213 やっぱり 先生

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213 やっぱり 先生

「どうしてテストでこんな点数しか取れないんだ? では京極君。アルファベッドを言ってごらん」 「はい。エ、ビー、シー……」  夜の教室で彼は声を出して行った。 「ジェ、ケイ、エォ、エォ、エォ。オー、ピー」 「待って?」 「え? いい感じだったじゃないですか」  すると教師は腑に落ちない顔で彼の横に立った。 「いいから、もう一度、J、Kからだ」  京極はなんだよと言う顔で始めた。 「ジェ、ケイ、エォ、エォ、エォ!」 「……待った!」  教師は彼を真顔で見た。 「最後の三つは全部同じじゃないか」 「先生!」  しかしここで彼女は手を挙げた。 「先生。私はちゃんと聞えました」 「なんと小花君? 君はこの発音で良いというのか」 「はい。かなりネイティブな発音ですわ」  思わぬ彼女の援護射撃に、京極は机の中でガッツポーズを作った。 「仕方ない。では次に行くぞ」  こんな感じでテストの答え合わせの授業が進んで行った。 「ええと。次の社会の問い。北海道の縄文時代の遺跡を問う問題だが、小花君だけ間違えていたね」 「皆さんはできたんですか?」 「おう。お前『美々(びび)貝塚』知らねえの」 「美々?」 「そうか。小花君は道外出身だったね。ここでは小学生の頃遠足などで観に行くので一般的なんだよ」  ドヤ顔の世界で小花はまっすぐ先生に食いついた。 「私は、遺跡は登呂遺跡しか存じませんの。今度行ってみますわ。ええと美々ね」 「無理して行かなくてもいいぞ?……ええと次は国語の問題だが。尊敬する人とその理由を書くサービス問題があったが、京極君の答えが非常に良くてな。あんまり立派だったので、普通高校のクラスに人にもこれを見せたいのと校長先生がいっているが、どうする?」 「それでよければどうぞ。って俺、何を書きましたっけ?」 「ではこれを小花君、読んでくれ」 「はい」 小花は立ち上がった。 『英雄 シャクシャイン。僕は北海道の人の暮らしを守るために和人と戦った英雄シャクシャインを尊敬しています……』  小花の淡々とした朗読を生徒達は静かに聞いていた。 『……松前藩に不当に扱われていたをされた事に腹を立てた彼は、仲間の暮らしを守るために戦いを挑みました。和人は鉄砲とか結構すごい武器を持っていたのにシャクシャイン達は弓矢だけで戦っていました。私はこの勇気に感動しました。そして和人は強い彼を倒すために和解をする振りをして宴会を開き彼に酒を飲せました。その時に襲われたシャクシャインは殺されてしましましたが、これは卑怯で薄汚い大人のやり方で断じて許すわけには行きません……』  うんうんと生徒達は頷いていた。 「『……どの時代も金や権力が支配するのが世の中ですが、私はシャクシャインのように正義を貫く大人になります』。以上ですわ」  生徒達はこれに拍手を送っていた。 「くー!シャクシャイン、かっけー」 「そうですね、京極君の言う通り立派な人ですわ。私もファンになりました」  こうして国語のテスト回答が済んだ時、チャイムが鳴って授業は終わった。 「ああーあ。疲れた。ふわぁ」 「鈴音ちゃんのお世話で睡眠不足ですか?」 「まあな。でも由香里はもっと大変だし」  そういって二人は玄関までの渡り廊下を歩いていた。 「最近はどうだ?先生と」 「どうと言われましても。相変わらずですわ」 「どっか旅行とか行かねえのか?」 「皆で海に行く約束ですが、なかなか実現しませんわ」 「仕事を持っていると忙しいもんな」  そんな京極が本当にお疲れなので、小花は気になった。 「今の現場はどちらなの?」 「里塚だよ」 「まあ?里塚ね。あそこは霊園と温泉があるところね。私は温泉に入ったことがあるわ。身体がピリピリしたんですわ」 「……お前良く入ったな。俺さ、霊園の近くだから何か怖くて入れなかったぞ。まあ、今は閉店したけど」 「残念ですね。ではこれで」  そういって今夜の小花は走って自宅を目指していた。  大通りからススキノを目指して走って行く。夏の夜の繁華街では平日でも人がたくさん出賑やかだ。  居酒屋から出てくる学生達は二次会の店をどうするか路中で話し込んでいる。どこかのスナックからはカラオケの歌が聞えてくる。男女の大人カップルは肩を寄せ合い素敵なビルに入って行った。  そんな街を一人汗だくで彼女は信号待ちをしていた。 「すみません。ススキノグリーンビルってどこですか?」  