第一章/五.樊城を打ち捨てよ

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 趙萬年は(きびす)を返して駆け出そうとした。途端、人にぶつかった。顔面から突撃したのだが、やけにもちもちとして柔らかい。顔が肉に埋まり、じわりとぬくい汗の匂いが鼻をくすぐった。 「ちょいと、ちびさん、前を見て走りなよ。足をくじいたりはしてないね?」  女の声が降ってきた。  趙萬年は見上げた。美しい一方で(みにく)くもある女の顔が、あきれたような笑みを浮かべて趙萬年を見下ろしている。ずいぶんと背の高い女だ。趙淳や趙滉と同じくらいだろう。  女は、目鼻立ちのくっきりとした美人だった。しかし、額から右の頬にかけて大きな古傷が走り、ねじれた皮膚ががたがたに盛り上がっている。 「うわッ、ご、ごめん」  趙萬年は慌てて女から体を離した。女は平然として(えり)(もと)を整えた。たった今まで趙萬年が顔をうずめていた豊満な胸は、男物の(じゅう)()に包まれながらも強烈に目立っている。  女は趙萬年にちらりと笑みを向けると、趙淳のほうへ一歩進み出て、表情を引き締めた。 「伯洌将軍、伝言です。襄陽の船乗りの頭目、(りょ)(せい)(ゆう)が申していました。樊城に蓄えられていた()と砲弾、木牌(たて)、刀剣などは全て運び出した。武器庫は空になった、と」     
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