてるな……」  夏山愛生堂ネットニュースで夏山バンドの様子を見ていた帯広の黒沼は笑みをこぼした。そんな彼に織田も画面を覗き込んだ。 「なんですか? 今度はバンド……へえ、小花さんと渡部長がギターで……石原さんがすげ? ドラムか。そして……後ろにいるのは風間か」 「バイオリンだとさ。って、織田。お前はなんか楽器できるのか?」 「自分はトロンボーンです」 「出来んの? マジで」 「はい。そんなにおかしいですか?」  真剣に話す織田を見て黒沼は本気でびっくりしていた。そこに彼女の声がした 「そんな事言う黒沼さんは何の演奏ができるんですか?」 「美咲……お前、俺が何もできない前提で聞いているだろう」 「ウフフフ!フフッフ……」 返事も聞かずにモップを掛けながら行ってしまった彼女に黒沼は口を尖らせていた。 「本当に先輩はなんか楽器できるんですか?」 「お前何気に意地悪だな? さあ、仕事仕事」  夏の帯広はこうして爽やかに一日をスタートさせていた。 「もしもし、こちら夏山愛生堂帯広支店です。お世話になっています。あ? ちょうど良かった! あのさ、間違ってそっちにファックス送っちゃったのよ。うん、ごめん! そのお弁当の注文。悪いけどそれ隠滅しておいて?いつも悪いわね、今度六花亭のお菓子送るから」  そういって事務員は本社への電話を終えた。今度は電話が鳴り事務員が対応した。 「はい、夏山愛生堂です。あ? 本日、所長は出張中でして……はい。所長がしょっちゅう出張で、本当にしゅみましぇん」  今度は事務員が社員に声を掛けていた。 「……エコンのリモコン知らない? やだ!? どうしてテレビの所にあるの……? じゃ、テレビのリモコンは……ええ?スマホの充電器にささってるし?」  今度は女課長が織田に確認していた。 「織田君。得意先に新薬の話をしてくれた?」 「はい、しました」 「で、注文は?」 「まだっすよ」 「何をぐずぐずしているの?他の卸から仕入れちゃうじゃないの」 「だってそれ。まだ発売前っすよ?価格も決まって無いし」 「バカね? そこは『新薬だから』! で押し通せばすべて許されるの! 早く行って来て!」 「はい! わかりました!」  そして女課長は、黒沼の肩をポンと叩いた。 「そして、黒沼君。ピンク先生はどうしたの?」 「……それ絶対本人の前で言わないで下さいよ」  黒沼担当のコスモス歯科の女歯科医は本日が誕生日だったので、黒沼はプレゼントをおねだりされていたのだった。 「確かにあの先生はピンクが好きなんですけど。プレゼントはもう会社に来る前に届けましたよ」 「ずいぶん仕事が早いわね」  そういう女課長に、黒沼はニコと笑った。 「だって。最初に届けた方が印象に残るし。それに夜の飲み会に行かなくて済むって俺の彼女が優しく教えてくれたんですよ」 「その彼女は死んでも離すんじゃないわよ! で?結局何を用意したの?」 「ええと……美咲! おい、あれはなんだっけ!」  部屋の隅で掃除をしていた美咲は黒沼に呼ばれて説明をした。 「大きな声を出さないで下さい。コスモス先生へのプレゼントですか?先生はピンクがお好きということなので、ピンク色のこれですよ」  彼女の手中のスマホの画像にはピンクの花束が映っていた。 「これ以外にも、美味しい食べ物が良いかなって思って。結局黒沼さんと相談してピンクの中華まんを用意したんです。これはもう持っていたんですよね」 「ああ。俺はお前の言う通り朝一番に持って行ったぞ」 そう言って椅子をくるーんと回転させた黒沼に、織田が食いついてきた。 「あのさ、美咲さん、どうして中華まんなの?」 「悩んだんですけど。ピンク先生は独身だし、忙しくてお料理の時間もないし。それにケーキとかは他の方から頂くと思ったんです。