219 北の最果て 利尻島

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219 北の最果て 利尻島

「小花ちゃん。あのさ。相談があるんだけど」 「なんですか?」  本日の昼下り。総務部長が不在の総務部で蘭と小花と美紀はおしゃべりをしていた。 「あのさ。実はね。今度美紀が、実家に旦那と帰るんだよ」 「もしかして結婚されて初めてですか?」 「そうなの。結婚の報告の時は、うちの両親が島から出てきたんだ」  しかし。高齢の祖母もいるため、旦那を伴い帰省を予定していると言う。 「そしたらさ。なんか向うでお披露目をするらしいのよ。でね、ここで話しが変わるんだけど。実はね、総務部でなんかの御礼でもらったJTBの旅行券があるんだ。でも期限がそろそろ切れちゃうのよ」  すると美紀は椅子をクルリと向いた。 「あのね。小花ちゃん。よければ蘭と一緒に利尻島に遊びに来ない?交通費はその券で間に合うから」 「私ですか?でも、私はその券を使うわけには行きませんわ」 「でも。小花ちゃんって、総務部付きの準社員なんだよ」 「それにね。同じ清掃員の吉田さんも誘うつもりなの」 「吉田さんも?でも意地悪総務部長に何か言われそうですわ」 「ううん。むしろ使ってくれってさ。使わないと、またもらえないみたいな話だったし」  こうして小花は一応話しを聞いた後、5階の部屋で休んでいた同僚の吉田に相談した。 「利尻か。遠いんだよね……」 「昔はフェリーですけど。今は札幌から飛行機で1時間ですって」 「本当に?じゃあ、行きたいな……あそこはお花の楽園だよ。ウニも美味しいし。利尻昆布のラーメン、食べたいね」 「行きましょう!」  こうして二人は美紀の故郷に図々しく行く事になった。  さすがに宿泊先は民宿を取った三人はこの旅行を楽しみにしていたが、この話しを聞いた美紀の夫のご両親も同行する事になった。  こうして金曜の午後に札幌丘珠空港にやってきた御一行は知っている顔に安心しながら利尻島に向かった。 「ご主人の翔太さんのお母様ですね」 「はい。美紀さんちも同じ姓だから、私は京子でいいですよ。夫は征一です」 「どうも。今日は便乗させていただきました!」  定年退職をして時間もあるし予算もあったはずのこの夫婦は、自分達だけで嫁の実家にいく勇気を持てずもやもやしていたが、今回は嫁の友人や会社の人が行くと聞き、これに乗っかって行けばいいんじゃね?という感じで一緒にやってきた。 「私は掃除のおばさんをしている吉田です。奥さんは若いわ?」 「何を言うのよ?そっちこそお仕事しているんでしょう?」 「お金が無いからさ。アハハハ」 「私も無いわよ?アハハハ」  吉田と京子はお互いの事を良く知らないので、息子の話や姑の話、自分の病歴などを大いに話しに花を咲かせていた。  美紀の夫は疲れて眠っており、美紀と蘭は到着後に何をするのか話しをしていた。  こんな中、小花は隣席の征一と話をしていた。 「明日の朝の登山楽しみですわ」 「僕もです。良かった……。一緒に登ってくれる人がいて」  アウトドアの征一は、こんな可愛い女の子が一緒に登ってくれると聞き、この旅行をずっと前から眠れないほど楽しみにしていた。 「ガイドの方とツアーですし、危険な山ではないですものね」 「小花さんは、やはり風景ですか?」 「それもありますが、高山植物です。そこでしか見れませんもの」 「そうだよな……」  そんな話しをしている間にあっという間に島に着いた。 「最果ての北……。なんかすごく遠くに来た感じ」 「だって本当に遠くだもの。あ。うちの車だ」  美紀の家族が迎えにきた車に全員は乗れないし、小花達が行っても仕方ないので、蘭と吉田と小花は迎えに来た旅館の車で宿へ向かった。  夜のなのでここがどこだかよく分からない三人だったが、美紀の実家でもてなしを受けている夫の家族を待たず、夕食を食べていた。 「ウニ!美味?小花ちゃん食べた?」 「美味しい……そしてこの蟹なべ」 「これは紫ウニかい?いや……これは上等だ」  利尻は昆布の名産地。そしてウニはこの昆布を食べて成長するので、最高級とされている。  またバフンウニは見た目が大きくふんわりして美味しいが、舌の肥えた札幌女子はやはり小ぶりでも味の濃厚な紫ウニに箸を進めた。 「いや~~!