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本当に僕は見たんだ。すごく寒い冬が終わりかけて、春の風が吹き始めた日に。
僕の目の前に立っていたその『彼』はどろり、と溶けた。
まず右手が落ちて、困ったように笑ったその顔の左顎も溶けた。落ちた手を拾うことなく、溶けた顎を気にすることもなく『彼』は僕を見て笑った。
次に右の肘からなにか滴って、みるみるうちに腕の太さが半分になった。身じろぎしたら、腕の付け根からぼとりともげた。
既に顔の半分が溶けた『彼』を僕は叫ぶことなく見つめていた。悲しくて、悔しくて、でもすごく美しいものを見るような気持ちになった。
気がついたら頬が濡れていた。吹き付ける風が殊更冷たく感じた。
そんな僕に『彼』は手を伸ばした。残った右手を。
その右手も指が二本しか残っていなかった。
白く長い指が、ゆっくりこちらに伸ばされる。僕はそれをぼんやりと見る。
はやく触れてほしいと思ったのだろうか。
彼が何か言った。
僕はその言葉に絶望と希望をいっぺんに感じた。でもその口からは言葉どころかため息すら出なかった。
どうしてそんな気持ちになったのか今思えば全く理解不能だけれど、恐らく『彼』とは初対面じゃあなくて何らかの親密な関係を築いていたのではないかと思っている。
残念ながらそこまでの記憶はない。
僕は『彼』のことを大人達に話した。誰も信じなかった。
夢を見たのだと笑った。幻覚を見たのだと心配した。嘘をつくなと怒った。
どれもしなかったのは君だけだった。
信じているだろうとは言わないが、ただ聞いてくれたのは君だけだ。
ありがとう、話はここまでだ。
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