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新川土手
壷内尊は疾風を起こし、砂埃で遙香たちの動きを封じて広場を逃げ出した。
あの女、ホントに人間なのか……
真藤遙香が強力な呪術者であることは知っていたが、ここまでとは聞いていない。正直、『カルト潰しの幽鬼』の方がよっぽど厄介だと思っていた。アークソサエティをたった独りで壊滅させた猛者なのだ。
だからこそ、智羅教に最近入信した林輔の母親に満留がアークの記事を書いた雑誌を与え、幽鬼に助けを求めるよう画策した。
案の定、一週間と待たずに彼は救出に向かった。幸運だったのは真藤遙香も同じく家を空けていたことだ。いつもよりかなり多めのクダを打ってそれで終わりのはずだった。返りの風が吹けば、その時は幽鬼も遙香も返り討ちにすればいい、そう思っていた。
それなのに永遠はクダを全滅させ、鵺を使った襲撃も法眼に邪魔され、ガシャドクロまで幽鬼に斃された。そして、
合神呪まで、破られるなんて……
この呪はそもそも対鬼多見法眼用に取っておくつもりだった。なのに、『カルト潰しの幽鬼』が憑依した御堂永遠に使う羽目に陥った。それでもこの呪の威力を持ってすれば、永遠と幽鬼、そして満留たち雑魚どもを皆殺しに出来た、出来るはずだった。
真藤遙香さえ現われなければ……
彼女は玄馬の霊力を奪ったと言っていたが本当だろうか?
オレを動揺させるためのブラフに決まってる!
そうだ親父に勝てるはずがない、自分が負けたのも何かの間違いだ。きっと、合神呪に欠陥があったのだ。また、改良しなければ。
合神呪は危険すぎる呪術のため、自分の身体を使って実験をすることはできなかった。だからアークソサエティは丁度良い実験場だ。教祖の耶蘇未麓は大した霊力を持っていなかったため、異能への渇望が強く、己が力を手に入れるためなら何でも協力した。
満留からも呪符を入手しているのには驚いたが、愚かにもあいつはそれを価格交渉の材料にした。だが、尊が完全に手を引くと言ったら二度と金のことは口にしなくなった。
満留がアークに提供していたのは極々力の弱い呪符のみで、未麓は彼女に尊のことは話さなかった。正確には尊も満留のことを直接聞いたわけではない、未麓が交渉に使うために見せた呪符からそれを察したのだ。
自分の呪符を満留に見せないよう未麓には強く言った。素性を知られるのを恐れたのではなく、呪をまた盗まれないためだ。彼はその約束を守ってくれた。
今ではその便利だった実験場もない、幽鬼が潰したからだ。当時の技術で出来る限りの合神呪を未麓には施してあり、その結果を知ることができたのはせめてもの救いだ。
「見てんじゃねぇ!」
人払いの結界から出たため、稲本団地の住人たちがギョッとした顔で尊を凝視する。その視線に苛立ち、彼は怒鳴りつけながら駆け抜けた。殴り殺してやりたいが、今は一刻も早く真藤遙香から逃げなければならない。
尊は人目を避けようとして、近くを流れる新川の土手へ向かった。
平日の昼前ということもあり、暇な老人が散歩している以外はほとんど人通りも無い。尊は遊歩道として整備されている細道を駆け抜けた。
突如現われた巨人に驚愕する年寄りを数名跳ね飛ばしながら、彼は突き進んだ。
やがて誰もいないところまで来ると、細い橋が架かっていた。その向こうは杜がありここよりも更に人気がない、身を隠すにはもってこいだ。
尊は川を渡り、森の中へと続く道を辿って行った。
細い道を駆けていくと、古びた鳥居が見えた。
鳥居から石段が上へと続いているが、手入れをされていないのだろう石の隙間から草が生えている。
尊は迷わず石段を登った。
石段の途中にも鳥居がいくつかあり、その終わりには今までよりも少し大きな鳥居が建っていた。
そこを潜ると奥に大きな本殿があった。尊は警戒して、人の気配を探ったが、誰もいない。
彼は賽銭箱の横を通り抜け、階段を登り本殿の障子を開く。
「かえして……」
そこには一人の老爺が弛緩して座り込んでいた。
「かえしてよ……」
尊はその場に立ち竦んだ。どうしてここにいるのだ?
