1987人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
202 輝く!夏山事務員コンテスト
「おはようございます」
「おはよう~小花ちゃん。あのさ、来週の予定なんだけど」
総務部の掃除をしていた小花に蘭はプリントされた用紙を差し出した。
「『夏山愛生堂事務員コンテスト』ですか?これを開催するんですね」
小花は手伝いがあったら言ってくれといい、中央第一営業所に掃除に行った。
「おはようございます」
「おはよう、ちょうど良かった。紹介するわ」
松田の隣には夏山の女子社員が立っていた。
「彼女は厚別営業所の事務員、竹本優香さんよ」
「竹本です。宜しくお願いします」
若い竹本の挨拶に小花はすっと会釈をした。
「こちらこそ。宜しくお願い申し上げます」
「……ね?竹本。こうでなくちゃ」
「はい!先輩」
松田に注意された竹本は、慌てて会釈をした。これを横目で見た松田は小花に説明した。
「小花ちゃん。彼女はね、今度開催される事務員コンテストの札幌営業所の代表者なのよ。だから今週、ここに研修に来たので仲良くしてあげてね」
「はい!竹本さん。松田さんに聞きにくい事があったら、私に遠慮なくおっしゃってくださいね」
するとこの話しを聞いていた石原がガハハハと笑った。
「ハハハ!聞きにくい事だってさ……やべ。睨まれた?」
石原をギンと睨んだ松田はにっこりした顔で竹本を見つめた。
「竹本。これになんて答えるの」
「……ええと。ありがとうございます。その時は宜しく」
すると松田は、はあ?と片眉を上げた。
「喧嘩売ってんの?ちがうでしょ?」
「すみません……」
「はい、風間君、答えて!」
急に話を振られた風間は座っていた椅子をくるりを向けてこっちを見た。
「そですね……。『御配慮ありがとうございます。でも松田さんには何でも教えてもらうつもりなので心配しないでくださいね!』ですか?」
「正解!さすが風間君ね」
全員に拍手をされた風間は嬉しそうに舌をだした。
「そっか。最初に御礼を言わないといけないですよね。ええと……」
今の会話をメモしている竹本に構わず小花は清掃を始めた。
「すみませーん。石原部長。足をどけてくださいませ」
「おお。こうか?」
足を避けた石原の足も邪魔な彼女は、両足を上げてくれと話した。
「く?これは腹筋にくるな……まだ、か?」
足がプルプルしている石原に構わず、小花は丁寧に掃除していた。
「この黒い後は何かしら?……」
「そ、それはギンギンドリンクを……こぼして……」
もう!と口を尖らせた小花は床を拭いている間、石原は腹筋プルプルで耐えていたが、ようやく足を下ろすことが許された。
「はあ……一人ライザップだぜ」
「ほら!竹本、突っ込みよ」
「はい?ええと……なるほど、身体によさそうですね」
しかしこのコメントに一同はシーンとなった。
「ダメね……小花ちゃんお願い」
「はい。部長。運動したいなら、今日は走って営業に行ってくださいませ。ガソリン代もかからないし、空気も汚しませんし。それにお腹が空いてご飯がおいしいですわ」
「……そだな。仕事をするか」
「これよ、竹本。これがボケ返し。わかった?」
「難しいですね」
なんの勉強をしているのかよくわからない小花は、他の場所を清掃し、お昼休みを迎えた。
松田はいつもお弁当だが、食べる時間は仕事次第なので、小花は財務部と総務部女子とお弁当を食べていた。
「厚別の竹本ちゃんはね。松田さんに教わりたいって言って直訴して来たのよ」
「どうして松田さんに?」
すると卵焼きを食べていた良子は箸を振りまわした。
「蘭!小花ちゃんは知らないのよ。あのね。中央第一の松田は、事務員コンテストを五連覇して殿堂入りしているのよ」
「殿堂入りですか?」
休憩室にいた女子社員達は、どこか遠くを見ながら呟いた。
「私達も若い頃、そのコンテストに応募したんだけど。全く松田さんには恐れ入ったわ」
「そうだったんですか」
しっかり者の松田は若い頃からさぞ凄かったんだろな、小花は思った。
「だから松田さんから色々教わりたいんじゃないのかな」
「蘭さんや美紀さんはチャレンジしないんですか:
「したけどダメだったから。もうしないよ」
「うん。心が折れたしね」
一体どんなコンテストなんだろうと思いながらも、小花はこの後、昼寝をしていた。
その頃。竹本は松田の仕事姿勢を盗もうと、電話をしている彼女をじっと観察していた。
「はい。夏山愛生堂です。プラタナス病院の先生ですか?お世話になっております、石原ですか?」
この声に石原は電話に出たくないよーと首を横に振っていた。
