232 夜の所長会議

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232 夜の所長会議

「わが社には?」  愛があるーと乾杯でお忍びの宴会が始まった。 「おい。桐生。お前男と付き合っているって本当か」 「何を言っているんですか? 石原さん。あれは間違っただけですよ」 「そうなのか? 俺はお前が籍を入れたと聞いたぞ?」 「勘弁してくださいよ、渡さん……」  札幌のススキノの繁華街。元夏山の社員がママをしているスナックのカウンターに桐生は肘を付いた。 「自分はまだ独身ですよ。っていうか、いつか現れる運命の女性を待っているだけで」 「お前は昔から変わらないな……」 「ああ。桐生は幸せ者よ」  そういって妻帯者の石原と渡はグラスの酒を煽った。札幌の営業所の所長達が情報交換と懇親のためにこうしてたまに集まって飲み会をしているのだった。 「それで、札幌医師会の今度の役員選挙って、どんな感じなんですか」 「桐生よ。俺の聞いた話だと、各派閥から立候補させるつもりなんだか、その一人に絞る選考でもめているらしいぞ」  渡の話に一同はじっと耳を済ませていたが、桐生は続けた。 「自分は協力を求められたんですけど、何も出来ないですよね?」 「ああ。断れ! ライバル医師の足を引っ張るような悪評流しとか、点数稼ぎの接待に付き合う行為は出来ない。我々は見守るだけだ」 「そうだ。『沈黙は金なり』。夏山愛生堂は常に中立だからな」  先輩の厚別所長の鳩村に言われた桐生は、はいはいとビールを飲んだ。  すると西営業所の源田所長が自分の担当エリアの得意先のクリニックの話をした。 「あの先生、今は病気で休診しているって世間には言っているんだが、実際はススキノのバカラ賭博で逮捕されて今は留置場なんだよ」 「留置場って。保釈金を支払えば出られるだろう?」 「奥さんが怒っているんだよ。それに留置場に入っている今のうちに子供を連れて家を出る支度をしているよ」 「何もかもひどいな……」  痔を患った時、ガンだと思ってしくしく泣いてくれた妻を持つ石原は、この話しに胸が痛んだ。 「あの先生が悪いんだがな。留置場から出てきたらクリニックをまた始めるそうだ。元々ギャンブルが好きなだけで、腕の立つ医者だしな」  そんな情報交換をしながら所長達の酒は進んで行った。 「姫野の担当の整形外科が介護施設も始めて手広く経営しているんだけど、あんまりヤブ医者なんでよ。俺、評判を聞こうと思って患者さんに、『あそこの病院はどんな感じですか』って聞いたんだよ。そしたらその爺さんさ。『あそこの医者が得意なのは施術より、算術だ』って!」  石原の話に一同はどっと沸いた。 「反対にうちの総合病院は凄いです。イケメンの整形外科医がいる日は道路が渋滞するんでガードマンが立っているんですよ」 「そんなにイケメンか?」 「この顔ですよ」  白石営業所の巽がみせたスマホの画面を見て渡は眉間にしわを寄せた。 「なんだ?これは……チャウチャウ犬見たいな顔で……不細工が……けしからん!」 「渡。そんなに怒るなよ、っていうか、なんでそんなにお前が怒るんだ?ハハハ」  真面目に薬を届けている渡はこんな男にそんな動機で病院に通っている女子が許せなくてプンプン怒っていたが、そこに西営業所の源田が割って来た。 「ところで石原さん。小花さんはお元気ですか?先日は、うちの営業所に大きな穴が開いた時に、助けに来てくれたんですよ」 「ああ。そんな事もあったな。お姉ちゃんは元気だせ、ほれ」  そういって石原は、夏山バンドの写真を見せた。 「卸センターのフェスで、俺達バンドを組んだのさ。な、渡」 「ああ。伝説になったな。俺達」  へえと見ていた源田を押しのけて、白石営業所の巽が石原のスマホを覗き込んだ。 「本当だ。でも私もすごいお宝画像を持っていますよ。これ。小花さんのバスケのユニフォーム姿」 「今すぐ俺にこれを送信しろ!」 興奮する渡は、巽を詰った。 「そうだ? 巽! お前ダメじゃないか? 白石の事務員はお嬢をいじめたそうじゃないか! お前は所長のくせに何をしておったんだ!