第一章/二.三千で五十万を迎え撃て

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 趙萬年もそろそろ格好いい字を名乗りたいと思うのだが、考え付かないうちに、生意気な王才に先を越されてしまった。王才は、(げん)(ちょく)と名乗っている。気性の真っ直ぐなおまえには似合いだ、と趙淳も太鼓判を押した。一方、趙萬年は相変わらず、阿萬だ。  三千の兵を擁する趙家軍に朝廷から直々の命令が下ったのは、(かい)()六年(一二〇六年)の夏のことだった。茶賊討伐ではない。とんでもなく強大な敵を迎え撃てとの命令だ。  宋の北方は、女真族の国、金が境を接している。金との関係は、この四十年余り穏やかなものだった。それが破られた。  いや、先に破ったのは宋のほうだという噂もある。  現在、金が建っている土地は、百六十年余り前までは宋が領有していた。宋は金との戦に敗れ、南方への退避を余儀なくされた。宋の朝廷には今でも、祖先の地を取り戻したいとの悲願を掲げる復古主義者がいる。  金との国境地帯にある襄陽では、復古主義など誰も相手にしない。金との関係が悪化すれば、真っ先に戦場になるのは襄陽だ。誰も戦など望んでいなかった。  それがなぜ開戦してしまったのか。  実のところ、勅命を受けて襄陽に着任した趙家軍にも、確かな情報はもたらされていない。ただ目の前にある戦況が全てだ。  金軍はもはや、遠慮も容赦もなく宋の領内に入って次々と城市を落とし、破壊と略奪をほしいままにしている。趙家軍はこれを食い止めなければならない。     
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