「申し訳ございません!現在外出しておりまして、え?ケータイも繋がらないですか?おかしいですね……トンネルかしら。では御用は私が伺います」
こうして結果的に話を進めた松田に竹本は感動していた。
「質問あるならいいわよ」
「まだ質問もでてきません。頭がなんだかぐるぐるしていて」
松田の仕事ぶりに竹本はすっかり自信を無くしていた。
「まあ、今日は初日だしよ。もっと、こう気を抜けよ」
「部長は抜き過ぎです!」
こんな初日を終えた竹本は、二日目は実践練習を受けていた。
「もしもし。夏山さんか?薬を売ってくんねえかな」
「申し訳ございません。当社は卸売りですので、小売は行っておりません」
訳のわからない電話を掛けてきた客を演じている石原に、竹本はそう答えた。
「でもよ。欲しいんだよ!」
「ですから、当社は」
すると松田がストップを掛けた。
「それじゃダメよ。お客様は薬を売って欲しいって言っているんだから、それには応えないと、どれ貸しなさい」
そういって松田が電話の受話器の代わりのトイレットペーパーの芯を持った。
「もしもし!薬をくれよ」
「恐れ入ります。当社は卸売りですので、薬局の品でしたら、夏山愛生堂薬局で購入できますし。病院のお薬で指定の薬品を希望でしたら、そのお薬を扱っている病院をご紹介します」
「そこまで案内するんですか?」
するとトイレットペーパーの芯を置いた松田ははあと溜息を付いた。
「竹本は、会話のテクニック以前に、相手を思いやる気持ちを高めないとダメね」
「思いやる気持ち……」
確かに竹本は、応対は上手い。それで選ばれたわけだが、優勝するにはこれではダメだと松田は言った。
「どうすればそういう心が育つんですかね」
すると石原がすっと話しに入った。
「良い見本がいるじゃねえか……お、来たか」
「清掃です。失礼します」
みんなが深刻そうな話をしているので、小花はそれを邪魔しないように必死に手早く掃除をしていた。そこへ早めに姫野が戻ってきた。
「お疲れ様です……松田さん。この資料なんですけど、得意先に配ろうとしたら、誤字があったんで直してください、それから配ります」
「あらやだ?本当だわ!ごめんなさいね」
「いいんですよ。配る前に気が付いて良かった……」
「そうですよ!お手柄よ、姫野さん」
この甘い対応に竹本は目をパチクリさせていた。姫野も生き生きしていた。
「ミスは誰でもあるからな。大事なのはリカバリーだからな」
はい!とうなずく中央第一の社員と小花に圧倒された竹本は、翌日も松田と石原の特訓を受けていた。
しかしメーカーの人が来て松田も石原も忙しくなってきたので、竹本は遠慮して部屋を出た。
「あ。小花さん」
「竹本さんお疲れ様です」
廊下にいた小花に、竹本は駆け寄った。
「あの。少し相談に乗っていただけないですか?」
「いいですわよ。今夜でも」
こうして二人は夕飯を食べにやってきた。
「どうして小花さんはそんなに人がいいんですか?」
「そんな風には思ったことはないんですけど」
そういってオムライスにスプーンを入れる所作も美しく言葉使いも丁寧な彼女を竹本は観察していた。
「でも竹本さんは代表でいらっしゃるなんてさすがですわ」
「たまたまですよ。私学生時代は放送部だったから、話のはわりと得意で」
「得意か……そういう武器を持っているってカッコいいですわ」
素直で謙虚な小花に、同性の竹本まで頬を染めた。
……要するに。心が綺麗なんだな……うわべだけ美辞麗句を述べても、ダメな
んだ……
この日、やっと皆の話を理解した竹本は、小花と簡単な話をして解散した。
そして当日。
夏山愛生堂の4階の会議室では全道から集まった女戦士達が慎也を始め審査委員を前に座っていた。
北海道を東西南北と札幌に分けた営業所から選ばれた5名は、緊張した面持ちで自分の番を待っていた。
順に訳のわかんない電話の応対をしていく選手だったが、最後は竹本になった。
おかしな質問に一瞬どうしよ?と思ったが、松田ならこう対応するだろうな、と思いさらに小花のように誠意を持って対応した。
「うん。それでは発表するよ。優勝は、厚別の竹本さん!!」
「うわ?嬉しいです……」
そばで見守っていた松田も弟子の優勝に目を光らせていた。その時、会社にアナウンスが入った。
……ピンポンパンポーン!……
『卸センターお掃除隊から、皆様に緊急連絡でございます……』
なんだ?とみんなはスピーカーを見つめた。
『……現在、この卸センター付近にて、光化学スモッグが発生しております。社内にお出での方は、自分が開けたかどうかに関わらず、窓をお閉め下さいませ……』
