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210 夏山バンド
「ねえ。ママ。あのピラミッドに登っていい?」
「お店の人に聞いてみようね。すみません。あの靴の山は登っていいんですか」
すると紺色のエプロン姿の靴の七星の担当者は笑顔で首を横に振った。
「いいけどね僕?自分の靴のサイズを探してごらん。百円で買えるんだよ」
「本当に?ママ!僕、探してくるね!」
そう言って男の子は白い靴の山へ突進していった。
「合った!僕のサイズが、あれ?どっちも右だ?アハハハ」
「そんなに安いんなら、パパのも探して!26センチよ」
「……小さいんだね。あ。あった?あったよ!26センチ!パパのだ!」
母親は七星に代金を支払うと、今度はコーヒー豆のアリタにやって来た。
「良い香り……でもこれは賞味期限が近いんでしょう?」
鋭い指摘に茶色のエプロンのアリタの社員は、笑みを称えた。
「奥様。これはまだ賞味期限内ですよ。それにコーヒー豆はこうして熟成させると豊潤で深みのある味になりますしね」
「……確かに美味しいわ?それにもうこれしかないんですか?私、一つ買います!」
コーヒーマイスターの野口のプロデュースのブレンドのコーヒー豆はまだ在庫があったが、たくさん並べておくよりも、残りわずかという感じの方がいいんじゃね?ということでテーブルの上には最初から少ししか置かない作戦が成功していた。
「あ、ママ、アレをやるわ」
そういって母親は子供にコーヒー豆を押しつけてタオルのつめ放題コーナーにやって来た。
「ママ。そんな小さい袋に入らないよ」
「いいから見てなさい、こうやってまず袋をママの怪力で伸ばすのよ……あれ?」
硬い袋はどんなに力を入れてもささやかにしか伸びなかった母親は、これを断念し今度はタオルを畳み始めた。
「こうやってきつく丸めるのよ……」
「すごい……ノリ巻きみたいだね。それを袋に入れるの?」
これをB5サイズ程の袋に縦に詰めた母親はやがてタオルの花束みたいな物を作り上げた。
「お見事ですね……え、まだ入れるんですか?」
「だって。入っていればいいんでしょ?この隙間に……無理やり……どうだ!」
母親は隙間にタオルの片隅だけを突っ込んで袋からダラーンと下げた。
「すっげ!見て、うちのママは一番だよ、ね?」
無邪気な子供と、母親の芸術的な技にさすがのタオルの今西の担当者達は写真を撮って拍手をした。
「ちなみに何枚ですか?えっと……32枚ありますね」
「やった!ママは一番だ!」
「ウフフフ」
こうして母子は薬局コーナーに顔を出した。
「すみませーん。おじさん。背が伸びる薬ってありますか?」
「坊主か?あのな。一杯食べあて一杯寝ろ?それならタダだぜ」
「おじさん、小さいもんな……あ?お兄ちゃん。僕に背が大きくなる薬を下さい」
石原を無視した子供は長身の風間に訊ねた。
「いいよ。これ、試供品だからあげるよ」
「わあーい。やったー。これで僕も大きくなるぞ」
嬉しそうに去って行った男の子を見て、姫野は風間に訊ねた。
「何をあげたんだ?」
「スポーツ用のミルクプロテインです。味も美味しいし」
「まあ、嘘ではないしな……ところで、風間の親父さんは?」
「朝はいたんですけど、店に呼びだされて、もうすぐ戻って来るんだと思いますけど」
すると石原はバンドがあるのでここを離れると言い行ってしまった。
「先輩。俺、心配なので向うで親父の車を見て来ます。もしかして混んでいてここに辿り付けないかもしれないんで、じゃ!」
そう言ってこの場を押しつけられた姫野は、風間夫人と、松田と適当に薬局商品を販売していた。
その頃。夏山バンドは最終チェックをしていた。
「お。風間。親父さんはまだか?」
「そうなんです。でも大丈夫です。俺が代わりにやりますんで」
そういって風間はピアノの前に座った。
「簡単に言うが……できるのか?」
渡は驚いていたが、風間はうんと頷いた。
「俺は子供の頃クラシックピアノをやっていましたし……それに親父が毎晩ので睡眠学習済みです。それに多分俺の方が上手いですよ?」
するとここに小花が割って入った。
