花園神社

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花園神社

 約束の時刻よりも一時間近く早く新宿駅に到着した。時間を間違えたわけでも、ダイヤの乱れで逆に早く到着したわけでもない。自らの意思で、(やぎゆ)()エレンは早めに来たのだ。  こんなことをするのは何年ぶりだろう、十年以上前、自分が新人だった頃以来だ。   何としてもここで踏ん張らないと……  このところ仕事の数が大分減っている。五年ぐらい前は、同時に二桁近くレギュラーをしていたクールもあった。ところが今は、年間通しても、レギュラーは二、三本だ。『あやかし童子』もレギュラー扱いだが、全十二話で登場は七話から、出演話数も三話しかない。   アタシは、まだまだやれる!   こんなところで終わってたまるかッ!  次々と新人が出てくる声優界。しかし、若いだけが取り柄の子たちに自分は負けてはいない。才能に加えて十年以上の経験があるのだ。努力だって欠かさない、仕事が無くても発声練習と筋トレ、そしてランニングは毎日している。例え酔って帰っても、必ず近くの河原まで走って、発声をしてから眠る。   この業界で生き残るためなら、何だってしてやる。  エレンは目的地に向かって歩き出した。やる気を見せると言っても、早すぎては逆効果になってしまう。時間を潰して調整するつもりだ、お(あつら)え向きに花園神社が途中にある。  花園神社は演劇とは深い縁のある神社で、今お参りするのにピッタリだ。  新宿の名所だが、四月は特に行事も無いためか、それほど混んではいない。エレンは柏手を打ち手を合わせて、己が声優として第一線で活躍し続けることを祈った。   あれ?  祈り終えると、誰かの視線を感じ振り返った。  特に自分を見つめている者はいない。   気のせいか……  メガネとマスクで顔を隠しているが、誰かが気付いて見ていたのかも知れない。   だったら、少し嬉しいかも。  数年前は、顔を隠していても道ばたで握手やサインを求められた。しかし、最近はそんなこともめっきり減っている。  スマホを見るといい感じに時間が経っていた。エレンは目的の場所へと向かった。  そこは雑居ビルが建ち並ぶ一角にあった。新宿でも大通りから離れたこの辺りは余り人気(ひとけ)が無い。  目的の建物に入るとすぐにエレベーターがあり、その脇に各フロアに入っている会社名が書かれたボードがある。  エレンは目的の会社の名前を確認した。   プロダクションブレーブ。  階を確認し、エレベーターのボタンを押そうとする。 「エレンさん」  聞き慣れた声に振り返る。 「萌華?」  そこには後輩の(もり)(かわ)(もえ)()が立っていた。 「どうして……」  彼女は今回の仕事には関わっていないはずだ。 「ウチ、間違っちゃったんですよ」  明るい声で萌華は答えて、彼女は近づいてくる。 「なにを?」  現場を間違えたのだろうか。 「真藤真那だと思ってたんですよ、『琴美』の声優。そんで『昴』がエレンさん。でも、アイツが『昴』だっていうじゃないですか?主役ですよ主役! 若いってだけで、どんだけチヤホヤされるんですかッ?」 「アタシに言うな!」   何なんだこの()は……  普段と変わらないように話しているが、明らかに何かがおかしい。 「ホントにどうした? こんなところで……」 「だから『琴美』ですよッ、ウチがやりたいのは!」  エレンの言葉を遮るように萌華は言った。 「どう考えたってウチの方が、オバサンのエレンさんより似合っているでしょ!」  血走った眼で彼女はエレンを睨んだ。 「なに、言ってんだ……」 「まだわからないんですか? 役をウチにユズれって言ってんですよ!」  滑らかな動きでポケットに手を入れると、萌華はナイフを取り出した。  薄暗い中、ナイフの刃がギラリと光り、エレンの腹部に突き立つ…… 「え?」  ナイフが突き立つ直前で、萌華が動きをピタリと止めた。 「なんでオマエが……」  彼女は自分の腕を見つめて話している。 「そこまでよ」  いつの間にか、三人の女性が脇に立っていた。
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