「おい!俺はこの窓を締めるから。みんなも窓を確認しろ」
アナウンスに従い動く慎也に、会議室にいた社員達も窓を確認した。
『……屋外にお出での方は、ただちに建物の中に避難をして下さいませ……そして』
ここは建物内なので、これ以上どんな心配があるのか分からない慎也一同は次の言葉をじっと待った。
『もしかして、この放送が聞えない方がいるかもしれません。御心辺りのある方は、ご自分で、その人を、助けに行ってくださいませ。繰り返します……』
「小花さん?……君って人は……」
「愛ですよ……」
これを聞いた慎也は涙が滲み、野口は感動で胸に手を当てた。するとここに総務部の蘭と美紀が入ってきた。
「社長。今の放送は社員に一斉メールしました」
「外にいる駐車場係りは、すでに退避済みです」
「わかった。でも再確認してくれよ」
この時、せっかく優勝した竹本は、慎也に勇気を出して話した。
「社長。私、この優勝は辞退します」
「え?どうして」
「今のようなアナウンスを聞いて、私はその……とても敵いません、受け取れないですよ」
しかし、慎也はこの言葉を遮った。
「いいや。受け取ってくれ。君はこのアナウンスを聞いて感じた事を、来年ここでまた披露してくれないか?」
「社長……」
「君ならもっと上を目指せるさ!なあ。みんな」
そんな竹本に一同は拍手を送り、松田もこの慎也の裁きに拍手を送っていた。
そんな時。卸センターのお掃除隊はパニックになっていた。
「うえ?私、空気吸っちゃたわよ」
「大丈夫よそれくらい。メグちゃんは豊平川の水を飲んでも平気だったじゃない」
「あれは飲もうとして飲んだんじゃないわ!失礼ね」
「ホホホ。私は日傘をさしていたから平気よ」
「本気で言っているのマコちゃん?そんなの無意味に決まっているわ」
マコにそう言ってコンパクトを出して化粧を直しているアッコは、自分の顔をみて驚いていた。
「大変!目が赤いわ……」
「朝からそんな感じでしょ。ゲームのしすぎよ」
「アッコは、ゲームはしない!しないもん!」
そう言ってサリーに足踏みして主張するアッコを、サリーはイヒヒと笑っていた。
「皆さま。それよりも卸センターの会社はいかがですか」
「メールが来たわよ。平気だって」
「私も」
「うん。アッコにも」
「って言うか。会社に戻って来いって。うざいわね」
メグ、マコ、アッコ、サリーはそうブツブツ小花に言いながら地下の通路を通って自分の勤務先に戻って行った。
そして夏山に戻った小花は目がチカチカする事に気が付いた。
「お嬢!それは大変です。顔を洗って下され」
「そうですね」
「こっちが早い。自分が見張りをしておりますので、宿直室の洗面台へさあ、早く」
そして小花は洗面台へ顔をざぶざぶ洗っていた。するとここに心配した慎也と野口がやってきた。
「社長!ここは成りません!お控えください!」
「うるさい!小花さん。大丈夫かいー?」
「小花さん。病院に行きますか……もう、渡さん、ここを通して下さい」
渡は入ろうとする慎也と野口を必死に止めた。
「やめろ!仮にもレディですぞ」
「仮ってなんだよ。とにかく小花さん!大丈夫?」
そんな隙を抜いて誰かがすっと宿直室に入って行った。
「入るぞ!大丈夫か!お姉ちゃん」
「……石原さん」
彼はすぐに彼女の顔を覗き込んだ。
「この程度なら平気そうだな……さ。姫野に怒られないように中央一に戻ろうぜ」
「そうですね……あ、社長。お疲れ様です。社長はご無事ですか。良かった……」
「何を言っているんだよ?君は自分の事を心配しろよ……」
「まあまあ。社長さんなのに泣いたらおかしいですわ?さ。野口さん、社長をお連れして下さいませ」
「小花さん……わかりました。さあ、行きましょう、社長」
「おい、野口!離せ!俺はまだ彼女に話しが」
しかし。慎也の腕を取った野口は、まっすぐ前を見ていた。
「……小花さんは自分の仕事を立派に遂行しているんです。我々は我々の仕事をして、彼女に恥ずかしくないようにしましょう」
「自分の仕事……わかった。それじゃ、小花さん……」
「はい。社長」
「あのね。いつも……愛をありがとう!そして……これからも頼むな!」
「はい!もちろんですわ」
こうしたやり取りを聞いていた渡と石原は、呆れていた。
「社長は暇なんだな」
「まったく。心配しすぎだぜ」
「……愛ね。愛でいっぱいなのね」
札幌駅東口にある札幌卸センターは光化学スモッグに包まれていた。怪しい空気は夕刻の人々の心を暗くさせていたが、建物の中にいる人々は心を輝かせた。明るい声、笑顔、光る汗。心をつなげた彼らは北海道の命を今日も守っている。
完
最初のコメントを投稿しよう!