兄の祈り

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 真白の雪が降りてくる。しんしんと、音もなく。まるで主の御座(おわ)す天の国からの祝福のように。  うっすら積もる雪に隠された石畳を靴底で暴く。とうに冷たくなった指先をポケットに突っ込んで、はあっと浅く息を吐いた。  この通りをまっすぐ行けば教会に着く。散歩がてらとはいえ、家を出るのが少し早過ぎた。 「ちゃんと前を見ないと、転んでしまうよ」  僕の数歩先を行く妹に優しく忠告する。  妹は体重をまるで感じさせない軽やかさで振り返った。黒いサテンのリボンで束ねた絹糸のような髪が、宙で緩く曲線を描く。 「こんなに綺麗な朝なんだもの。目に焼き付けなきゃもったいないわ」  いつもより血の通った唇を幸せそうに綻ばせる。僕はそれ以上何も言えず、ただ微かにけぶる朝靄に包まれ、未だまどろむ家々に、そっと視線を投げかけた。  この窓に奔る霜が溶け、花壇の土から芽が萌えて、燕が軒先に巣を作る頃――妹は、遠く南の街へ嫁いでいく。  南の街は、美しい場所と聞く。通りの露店は色とりどりの果物で満ち、城壁の外には黄金に穂を揺らす一面の麦畑。冬でも寒さに閉ざされることがない温暖な土地。  病弱な妹にとって、健康で幸せに生きられる場所なのだ。  きっと、この街よりも……。  呼吸をするたび、ナイフのように鋭利な空気が肺に満ちて、僕の身体の内側が傷つけられていく心地がした。 「あたし、お腹がすいたわ」  子猫のような声音で、妹が僕の顔を覗き見る。  一つしか歳が違わないくせに、その身体は細くて、小さくて。僕は昔から、この子の望む事は何でも叶えてあげたかった。 「仕方のない子だね……あそこに露店がある。パンでも買ってこよう」  腸詰(ヴルスト)を挟んだパンを一つ買ってやる。妹は「ありがとう」と受け取って、それを食べつつ足を進めた。 「お行儀が悪いよ」と嗜める声が、思いがけず甘やかな響きを持つ。  妹は唐突に振り返り、食べかけのパンを僕に差し出した。 「兄さんもお腹すいてるでしょう?」  薔薇色に染めた頬で、妹が笑いかける。それは致死的な美しさだった。  生まれたばかりの太陽に照らされ、粉雪が僕と妹の間に降りそそぐ。  ――どうか、このまま。二人だけで在れる場所へと、僕らを閉じ込めてはくれまいか。  誰にも言えず、手放せもしない心で祈る。  上手に笑えた自信もないまま、僕はそれを受け取った。
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