「みなさん。そろそろ始めないと時間になります。では風間さんはそのままお父様の代わりをしてくださいね」
「よし!さくっと始めるか……」
卸センターの会場の隅のステージ前には買った物を食べる人や、買い物の家族を待つ足がスマホをいじっている人しかいなかったが、そもそも自分達がやりたくて演奏するので、これに構わず夏山バンドはそっと演奏を始めた。
彼らの演奏に会場はにこにこ顔になっていった。
こうして『銀の指輪』を歌い終えた頃には、意外とまともな演奏なので、誰が演奏しているのかと人が集まって来た。
ここで石原がドラムを叩きながら歌いだした。石原の渾身の歌に観客は一緒に歌い出していた。
これを聞いていた最前列の中年女性は、ぶわと涙を溢れさせ、中年男性は遠い雲を眺めていた。
さびの部分はバント全員で歌っていたが、いつの間に会場にいる50代後半の人はこれを一緒に歌い出していた。
風間のピアノが良い感じで響き、小花のコーラスと相崎の演奏で夏山バンドはすっかり息が合っていた。
あまりの会場のノリに、しばらくこれを続けたが、さすがに疲れてキリがないので、相崎と渡は勝手にこれを終わらせるメロディーで締めた。
『えーみなさん。こんにちは!』
こんにちは!と石原の挨拶に会場から声が返った。
『私達は夏山愛生堂の社員でつくった夏山バンドです!よろしく!』
イエーイという声に会場から拍手が湧いてきた。
『ここでメンバーを紹介します。ギター、渡』
どうも!と手を挙げた彼に拍手が起きた。
『ベース、相崎!』
ぺこんと頭を下げた彼に拍手が湧いた。
『キーボード、ギター。小花嬢』
にっこり笑って頭を下げた彼女に中央第二営業所から『せーの、お嬢!』の声が掛かり、笑いがこぼれた。
『ピアノ、風間』
すくっと立った彼に風間くーんと黄色い声が飛んで来たので彼は手を振って応えた。
『そしてドラム、私、石原です』
これで挨拶は終わったな、と言う感じの観客の拍手に満足気の石原は、次の曲を続けて行った。
そして二曲お届けした時、ようやく風間父が到着したので、ピアノは風間と代わり少し水休憩をした。
「お姉ちゃん。次、いけるか?」
「はい」
……お兄さまはやはり来ないのね。
本当は兄の慎也を誘った小花だったが、彼は姿を現わせないので予定通り自分が歌う事にした。
キーボードを弾きながら歌う彼女に会場の人はじっと聞き入っていた。
切々と流れるピアノとドラム。
この辺で会場の女子達はなぜか涙を流し始めた。
目を瞑って歌う小花に男性達も涙した。
この歌は父が好きな曲だった。
この歌は母の好きな曲だった。
風間父のピアノに合わせて彼女は涙を抑えて必死に歌い続けた。
父には妻がいて、母は日陰の身であった。
でも父は本当に母と自分を愛してくれた。
この曲には父が母を心から想う気持ちがつまっていて、歌っていた彼女の眼から涙が伝っていた。
やっとの思いで歌い、間奏になった時、彼女の前に彼がやってきた。目を真っ赤にした彼は小花の頭を撫でるとマイクを握りステージの中央に立った。
石原のドラム。
風間父のピアノと風間のバイオリン。
小花のオーボエの優しい調べに彼は歌いだした。
慎也は顔をぐっと挙げて歌いだした。石原のドラム。そしてやるせない顔をした渡のギターでこの曲は切なく、悲しく、美しく終わった……。
『ありがとうございます!夏山愛生堂の社長をさせていただいています、夏山慎也です!どうも!』
観客はキャ~~~~と歓声を挙げた。
『すみません。乱入してしまって……。でもみなさん?夏フェス、盛り上がってますか!イエーイ!』
イエーイとノリの良い客は返事を返してくれた。
『え?それでは最後の曲も俺ですか?』
石原の合図に慎也は頷いた。楽しい歌は会場を沸かせた。
手拍子に揺れる会場の中。
そういって笑顔の慎也は小花の肩を抱き互いに微笑んだ。
歌いながら卸センターの各ビルにいる女子社員達に手を振った慎也に彼女達は手を振り返した。
渡の間奏のギターはノリノリで客の拍手を誘い、小花の仕込んだ手塚のサックスに観客はわっと歓声を送った。慎也はバントのメンバーに笑顔で振り返った。
『ありがとうございました!』
歌い終えた慎也がホッっとしていた時、会場の声が聞えてきた。
……アンコール!アンコール!アンコール!!