「ぼくの霊力をかえしてよぉおおおぉ!」
老爺は尊の脚にしがみついた。
「オ、オヤジッ?」
そこに在ったのは、涙と鼻水、そして涎で顔をグシャグシャにした変わり果てた玄馬の姿だった。
「ウッ」
信じられない物を目の当たりにした尊だが、異臭に思わず顔を顰めた。
どやら玄馬が脱糞したらしい。
「かえしてぇッ、おねがいッ、かえしておくれよぉ!」
「放せ!」
尊は玄馬を振り払って本殿を飛び出した。
遙香が父の霊力を奪ったというのは本当だったのか? 何故、彼がこんな所にいるのか? まさに悪夢だ、父のあのような姿を見せられるとは。
壷内尊はある意味において鬼多見悠輝と似ている。父に反発し家を飛び出し、父を超えようと藻掻き続けていた。
しかし、法眼との力の差が未だに圧倒的にある悠輝に対し、尊は合神呪によってその差を一気に縮めた。
いや、今となってはオレの方が上だ。
玄馬は遙香に負けたが、自分はまだ負けてはいない。
そうだ、オレは真藤遙香に負けてねぇ!
次は必ず勝つ、勝ってみせるッ。
必ず体勢を立て直してリベンジをする、尊は己自身に誓いながら走り続けた。
「キャー!」
耳障りな悲鳴が鼓膜を震わせる。
ふと気付くと、いつの間にか人混みの中に来ていた。玄馬の変わり果てた姿に衝撃を受け、周りが見えなかったのだ。
合神呪を使った尊は身長が三メートル近くあり、全身の皮膚が黒ずんだ金属の輝きを放ち、更に全裸なのだ。
周りにどんどん人が集まり、スマートフォンで撮影が始まる。
「撮ってんじゃねェ!」
尊は行き先を阻む人間たちを蹴散らしながら進んだ。
魔人の力で殴られた人間の顔は潰れ、腹部を蹴られた人間は内臓を破裂させ息絶える。
「どけェッ、どけェッ、どけェ!」
邪魔な人間たちを撲殺しながら尊は進んだ。
「ギャッ」
聞き覚えのある声の断末魔が鼓膜を震わせた。
思わず声の主に視線を向ける。
そんな……
ここにいるはずのない女性が、顔を歪め口から血を吐いて倒れていた。
彼女とは二十年近く、直接会ってはいない。彼が初めて愛したと言っていい女性だ。
ところが彼女は彼の愛を受け入れてはくれなかった。それに納得できない尊は、力ら尽くで自分の物にした。やり方は満留ですでに経験済みだ、それに彼女がいくら抵抗しても彼には呪力がある。思いのままだった、彼女が妊娠するまでは。
彼はまだ高校生で、始末は玄馬がした。
「美佐……」
思わず、名が口からこぼれた。
視線を感じ振り返ると、殺戮しながら通ってきた道には、いくつもの知っている顔があった。
それはかつての恋人や、レイプした相手、そして呪術で殺した相手もいた。
いずれも苦痛に顔を歪め、尊を睨んでいる。
こんな事、ありえない……
彼はある可能性に気が付いた。
これは幻覚だ!
あり得ない事が起こっている以上、自分が幻を視ていると考えるのが合理的だ。それに真藤遙香は幻術を得意としている。いつかけられたかは判らないが、あの女は何故か呪力を打ち消すことができない化け物だ、何をされても不思議ではない。
こんなモンにオレは惑わされねぇ!