ビールが美味い」 「進むな?あ、小花ちゃんはまだ飲めなかったっけ」 「見ているだけで十分ですわ。そうだ!姫野さんに写真を送る約束でした……。よいしょっと」  小花は今夜の御馳走を前に、吉田と蘭と一緒の写真を取り、札幌の彼に送った。 「あ、返信です。写真が来たわ」 「どれどれ」  送られてきた写真は、自分に酔いしれてカラオケで歌う石原の姿だった。 「『ただいま接待中』ですって」 「まあ、頑張ってもらおうか。私は生ビールお代わり」 「私も!」  やがて美紀の実家から挨拶を済ませて来た京子がこの酒席に加わり、女三人で盛り上がって行った。小花と征一は明日の登山に備え、早めに就寝をした。  そして翌朝。旅館の人に送ってもらった二人は、他の観光客と供に、山を登って行った。 「奥様がいかがでした?」 「朝まで飲んでいたようで。枕元に水を置いてきました。そちらは?」 「イビキがすごかったので身体を横向きにしました」 「僕もです?ハハハ」   最果ての山には木々がなく、膝に満たない草のカーペットが山を覆っていた。登山道は階段が整備されており、ここを歩く彼女は山を登るというよりも、丘を歩いているような気分だった。  しかし、さすがに山頂に近付くにつれ岩がごろごろし、雪が残る空気は身体を冷たく包んで行った。  そして山頂に到達した二人は、ほっとして椅子に腰かけた。 「綺麗ですね」 「ああ。ここまで来た甲斐がありましたね」  緑の山を囲む海。空を飛ぶ鳥。酸素の濃い冷たい空気はどこか寂しく、音を吸い込むような静けさに小花は深呼吸をした。  高山植物は健気に咲き、揺らす風に微笑んでいた。 「素敵な所なのに。どこか寂しいのはどうしてかしら」 「まさに……最果ての北ですね」  そんな感動をした利尻山を降りながら、余裕で下山していた二人はおしゃべりをしていた。 「今は自宅にいるんですか」 「そうです。妻に邪魔もの扱いをされていますが」  すると小花はうんと頷いた。 「だってご主人様がいる時間は、奥様にとって勤務時間ですもの。気を使うんですわ」 「そうかな。僕は何もしませんよ」 「でも食事をなさるでしょ?それだけでもストレスですわ」 「そうなんですか??!」  日頃主婦の愚痴を聞いている彼女は、何にも知らない征一に本当の事を話した。 「定年された征一さんは、今度は自宅という会社に再就職されたんです。社長は奥様なんですよ」 「僕は社員なんですか?僕の建てた家なのに?」 「……奥様の支えが合ったから、ローンを払えて、奥様がいたから、お子さんが無事に育った、と、世の中の妻は思っているんです。でも旦那さんはそんな気は無い方が殆んどでですわ。だから奥さんは怒って熟年離婚になるんです」 「でも、僕は退職した時に妻に感謝の意を込めてプレゼントしましたよ?」 「結婚して何十年にもなるのに、それ一回じゃ割に合いませんでしょう」 「そうなの?……」  征一は美しい景色を見ながら不安になって来た。 「いい方法がありますよ」 「ぜひ!」 「お仕事されるといいですよ。身体を使うし、よければ私の勤務先を紹介しますわ」  こんな話をしながらバスに戻って来た征一は、疲れて眠る小花の隣でずっと考え込んでいた。  そんなこんなで宿に戻って来た二人は、二日酔いがようやく冷めて来た女三人に合流した。  まずは旅館の風呂で癒しと酔いを回復させた一行は、夕刻の新婚夫婦の祝宴に赴いた。  こうしてホテルの宴会場で美紀の親戚が集まり宴会となった。  豪勢な食事と親戚が酒を酌み交わす中、酒の飲めない小花は美紀の幼い従兄達と端でひっそりと食事をし、あんまり大人がうるさいので、隣席の子供達と避難しゲームに付き合っていた。 「お姉ちゃん。ここにいてもつまんないでしょう。僕らが綺麗なところに連れて行ってあげるよ」 「でも。ここにいないと」 「大丈夫だよ。ほら!」  無邪気な少年少女に腕を引かれ、彼女は夕日ケ丘展望台にやってきた。 「うわ……」 「ね?きれいでしょう」  海も山も一望できる絶景から、彼女は子供達と芝生に腰掛けて水平線に沈む夕日を見ていた。 「美しいですね……」  海と山と空と。他には何もない自然の中。彼女は風に吹かれていた。 「向うはロシアなんですね……。向うでも私達のようにこちらをみているかしら」 「見てないよ。こっちの事なんか」 「わからないですよ?