愛というものをさだめられた日。

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  「ありがとう、陽香」  落とすように呟くと、陽香の少し冷たい手が俺の手を握りしめた。俺の車椅子を押すために素手だったと気付き、彼女の手を包む。 「でも、それを悲しいとかつらいとか思ったことはないんだよ」 「そう……? 本当に、そう?」  俺の中にあるものがまるでその目には見えているかのように、陽香の黒い瞳が潤んで揺れていた。 「……考えかたは、変わったかも知れない。可愛げのない子どもだったけど、それまで以上に何かに夢中になって心を奪われることはなくなったし、こんなものかって自分の意思で諦める回数は増えたかも」 「……ほら」  責めるのではなく、たしなめる陽香の声が優しくて、ふいに泣きたくなった。  ……本当に、つらいなんて思ったことはない。  でも、あの雨の日に出会ってから、ずっと陽香にそばにいてもらえたら──俺はどんなに幸せだっただろう。  今さら惜しんでも取り返しのつかないことが、今日までにどのくらいあったのだろう。  どうにもならなくて失ったもの、見過ごしてきたもの、置いてきたもの、捨ててきたもの。引き換えにした痛みがもたらしたものは、なんだったのだろう。 .
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