だからいつでもレンジでチンして食べられる中華まんがいいかなって黒沼さんと話したんです、ね?」 「ああ。あの先生が料理するわけがないし。どうせ今夜はホストとオールナイトだしな」 「きっとピンクのドンペリを開けたりするのかな?」 「明日は休診日じゃないのにな?アハッハハ」  そう仲良く話す二人がラブラブなのが織田には気になったが、彼は二人に向かった。 「……あの。美咲さん。黒沼先輩。俺、得意先に頼まれた事があるんですけど。相談に乗ってもらえませんか?」  日頃弱音を吐かない織田のこの相談に、美咲と黒沼は目を合わせてからうんと頷いた。 「で。なんだっつうの?」 「俺の得意先の大平原クリニックの先生からお願いされたんですけど……」 移動中の車の中で、織田は黒沼に話をした。 「先生の家には専門学校に通う娘さんがいて。その娘さんの部屋の片付けを頼まれたんです」 「片付け?……いいから話を続けろ」  ヒマワリの花が咲く一本道のドライブ中に織田は先輩の黒沼に胸の思いを打ち明けた。これを黙って聞いていた黒沼はこの日の仕事を終え、彼女の自宅にやってきた。 「こんばんは! 黒沼です」 「おお? ちょうど良かった!頂き物のウイスキーがあるんだよ」  美咲の家の美咲父は、飲み仲間の黒沼を喜んで家に上げた。そして今夜も彼を囲んで夕食になっていた。 「して。黒沼君。その片付けられない女はどういう女なんだい」  全くの部外者の美咲父は目を輝かせて彼に酒を注いだ。 「美人ですよ?スタイルもいいし……あれ、美咲どうした?」  父と彼が嬉しそうに語る話に、少々イラっした美咲はテーブルにドン! と小皿を置いた。 「……別に? 何でもないですよ? これ、塩辛です」  そう言う美咲を隣に座らせた彼は密かに彼女の手を握った。 「誤解すんなよ? まあ、要するに部屋の掃除を頼まれたんですよ」  これまでクリニックの院長は、お掃除の専門家に娘の部屋の清掃を頼んでいたが、あまり期間が空いていないのに、すぐに部屋が散らかった事が世間に知れる事を恐れて夏山愛生堂で口の堅そうな織田に頼んだのだろうと話した。 「ほら、美咲。これはその汚部屋だ」 「……これ……女の子の部屋なんですか?」  黒沼のスマホの画像のあまりの散らかっている様子に美咲は口に手を押さえた。そんな時彼はどざくさに彼女の膝に手を置き、彼女にこれを叩かれた。 「もう!でも、よく見せて……?これは……片付けるだけではまた同じ事の繰り返しだわ」  そういって立ちあがった美咲はブツブツ言いながら部屋を出て行った。 そんな彼女を追いたかった黒沼は、美咲父に捕まりこの世は彼女に近づけずにいつもの民泊の部屋に止めてもらった。  翌朝。美咲に起こされた黒沼は、河合家の露店風呂に入り目を覚ますと車に乗せてあった服に来着替え美咲一家と朝食を食べ彼女を載せて会社に向かう車中で、美咲はあの汚部屋を下見させて欲しいと言った。 「いいけど。家具とかそういうのを買うのか?」 「いや。そういうレベルじゃないんで。家族の方から詳しく話を聞きたいんです」 「ふーーん」  運転しながら黒沼は本日の美咲をチラと見ていた。真剣にそう話す彼女の横顔が可愛らしかったので、思わずその手を取った。 「……織田の得意先だから、あいつと行けばいいんだけど……。なんかヤダな」 「何がですか?お仕事ですよ」 「お前はそういうけどさ……。あのな、美咲。いつでも俺の事を一番に思っていてくれよ」 「フフッフ。なんですか。それ?」  冗談だと思っている彼女が憎くらしい黒沼は彼女の手をぎゅうと握りながら黄色い花の作一本道を進んで行った。 こ うして美咲は織田に頼んでお掃除する医者の家にやってきた。織田は多忙であったので彼女を残し、他の得意先へ回って行った。   