手を振っているかもしれないわ」 「絶対振って無いって。もう、振らないでよ?お姉ちゃん!」  こうして子供達に笑われた彼女はここで記念写真を撮った。そして彼女は子供達とホテルに戻って来たが、宴会は最高潮に盛り上がっていたので子供には酷と思ったが、親が心配しているので彼の親の所に戻した。  そして自分は美紀と翔太に挨拶し、吉田と一緒に宿に帰って来た。 「蘭ちゃんはいいのかい」 「なんかカッコいい人がいるとかで」 「まあ。好きにさせておくか。ところで姫野君には電話したのかい」 「そうでした?メールはしたんですが」  すると吉田がこれから京子とカラオケに行くので、宿の部屋でゆっくり電話をすればいい、と行って二次会に出かけてしまった。  一人宿にいた小花は、他にすることも無いので彼に電話をした。 『……やっと来たか』 「ごめんなさい。今はどちらですか」 『葬儀場だ。でも構わない』  得意先のドクターの親が亡くなったので駐車場の誘導掛かりで呼び出された彼だったが、今は葬儀の真っ最中なので、暇を持て余していた。 「お仕事なんですね。私は今朝、利尻山に登りましたわ。綺麗な景色で」 『寒く無かったか』 「寒かったですわ……でも防寒はばっちりでしていきましたし」  そして今は美紀のための宴会をしていると話した。 「みなさん、嬉しそうですよ。お幸せそうで羨ましいですわ」 『お前だっていつかそうなるだろう』 「でも。鈴子はあんなに家族がいませんもの」 『そうか?義堂さんに中島公園一丁目の人だろう?それに派遣会社の人とか夏山の仲間とか。あと京極君もいるしな。俺よりも多いぞ』 「そう言われれば人数はいますね」 『それに俺がいるから、他はどうでもいいだろう?』  自分と結婚する前提で話をしている姫野に、さすがの小花も頬を染めた。 『俺はお前がいればそれいいぞ』 「……ありがとうございます」  ここで「ありがとう」が出てくる彼女に、姫野はクスッと笑った。 『おっと。葬儀が終った。また誘導だ』 「そうですか?車に気を付けてね」 『お前こそ。気を付けて帰って来い』 「はい……」  こうして胸がドキドキの電話を終えた小花は、べろんべろんに酔って帰って来た吉田と、島で出会った少年が既婚者だった事に絶望した蘭の世話で一晩過ごした。  そして翌日曜日。 飛行機に乗る前に念願の利尻ラーメンを食べた小花は、二日酔いで食べられなかった仲間の分も満喫し、島を後にした。  そして月曜日。利尻島土産を携えて彼女は中央第一にやってきた。 「私にまで気を使わなくても良かったのに」 「アハハハ!松田の奴そう言っているのに手を出してるし?」 「でも、美味しいそうだね。あーあ。俺も行きたかったな」 「ああ。飛行機でそんなに早くいけるとは思わなかったな。今度の麺会も利尻でやろうかな」 「しかし。綺麗な景色ね……楽しかったでしょう」  松田は小花の見せてくれた画像に溜息を付いていた。 「……楽しかったですけど。寂しかったかな……。いつも賑やかな所にいるので、あんまり静で……それに」 「それに……なあに?」 「お姉ちゃん。もしかして。姫野がいなかったからとか言うんじゃないよな」  え、と驚いた彼女の頬はみるみる赤くなっていった。 「ダメだよ?そんな事いったら調子に乗って何をしでかすか分からないよ!小花ちゃんいわないで!」 「あの。その……私は」  ようやくここで話しを聞いていた恋男の姫野は仕方ないな、という顔で立ち上がり、腕を広げた。 「おいで。鈴子。寂しかったんだろう」 「ここで?無理ですわ」  首を横にぶんぶん振る彼女に彼は優しい眼で見つめた。 「大丈夫!」 「何が『大丈夫!』ですか?……ここは会社ですよ先輩」 「うるさい」  そういって周囲が止めるのも無視した彼は彼女を抱きしめた。 「今度は二人で行こうな」 「うん!」  嬉しそうに彼の胸で返事をしている彼女に三人は何も云えず、互い顔を見合わせた。 「仕事……するか」 「はい。俺、集金に行ってきます」 「私、総務に行ってきます」 「お。俺達も仕事だ」 「私もお掃除しなくちゃ!」  そんな若いカップルを石原は新聞の隙間から見ていた。 最果ての北の島は、美しい景色で吸い込まれそうだった。 完
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