第三章 嘘の幸せと真実の絶望と

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 高校を卒業して春休みに父親から、人をむやみやたらに信用してはならない話をされた。社会には騙す為に良い人を演じる事ができる人が山ほどいるという話かと思ったがそうではなく、親しい人でも良い話は妬み、悪い話は喜んでしまう人がいるということだった。  全ての人を疑ってしまっては心許せる友人を作れなくなってしまうから線引きは本当に難しく慎重にすべきだと父親は語っていた。  人の本質とはそういうものなのかもしれない。全ての人が幸せに生活するということは難しいということだ。  この話を最初に思い出したのは大学を中退して間もない頃だった。  親戚等にも自慢していた大学進学の話が中退という結末になったらさぞ手の平返した話題になっているだろうと。  その時に自分さえ我慢してれば良いのではないと痛感した覚えがある。  大学中退という文鎮が足枷になりニートになったが今でも両親は肩身の狭い思いをしてるのかと思えばやるせなくなった。  大学進学して初めて帰省した時は威勢が俺も良かったが、両親は平凡でも真面目に働いて健康で長生きしてくれれば良いと言ってくれた。  俺が長生きする頃は寿命で両親はいないかもしれないのに、先の長い希望だなと思った。  希望が叶うかはまだわからないが現状報告も兼ねて今度のお盆は久しぶりに両親の顔を見に帰ることにした。  曜子から届いた内容は 「身体の調子が悪いのでしばらく家庭教師を休み、良くなった時にこちらから連絡します」  とのことだった。     
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