そして大平原クリニックの夫人とよーく打ち合わせをした美咲は、自力で夏山愛生堂に戻って来て、何やら調べ物をしてた。そして週末。作戦は実行された。 「本日は宜しくお願いします」 「こちらこそ。夫人は外でお待ちくださいね。さ。始めますよ」  黒沼と織田にマスクを着けさせた美咲はそう言って大平原夫婦を部屋から追い出し、掃除を始めた。 「よーし。まずはね。黒沼さんはこのダンボールに服を入れて。織田さんは、このダンボールにマンガ、こっちにはゲーム関係ね」 「この前一度掃除したって聞いてから、汚れはあんまりないんだな」 「手を動かして!今日は忙しいのよ」  大量の荷物をダンボールに分ける美咲に織田はこれをどうするのか訊ねた。 「お嬢様は美魔さんっていうんだけど。見ての通り、元に戻すのが面倒臭いんだと思うんだ」 「確かに。引き出しの中はすっかすかだもんな」  よれよれのスカートを拾った黒沼は、まだ見えない床に呆れていた。 「それなのに物が多すぎなんですよ。美魔さんはこれを管理しきれないんです」 「うわ。またお金がでてきた。それにクレジットカードだ」 「……貴重品の管理も無頓着で御家族もお困りなんです……でも、もう大丈夫ですから」  なんか妙にルンルンで掃除する美咲に、黒沼は眉をひそめた。 「美咲。お前何をたくらんでいるんだよ」 「たくらんでいるわけじゃないけど。ここまですごいと圧巻だな、て。あ! ここがベッドだったんですね。そうか?こうやって寝てるのかな……どう思う!? 黒沼さん」 「いいから早く済ませるぞ!織田、それ運べ」 「はいはい」  やがて床がでてきた十畳の部屋には、最終的にはベッドと家具だけになった。 「さて。今度はこのベッドを引っ越します」 「引っ越すって? に」 「来る途中にあったマンションです。美魔さんは今後そこに住んでもらうんですよ。はい、やって!」  ベッドを解体させられた二人は、指示通りにマンションにやってきた。美咲が用意した部屋にはカーテンしかない殺風景な部屋だった。 「ここにベッドを置いて完成です」 「お前、片付けるって言っても、これじゃ何もないじゃないか?」 「服とか、さっきのマンガとか。ゲームも化粧品も大量でしたよ」 「うん。でも要らないの、あ、奥様」 「どうもお世話になりました……」  夫人はペットボトルのお茶を三人に差し出した。 「座る椅子もございませんが、それで美咲さん、これから……私はどうすればよいのでしょうか?」 「そうだよ。着る物もないじゃねえか」 「ではお二人に説明します。まずですね……」 専門学校に通うわがまま美魔は現在彼氏と旅行中。彼女には両親も手を焼いており夫人はすっかり娘の世話に疲労困憊であると話した。 「ですので、まずは家を出てもらいます。でもこのマンションは大平原さんの不動産なんですけど。ええとまず服!これは全部レンタルになります」 「「レンタル?」」 美咲は黒沼と織田にスマホをさっと見せた。 「そういうサービスを利用します。このように一週間の服がコーディネートされて送られてきます。美魔さんはこれを着て洗わずに返せばいいんです」 「マジで?」 「そです。玄関横の宅配ボックスに届きます。服はこれでいいでしょう。後は化粧品。これはここでメイクはしません」 「じゃ、あれどうすんですか?」 大量にあったメイク道具を箱に入れた係りの織田は、化粧品を最後まで使わずに、新しい品に手を出している美魔にイラとしていたので、これをどうするのか非常に気になっていたので大きな声を出してしまった。 「このマンションに入っている美容室にお願いしました。髪もセットしてくれます」 「あのさ、美容室が休みの日は?」 「美容師さんはこのマンションにお住まいです。それに美容師さんのお母様も協力してくれますので、365日対応です。