俺が倍返しに」 「そんなに青筋立てて怒るなよ。うちの事務員は気が強いんだ。でもな。小花さんはあんなキツイ彼女達にも優しく接してくれてさ。今では仲良くしてくれているし、あいつらも最近じゃ、仏様のように優しくなったんだよ」 「仏様のように? そ、そうか。ふ、まったくお嬢は……」  小花の活躍に渡は嬉しそうに酒を飲んでいた。そんな笑みは桐生にも飛び火した。 「皆さんお忘れですか? 彼女は僕のいる豊平にも来てくれたんですよ!」 「それは、あれだろう。水道爆発だろう。桐生に逢いに行ってわけじゃねえぞ」 「そうだ! 勘違いも甚だしいぞ」 「で、でもですね。僕にご機嫌いかがですか、って」  そんな桐生を石原と渡はバッサリと言い放った。 「桐生はあれだな。水商売の女としか付き合ってないから、よくわかんねえのかもしれねねえな」 「ああ。いいか。桐生、お嬢のその言葉はただの挨拶だ。お前の悲しい追いこみだ」 「マジかよ……くそ」  カウンターで頭を抱えている桐生に巽はそっと寄り添った。 「まあ、そんな気持になるのも仕方ないさ。ん。どうしたんですか鳩村さん」  先ほどから黙って聞いていたが厚別営業所の鳩村は、すっと顔を上げた。 「うちにも小花さん。来てくれないかなと思っていまして。みなさんどうやって彼女にきてもらったんですか?」  西も豊平も白石もぜんぶ清掃員の補充であったので、鳩村もなるほどと頷いていた。 「しかしですね。うちの清掃員も事情があって休む予定なので、本社に要望を出しているんですよ?」  この話に石原はグラスを揺らした。 「それはあれだ、秘書の野口が握りつぶしているんだ。お姉ちゃんが忙しいから」 「そんな事をするんですか?」 「ああ。あいつならやりかねないぞ。それにお嬢は本当にお忙しいのだ」  渡は最近の彼女の活動をすらすらと報告した。 「聞いただけで疲れて来た……しかし、そんなに休暇ってあるんですか」 「よくぞ聞いてくれた桐生よ。お前、ボランティア休暇って知っているか」 「はい。これでも所長ですので」 「あれは人にあげることができるんだ。俺は……俺はこの休暇を、全てお嬢に差し上げたんだ」  目を伏せた渡を一堂が見つめた。 「渡さんの? いいんですか、そんな事をして」 「ああ。どうせ俺は休まない。それに俺の休暇でお嬢が気分良く善行を行ってくれるなら、こんな幸せな事は無いさ……」  この話を聞いていたスナックのママが声を張った。 「皆さん! 渡さんに拍手!」 「止せ! バカめ」  顔を真っ赤にした渡は恥ずかしそうに酒を飲んだ。 「それにしても。最近、うちの社長の評判いいですよね」 「巽もか? 俺も色んな人に一度会ってみたいと言われるんだ」 「まあな。最近は一生懸命やっているもんな、渡よ」 「ああ。いつもにこにこしているので、会社が明るいぞ」  本社の二人の話に、源田も頷いた。 「急に社長になった時はどうなる事かと思いましたが、あのお人柄なのでどこでも誰とでも仲良くされるようですね」 「僕もそう聞いています。それにあれですよね。女子ゴルフの星野菜々子さんと交際していしているんでしょう」 「桐生はそういう話しは早いな。そうみたいだな。すっとしてカッコいい女だぞ」 「止せ! 石原。桐生が興味を持つと面倒だ」 「社長の恋人はさすがに無理ですよ?へえ……いいな」  すると今度は小花と姫野の恋の話になって行った。 「では小花さんは、ご両親を亡くして一人で働きながら定時制の学校に通っているんですか」 「そうだ……同居していたお婆さんは、今施設にいるそうだ」 「そんな苦労を見せずに……うちの事務員のシゴキに耐えていたなんて」 「私も知りませんでした。いつも笑顔でいるのに、そんな悲しい身の上なんて……」  しんみりしている中を、桐生だけはのんきにつまみを食べていた。 「それでどうして姫野は彼女と結婚しないんですか?」 「あのな? お前も見たと思うが、お姉ちゃんは一つの事で手いっぱいなんだ。今は掃除の仕事と定時制の学校でやっとなんだ。姫野はそれを分かっているから、彼女が卒業するまで交際を控えているんだよ」 「悔しいが……姫野は大した奴だ」 「ああ。