尊は無視して、その場から離れようとした。
「逃がさない……あの時みたいに……わたしを一方的に傷つけて……」
死んだはずの美佐が脚にすがり付いた。
「放せ!」
乱暴に振り払おうとしたが、信じられない力で掴んでいて離れない。
「なんでアタシを殺したの……」
名を思い出せないが、式神を打って殺した声優の少女も脚に絡みつく。
「どうして私を捨てたの……」
一度抱いただけの女もすがり付いてきた。
「ねぇ、おしえてよ、わたしが何をしたの……」
呪詛で殺した者、捨てた女たちが次々に身体に貼り付き、身動きができなくなる。
「うるせぇッ、消えろ、消えちまえ!」
すべては真藤遙香が視せている幻だ。そう頭では解っていても、身体に感じる亡者の力は本物だ。合神呪で鋼のように固くなった皮膚に彼女たちの爪は食い込み、痛みを感じる。それに尊の力も今は人間ではあり得ないほど強いはずなのに、まったく動くことができない。
しかし、それこそが今の状況が現実でないことを物語っているとも言える。
彼は霊力で幻覚を打ち払おうとした。
なんだ……
美佐や玄馬のことで混乱したため気が付かなかったが、霊力を引き出せない。いや、霊力自体感じられない。
これも……幻覚だ!
亡者のせいで身体が動かせない尊は己の唇を噛み、その痛みで幻を打ち払おうとした。
鋼の唇を刃の歯で傷つけようとするが、痛みを感じない。更に力を込めると唇と歯、両方が欠けた。
「ッツゥ……」
これが『矛盾』の答えだろうか、鋭い痛みが歯と唇に走ったが美佐たちの姿は消えるどころか、貼り付く亡者の数が増えていく。
しがみついた指先の爪が食い込み痛い。この痛みの方が自分で傷つけた場所よりも強い。
「クソッ、なんで消えねぇんだよ!」
叫んだ瞬間、頬に衝撃が走り、身体が吹っ飛んだ。
眼から火花が飛び散り、何が起こったのかも把握できない。
「いつまで寝てる、サッサと立て」
怒りの滲む声がする。そちらに顔を向けると若い男が見下ろしていた。
カルト潰しの幽鬼……?
此奴も幻覚か、鵺に噛まれて死にかけているはずだ。だからこそ、さっきは御堂永遠に憑依していたのだから。
「なに、幽霊を見たような顔してやがる。それとも、おれが怖くて土下座でもする気か?」
一気に頭に血が登る。幻覚かどうかなど、どこかへ行ってしまった。
「フザケるなッ、このザコが!」
尊は立ち上がり、悠輝に殴りかかった。
その拳はあっさり躱され、懐に飛び込んできた悠輝の裏拳が鼻に命中する。
「ガッ」
痛みに思わず顔面を押さえる。
悠輝は素速く間合を取り、踵落としを脳天に喰らわす。
一瞬意識が遠くなり、再び尊は地面に沈んだ。
「どうした、もう終わりか? キメラやスケルトンに守ってもらうか、ハルクもどきに変身しなけりゃ戦うこともできないのか?」
尊は立ち上がろうと藻掻いたが、身体に力が入らない。
どうしてだ、あの程度の攻撃で……
やっと彼は自分の身体の変化に気が付いた。首をずらし、己の掌に視線を向ける。
まるでミイラのような乾燥した肌、黒ずんでいるのは合神呪の名残か。
「な……」
確かに時間は経っているが、せいぜい一時間程度のはずだ。実際、さっきまで合神呪で強化された肉体だった。
なにが起こりやがった? これも幻覚か……
「来ないならこっちから行くぞッ。おまえは生皮剥いで八つ裂きにしてやる!」
悠輝が近づこうとすると、彼の身体が横に吹っ飛んだ。
「ったく、死んだらどうすんのよ。これ以上、苦しめられないじゃない」
真藤遙香が広場に入ってきた。そう、ここは稲本団地中央広場だ。
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