一人の画家の場合

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 私には絵を描く以外に特に趣味も無いのでこのままではボケてしまうのではないかと思い、何かしらの絵でも描こうと思ったのだが、このイトウの絵をいつまでも持っていては他の絵が描けないと思ったので、名残惜しい気持ちもあったが売ることにした。そして魚以外の絵を描くことにしたのだ。  ところが、いざ描こうとすると大学を出た直後の様に、どんな絵を描いて良いか全く分からなかった。何せ四十年もの間、魚の絵以外の絵はただの一枚も描いていなかったのだから。私はなんだかよく分からない内に、タコやイカの絵を描いたり、その内に切り身や刺身の絵を描いたりした。もちろんそれが駄目ということでも無いが何を描いていてもいまいち面白くなかった。私が悶々としているのを見て 「この際、絵を描くことに拘らなくてもいいんじゃないの?」 と妻が言った。確かに私は元々、天才的に絵がうまい訳でもないのだし、もう年も年なのだからそんなに躍起になって絵を描かなくても良いのだ。私は妻の言う通りに野菜を植えてみたり、公園で散歩をしたりしてみた。  そんな折、公園で一生懸命に絵を描いているニジマスみたいな女の子と出会った。初めは若い女の子と話がしたいという下心で絵を見たのだが、その絵を見て私は不思議な気持ちになった。  その娘の絵は特別上手という訳では無いのだが、なんだか温かみがあって見ていたくなる絵だった。そこで私もその娘が描いている大きな木を描いてみることにした。     
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