憎らしいがな」 「本当に頭に来るけどな」 「顔を見るのも嫌だけどな」  その時、スナックの扉の向うで騒ぐ声がした。 ……お願い! 小花さん! ……ダメですわ! 社長。西條さんも止めてください。 ……ほら、社長。困らせちゃ駄目ですよ。 「……この声は」 「お嬢か? 俺が行く!」 渡がドアを開けるとそこには慎也と西條と、清掃員姿の小花がいた。 「渡さん?」 「お嬢に社長? 秘書の西條か……ここで何を」 「私はお掃除ですわ」 「俺は接待」 「自分はお供です。さあ、社長。我儘言わないで帰りましょう」  そういって腕を掴んだ西條を振りほどいた慎也は、小花が持っていたホウキを掴んだ。 「じゃあさ、俺が掃除をして早く終えるから。そしたら一軒だけ付き合って!」 「ダメですわ。私はワールドに頼まれて、今夜はここのビルのお掃除なんです」  この悶着に渡が間に入った。 「社長! お嬢を困らせないで下さい。西條、社長をこのスナックにほおり込め! それ」  こうして渡は小花に西條を付け、代わりに慎也を預かった。札幌営業所の所長の勢ぞろいに慎也は目を見張った。 「何だよ? このメンバー。みんなして俺の悪口言ってたろ」 「言ってません」 そんな桐生に慎也は片眉を上げた。 「桐生か。お前、男と籍を入れたそうじゃないか? どうやったんだよ」 「そんなわけないじゃないですか」  誤解している慎也に一同はどっと笑ったが、渡は慎也に酒を勧めた。 「それよりも社長。自分達は、社長を褒めていた所です。この渡、決して嘘は申しません」 「本当かい?」 「俺達部下を信用して下さいよ。ほら、乾杯するぞ」  石原の声に巽が立った。 「では私が。夏山愛生堂には?」  愛があるー!と彼らはグラスを掲げ、また飲み始めた。 「ところで。一体何を揉めていたんですか」 巽の問いに慎也は答えた。 「ああ。俺さ。接待で飲んでこのビルと出ようとしたらさ、エレベーターで小花さんに逢ったんだよ。彼女、急にこのビルの掃除を頼まれたみたいなんだけど、もうすぐ終わるなら一緒に飲もうって話しをしていたんだ」 「そうか。でもお姉ちゃんは仕事中だもんな」  こうして所長達が慎也のお守をしている時、小花は西條と掃除をしていた。 「西條さん。ここもモップを掛けて」 「……掛けたよ」 「ダメよ。汚れが残っているわ」  ゴミ集めをしている彼女に注意された西條は、面倒臭そうに掃除をした。 「はい、お疲れさまでした! これでお終いよ」 「やった……これで社長と飲みに行ってくれますね」 やれやれの西條に小花は額の汗を拭った。 「今着替えて来ますけど、私は未成年ですよ? お酒は無理ですわ」 「いいんです! 横に座っていれば」  そういって二人は掃除道具を持って小花の着替のある事務室にやって来た。部屋の外で待っていた西條は出て来た彼女を連れて先ほどのスナックにやってきた。 「なんか大きな声がするわ……」 「歌っているみたいだな、入りまーす……」 ……今からそいつを殴りに行こうか!ヤーーーー、ヤーヤー!♪♪  彼らはそこで、拳を掲げて熱唱していた。すると西條は慌ててこの輪に加わった。  そんな様子を小花はドアの付近に立ったままポカンと見ていた。  オヤジ達からマイクを奪った西條は、この天才デュオの名曲の高音のパートを歌いだした。  するとスナックのママは店の扇風機を彼らに向け、前から風が吹いているように演出をしてくれたので、西條の髪は風になびいていた。  やがてサビの部分になると西條の歌に6名がメロディを被せて行き、興奮は絶頂になっていった。  いつの間にか立っていた小花もスナックのママと一緒に拳を作って、ヤーヤーヤ―!と歌っていた。 「……終わった。拍手!」  石原の声にみんな着席し、グラスの酒で喉を潤した。 「いや~西條がいて良かったよ。だれもあそこの歌を知らないんだ」 「自分がいるのはそのためですので。今度二人で歌いましょうか」 「おう!あ、小花さん。掃除が終ったんだね」  ドアの前にポツンと立っていた彼女にようやく気が付いた男達は、私服姿の彼女にドキンとした。 「……素晴らしいですわ。