道外からやって来た雰囲気のサラリーマン風の男の問いに小花は首を傾げた。 「グリーンビルはたくさんあるんですよ。スマホでお店をよーく検索なさってください」  そういってまた走りだしたが、多くの人波で今度はウォーキングになった。 「すみません。ちょっと聞きたんですけど。南区の定山渓温泉ってどこですか?」  こんな運動しているのですっかり地元の人にしかみえない彼女は声を掛けられていた。 「確かに南区は札幌市内ですけど。ここから一時間以上掛かりますわ。今夜の宿泊のホテルでしたらタクシーはおやめになって定鉄バスの河童ライナーの時間にお帰りになることを進めますわ」  そう言って彼女は早歩きを始めた。  楽しそうに過ごす人達の中を避けるようにやってきた彼女はセイコーマートを過ぎた頃、一緒に流れて来た創成川に沿う様に左に曲がった。  郵便局を過ぎ、たんだん店が少なくなってきた道を中島公園目指して走って行った。そして中島公園を突きぬけようと園内のコースに入った時、ばったり鉄平に逢った。 「おっす!」 「はい!はあ、はあ」  二人は何も言わずに一緒に園内のコースを走っていた。その時、園内からキャーー!と声が聞えた。  二人は何もいわずにその声のする方へ掛けて行った。 「止めてよ!いい加減にして」 「うるせえ!」  男女が揉み合う喧嘩の様子に小花は110番をし、鉄平は止めろ!と声を掛けた。 「てめぇ。口出すんじゃねえ」  明らかに酔っている男は、女性の服を掴んでいた。 「早く!こっちに」  その女性を呼び寄せた小花と鉄平に男は怒って向かって来た。 「逃げますわ。さあ」 「ほら、走って」 「は、はい」  女性の背を押しこの場を離れた二人はすぐにパトカーのサイレンを聞いた。 「こっちです!こっち」 「通報された方ですか?暴れているのは……あいつか?おい、行くぞ」  小花達を見た警官はまず男を取り押さえに向かった。 「大丈夫ですか?」 「けがは無いですか?」 「はい。あの、彼はどうなりますか。ただの喧嘩なんですよ」 「……喧嘩にしては度が過ぎますわ」 「この後は警察と相談して下さい。あ、戻ってきた」  こうして警察官と事情を話した鉄平と小花は、歩いて戻ってきた。 「ただの喧嘩って。あれは無いよな」 「そう思います。女の人にする事じゃないわ」  同じ年頃の女の子が彼に気を使っている様子を彼女は気にしていた。 「デートDVって奴なのかな。今学校でうるさいんだよ」 「DVって暴力ですか?」  前から車が来たので長身の鉄平は彼女を道の隅にかばいながら話した。 「それだけでなくてさ。例えば彼女にバイトを辞めさせるとか、SNSの返事が遅いってキレたり行動を制限したり、束縛しすぎもそれなんだって」 「好きな相手だから、無理をしちゃうのかな」 「小花っちは大丈夫か?まあ、姫野さんは大人だけど」  夏山愛生堂で姫野と逢ったことがある鉄平は、彼を一応認めていた。 「姫野さんは私が洞爺湖マラソンに出た時には優勝の為に家族ぐるみで応援して下さいましたし……。黙って東京に遊びに行った時も怒らないで迎えに来てくれたわ」 「寛大だな……俺には真似できねえな……」  女子に告白されるが放置しているせいで振られ続けている鉄平は、姫野の渾身的な愛に感心していた。 「いつもムスとしてるけど、気持ちは優しいのよ、あ。拳悟さんだわ」  夜の庭で縄跳びをしていたい彼は一緒に帰って来た二人を見て水をごくと飲んだ。 「おかえり。さっきのサイレンは兄貴達か?」 「そうですわ」 「酔っ払いの喧嘩だし」 「そうっか。小花っち。母さんが作った料理を持って行けってさ」 「まあ、久美さんの?何かしら」 「……コロッケ」 「久美さんの?楽しみですわ」 「今持ってくるから」  鉄平と拳悟の母久美は、小花のコロッケに対抗しようと試作を重ねていたので、息子達はもう見るのが嫌になっていた。 「これだってさ」 「こんなたくさん?ありがとうございました!お休みなさい」  嬉しそうにコロッケを持ちかえった彼女に、そんなに美味しくない事を知っていた二人は黙って手を振って見送った。  翌朝。朝のジョギングは拳悟が出て来た。 「おはようございます。コロッケごちそうさまでした」 「不味かったろ」 「……アレンジしましたわ」 「どうやって」  スローに走りながら彼女は彼に応えた。 「以前パスタ用に作って置いたトマトソースを掛けたの。蟹が入っているソースでしたので、美味しかったわ」 「それ、まだあるか」 「ありますよ。食べる?」 「食べる!食べる!」  そういって嬉しそうに走る拳悟に彼女も微笑んだ。