「マジで?どうするの石原さん」
すると石原はマイクに向かって叫んだ。
『おいおいおい……。俺達は……素人の親父バンドで、今日は30度以上になる温度だせ?無理だったつうの……』
しかし。
会場からはアンコールアンコールの声が大きくなっていった。これに石原は対応した。
『それでは最後に「心の旅」を歌いますので。一緒に歌って下さい』
こうして会場にいる人達と一緒に彼らは歌った。
日頃のストレス。
もう帰らない昔の恋。
上手くいかない対人関係。
お金が無い。
ダイエットが成功しない。
親の介護。
加齢……白髪、しわ、しみ、物忘れ……。
これらの思いを全てこの曲にぶつけた会場の人達は、心を一つにし、歌った。
やがて限界に達したので慎也はバンドのメンバーと手を繋ぎ万歳ポーズを決めた。夏山バンドはこうしてステージを終えた。
「お疲れ!よかったな、おい」
「そうだ。我々は本番に強いからな」
「私もそう思います。今日が一番良かったですね」
石原、渡と相崎の話に今度は風間父が入り盛り上がって行ったので慎也は感謝をしてこの場を離れようとした。
「あれ?小花さんは」
「今までここにいたのに……どこにいったんだろう」
その頃、小花は一人夏山ビルの屋上にいた。
「ここか……暑いぞ」
「姫野さん。どうしてここに?」
彼は小花の隣に立った。
「お前は何か思うとここだから……」
「姫野さん……」
彼女は長い髪をそっと手で押さえていた。
「あのな。何も言わなくていいから」
「え?」
「悲しい時は泣けばいいんだ……無理すること無いさ」
そんな彼の肩に彼女は寄りそった。
「あの曲は……両親が好きな曲だったの……」
「そうか。聞いてくれただろうな」
彼はそんな彼女の髪を優しく撫でていた。
「逢いたいな……お父様やお母様に……」
そういって涙をぽろぽろ流す彼女に姫野は胸が締め付けられる思いがして彼女を抱きしめた。
「ダメだぞ? 二人に心配をかけては」
「でも」
「泣かないでくれ……頼む」
彼女を抱きしめる姫野の力は強かった。
「ご両親はきっと聞いていたよ、お前の演奏や風間の下手な歌を」
「そうですね……風間さんの歌?……待って?ウフフフ」
そういって彼女は姫野の腕から出てきた。
「今日は御上手でしたわ」
「そうか?そうは聞えなかったぞ」
すると彼女は姫野の胸にこつんとおでこを当てた。
「あのね。もう少しこのままでいて」
「ああ。いいぞ」
夏の日差しが照り付ける夏山ビルの屋上には乾いた空気に包まれていた。
イメージ曲 チューリップ
「魔法の黄色い靴」作詞作曲 財津和夫
「銀の指輪」 作詞作曲 財津和夫
「心の旅」 作詞作曲 財津和夫
「青春の風」作詞作曲 財津和夫
「夢中さ君に」作詞作曲 財津和夫
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