歌で心を一つにして……慎也社長と所長さん達の結束は、半端じゃないですわ」  そういって彼女はサーモンピンクのハンカチで目頭を押さえた。 「そう、そうかな?」 「お嬢! その通りですぞ……」 「違うな。よく聞け」  慎也と渡が感動している中、石原はそっと彼女に向かった。 「慎也社長だけじゃないぞ。お姉ちゃんもだ。俺達は仲間だろう?」 「……石原さん!」  自分も仲間にいれてくれた石原の胸に思わずすがった小花に彼はハハハと笑った。 「でもよ。今夜は遅いから解散だ!さ、締めてくれ、桐生」 「はい。では『GO!夏山』で参ります。御唱和ください……」  桐生はすっと息を吸った。 「春が来たら?」 ……夏が来る! 「秋の前には?」 ……夏が来る! 「夏山愛生堂には?」 ……愛がある! 「今日も一日ごくろうさんでした!」  そういって全員で拍手をして終った。 「さ、帰ろうか。お姉ちゃんは俺が送るぜ」 「石原さん。僕が送りますよ」 「ダメだ! 桐生は小花さんを見るな! もっと地方に転勤させるぞ」   そんなエレベーターを待つ間、厚別の鳩村がスススと小花に近付いてきた。 「私は厚別の鳩村と申します。小花さん。今度うちの清掃員が胆石の除去のために数日休むんですよ。できれば一度厚別に来てくれませんか?」 「あ。鳩村さん。それは」  慎也の制止も間に合わず小花はまあ、と顔を曇らせていた。 「それはお気の毒ですわ。会社に確認してみますね」  これを見た慎也と西條はあちゃーと頭を抱えていた。 「くそ。せっかくこの話しは止めていたのに……」 「まさか直談判とは思いませんでしたね」  小花をどこにも行かせたく無くて卑怯な事をしていた二人の企みはここで失敗となっていた。そしてやって来たエレベーターに乗り、下に降りて来た一行の前は、誰が彼女を送るか揉めていた。 ……一人で帰れるのに。そうだ……。 「皆さん!見て!隕石よ」  隕石?と一瞬気を取られていた男達のすきを見て、小花はさっと市電の駅へ走って行った。  そして西條に先に一人で帰るとメールを送ると、やってきた電車に乗った。 夜のススキノを走る電車内は仕事で疲れた人と、繁華街で遊んで来た人の匂いがしていた。  そしていつもの駅で降りた小花は、自宅までの道を歩いていた。 「よ! 小花っち。今、帰りか」 「鉄平さん。ずいぶん遅いジョギングですね」 「コンビニに買い物に行っていたんだ。一緒に帰ろう」  彼はそういって彼女の隣を歩いていた。 「甲子園行って来たんだってな。暑かったろ」 「うん。そうだわ? あのまたお父様にお会いしたの。お元気でしたわ」 「そうか。しかし親父も暇だな……おっと。車だ」  鉄平は彼女を抱き歩道の脇に寄った。 「甲子園優勝か。カッコいいもんな」  車が過ぎた後彼女を離しながらそうつぶやく彼に小花は首を傾げた。 「そうね。モテていましたよ。中年の女性に」 「ハッハハ。龍生! ナイス」 「ねえ、今度の試合はいつ?」 「ええと……甲子園が終った後は」 「違うわ。鉄平さんよ。この前はあんまりよく応援できなかったの」  この言葉だけで、彼の中の甲子園優勝の龍生に対するコンプレッックスが完全に払拭された鉄平は、嬉しくて思わず彼女の肩をギュと抱いた。 「今度は、大学生と試合があるかな」  すると小花は真顔で彼を見上げた。 「時間があれば行きますわ。あのね……樹男さんは、決して家族の方をないがしろにしてないと思うわ。お仕事で忙しそうだったもの」 「そんな心配すんなよ。俺を何歳だと思っているんだよ」 「そう? さびしい時はお母様に甘えてくださいね。兄弟で力を合わせて」 「平気だっつの! っていうか、お前は甘えさせてくれないんだな?」 「フフフフ。鉄平さんて面白いのね」  自覚しているけれどはっきりそう言われた彼はつい大きな声を出して恥ずかしくなったが、傍らで微笑む彼女をそっと守るように彼は優しく歩幅を合わせて歩いた。  月夜の中島公園。池からなびく風は森の香りを乗せて若い二人を包んでいた。 この時間を惜しむように彼は夜の帰り路を彼女を歩いて帰って行った。 完
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