その時、前方に女の人が何かを探していた。 「待って、拳悟さん。あの夕べの方よ」 「あ?昨日の。私この辺りにスマホを落としたみたいで」 「鳴らして探します?」 「お願いします」  すると音が鳴ったので、彼女は草むらの中からこれを探しだした。 「良かった!彼に怒られる所だった」 「……ではお気を付けて」  この帰り道小花は拳悟に彼女が夕べの女の子だと説明した。でも今朝は明るい雰囲気だったので、小花は気を取り直して家に戻った。  そんな二日後。小花のスマホに警察から連絡が入った。  これは知り合いの及川刑事であったので、仕事を早めに終えた彼女は東署に出向いた。 「来ていただいて恐縮です」 「彼女に何かあったのですか?」 「今は病院です。彼女のスマホに小花さんの番号があったので連絡したんです」  彼女は大けがをして入院中だと及川は説明した。 「そうですか……」 「我々は相手の男を探しているんですが、何か御存じないですか」 「彼女さんに逢った時、男性用の作業着を羽織っていました。胸のネームに○○工業って入っていましたわ」 「男の勤務先かもしれませんね。あと、二人が揉み合っていた時の様子を利かせて欲しいんです」  こうして情報提供した彼女は、東署を後にした。  ……デートDVか……。  小花の周辺の男性はみな優しかった。  ……お父様だってお優しかったし……お母様に意地悪したところなんか見た事無いもの……。    そんな気持ちが晴れないまま、彼女は一人帰路に着いた。その数日後。 及川から男の逮捕の連絡を受けた小花は、夜の学校で授業を受けていた。 「ではこれは何でできていますか?そこ!小花君」 「パラジクロロベンゼン」 「へ。では新しい部屋で気分が悪くなる接着で使われる化学物質は」 「ホルムアルデヒロ」 「それを使った部屋で目がチカチカ」 「シックハウス症候群」  気分が上の空の彼女のパーフェクトの答えに、教室内はシーンとしていた。 そんな小花はふと教師と目が合った。 「先生。家庭科の授業っぽい質問をしたいんです。デートDVてどうして起きるんですか?」 「まず聞くが君は被害者ではないね?」 「はい」 「そうだね。まず加害者の特徴は、相手を自分の物だと思っているんだ。だから言う事を聞かせたい、自分だけを見ていて欲しいと思って、そういう行動にでてしまうようだね」 「自分の物……」 「何を言ってんだ。そんなわけねえだろう。相手にも気持ちがあるんだから、そこは尊重しねえとな」  妻帯者の京極の力強い言葉に、小花はうんと頷いた。 「君達は若いからね、もしそういうのを見かけたら、そういう相談の窓口に悩みを話すといいね。今日はこれまでだ」  こうして家庭科の授業は終わった。 「あのさ。お前本当に何かあったわけじゃねえんだろう」 「うん。実は……」  玄関までの渡り廊下を歩いていた小花は中島公園デートDV目撃事件の話をした。 「……ひでぇな。でも女の方は男をかばっていたのか……。好きなのに可哀想だな」 「うん。私も複雑なの」  ズーンと落ち込んでいる小花に京極はふうと溜息を付いた。 「気にするな」 「……でも」 「良―いから気にすんな!お前がくよくよしても何も変わらないぜ」 「そうだけど」 「色んな人がいて、みんな考えが違うんだ。だから常識を押しつけても通用しない人もいるから法律を決めて守るようにしてるんだって、先生も偉そうに話してたろう?」 「確かにそうだけど」 「だからシャクシャインはすごいんだ」 「ここでシャクシャインですか?」 「ああ。シャクシャインだ。正義の味方だぜ」  アハハハと笑う京極と彼女は玄関の外に出た。 「ねえ!星がキレイだわ」  やっと笑顔になった小花に、京極もニコと笑った。 「そうやって上だけ見とけ!下向くな!俺達は上がるしかねえんだぞ」  元気な京極に小花はしっと指を立てた。 「そんなに大きな声を出さないで!?」 「あ。あれは先生じゃねえか」 「あれ?今夜は約束してないのに……」  そう言って彼女はスマホを取り出した。 「あ、手を振ってるし。やっぱり先生だよ」 「あらら?SNSが着てたわ。迎えに来たって」 「ほら、帰れ!早く!そして寝ろ!」  背中を押された小花は、愛しい彼の愛車へ掛けて行った。 ……お前には、辛い思いをしてほしくないな。  京極はバイクにまたがってエンジンを掛けた。夏の大通公園。宵の札幌の国道36号線を彼は走る。大好きな同級生に笑みを見せた彼の思いは、夜の風に溶けている。 完
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