ええと次はマンガとゲーム……」  美咲はマンションに入っているマンガ喫茶に美魔のコーナーを設けてもらったと話した。 「じゃあさ。美魔さんは何にもしないって事?」 「そうなりますね。御風呂もこの近くのスーパー銭湯でお願いしますし。お金関係も全部スマホで決済していただきましょう。カードも紛失するようなので」 下着や靴やバッグと指輪などの宝飾品だけは自分で管理させるという美魔に夫人は、はあと肩を落とした。 「本当に情けない話です。でも、本人も片付けているつもりがああなってしま うんですよ」  この事ですっかりお疲れの夫人に織田は優しく向かった。 「奥様もお疲れさまでした。俺、送りますよ。先輩、先に行ってます」  そう言って織田は夫人を連れて先に出て行った。 「しっかしよ。美魔さんってこの部屋でどうすんだ?」 「まずはね。帰って来るでしょう? 服を脱いでそのジャージ姿になります。そしてスーパー銭湯に行って、帰りにマンガ喫茶に行って、ゲームもしたり食事もできます。そうして戻って来て寝るんです」 「朝は服を着て、美容室に行ってメイクか。究極だな」 「洗濯機は乾燥機付きだから。下着は洗ってもらいましょう。予算は掛かりますけど、奥様はあんなにやつれているんだもの。気の毒よ」  そういいながら二人はマンションを出て来た。 「なんかこう、この解決でいいのかなって思うんだけど」 「本人がどう思うかですよね……。これを機に自分で掃除をする気持ちになればいいけど。それに怒って怒鳴りこんでくるかもしれないな」 「お前どうすんだよ」 「なんとかなるっしょ! さ、戻ろう? 黒沼さん」  こうしてこの日、夏山三戦士は汚部屋を後にして帰路に着いた。  そして後日。夫人が夏山愛生堂に挨拶にやってきた。 「あ。美咲さん、その節はありがとうございました」 「いいえ。その後、いかかですか?」 「最初、娘は驚いていたんですが、今はすっかり慣れまして。それに美容室の方や周囲の人に少し影響を受けたようで。身の回りの事を少しずつやるようになりました」 「よかったですね! 奥様もどうかゆっくりして下さい」 「……ありがとう美咲さん。黒沼さんも織田さんも」  その時、美咲に電話が入ったので黒沼が代わりに話をしながら玄関まで送って行った。 「ところで黒沼君。美咲さんって彼氏はいないのかしら。彼女、とっても素敵だからぜひご紹介したい独身のドクターがいるんだけど」 「おっとそれはお断りです。自分の彼女なので」 「まあ? そうなの」 「そです。諦めてください」  そこへ電話を終えた彼女が見送りにやってきた。 「奥様。お気を付けて」  黒沼の横にすっと立っていた美咲に夫人は笑みを見せた。 「ありがとうね、美咲さん。では失礼しました」  こうして夫人は車で去って行った。 「はあ、よかったな、怒られなくて」 「だって物は捨てていないし。いつでも元に戻せるから平気ですよ」 「あのな。美咲。こっち見ろ」 「?」 彼 がじーーと彼女を見つめるので、美咲は恥ずかしくて頬を染めた。 「な、なしたんですか?」 「……俺の彼女は可愛いなって思ってさ……行くか」  そう言って長身の彼は彼女を腕に抱き、会社に向かって歩きだした。 「そうだ、あのピンク先生から、あの中華まん美味かったって」 「でしょう? あれ冷凍してまだありますよ」  本当はドキドキしていたが、美咲は平気な振りして応えた。 「俺も食べてみたい。美咲んちに行くからな」 「はいはい」 「あーあ。今日も仕事か……。ずっとお前といたいのにな……」 「フフフ」  仲良く歩く二人の上には大きな広い空が広がっていた。 完
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!