雑居ビル

1/1
65人が本棚に入れています
本棚に追加
/162ページ

雑居ビル

 萌華はギョッとした。ナイフを握った自分の腕に、尾崎佳奈に取憑いていた座敷童子が絡みついている。 「なんでオマエが……」 『デーヴァ』には佳奈は出演していないし、ブレーブに所属もしていない。 「そこまでよ」  声に振り向くと、御堂刹那と御堂永遠、そしてスマホを構えたスーツ姿の美女が立っている。  永遠がエレンの腕を取り、彼女をエレベーターに導いて二人でこの場所から離れた。 「森川さん、ムだな抵抗はしないで、一連のやり取りはマネージャーが録画済みだから」 「なんのこと? ウチは……」 「ナイフを人に突き立てようとしてトボケる気? ザッキー、危ないから持ってきて」  座敷童子は「シャッ」と萌華を()(かく)し、彼女が身を(すく)めた隙にナイフをもぎ取ると、刹那に持っていった。 「ありがとう」  彼女がナイフを受け取ると、座敷童子は嬉しそうに「ギィ」と鳴いた。 「なんでソイツがオマエのいうことを聞くんだ? それにオマエら、どこからわいたッ?」  刹那は萌華の剣幕に口角を上げた。 「ザッキーは佳奈ちゃんから(ゆず)ってもらったの」 「奪い取ったんだろ? 幸運ほしさに!」  コイツが霊力を使って役を盗っているのは知っている。 「世の中、誰でも自分と同じゲスだと思ったら大間違いよ。佳那ちゃんは座敷童子が誰かを傷つけることを恐れていた。だから自分の幸運より、他人の身の安全を選んだのよ。あんたやあたしとは違ってね」 「テメーがそう仕向けたんだろ! 座敷童子は破滅を招くとかオドしてさッ」 「たしかにその事は話したわ。でも、彼女が座敷童子をあたしに移した理由はさっき言った通りよ。  それに、あたしももう止めることにしたの。やっぱり呪力に頼って役を得るなんて間違ってる」 「ナニ、今さらイイコぶってんだ?」  萌華は鼻で笑った。 「だいじょうぶ、止めるのはあんたも一緒だから」 「勝手に……」 「それと、あたしたちはわいたりしない、柳生さんが入ってくる前から、ここで張り込んでいたの」  萌華の言葉を刹那は遮った。 「ウソだ、ダレもいなかった……」 「いないと思い込んだだけでしょ?」  刹那が小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、それが萌華を(いら)()たせた。 「それより、あなた、ザッキーが視えるのね」  今度は値踏みするように刹那は眼を細める。 「フン、霊能力はオマエら姉妹の専売特許じゃない」  今度は自分が(あざ)(わら)ってやった、一方的にやられるのは我慢ならない。例え勝てなくても一矢報いてやる。萌華は刹那たちを出し抜こうと頭を巡らせた。 「あなたとパパ、それにおじいちゃんの専売特許でもないわ」  ()(ばな)(くじ)かれ萌華は息を飲んだ。何故、尊のことを知っている?  彼とは半月以上連絡が取れない、だからこそ自ら演じたい役を奪うために危険を冒したのだ。 「あなたには二つの選択肢がある。一つは自ら事務所を辞めて、今後誰も傷つけないこと。もう一つは、あたしたちがこの映像を警察に持ち込んで逮捕されること。  さぁ、好きな方を選んで」  上から目線が気に入らない。 「どっちもお断り」  吐き捨てるように答える。 「じゃあ、どうするの?  あたしにはザッキーがいるし、永遠はもっと強いわ。こんなオモチャじゃ傷一つ負わせられない」  これ見よがしにナイフを持ち上げる。 「それに、あなたを助けてくれるパパはもういないわ」 「ナニした? オマエら尊をどうしたッ?」  刹那の「パパはもういない」という言葉に萌華は激しく反応した。  尊がこんな奴らに負けるはずがない。だが、この半月の間連絡が取れないのも事実だ。SNSもメールも電話も繋がらない、尊のマンションにも行ってみたが誰もいなかった。こんなことは初めてだ。  萌華が尊と出会ったのはおおよそ二年前。そう、再開ではなく「出会った」のだ。存在は母の美佐から聞いていたが生まれてから一度も会った事はなかった。  彼女は両親が高校生の時に生まれた、望まれた子供ではない。尊が美佐をレイプして出来た子だ。  だから美佐は恨んでいる、尊と萌華を。いや、萌華ではない、笹田みくを。  美佐が自分を愛そうと努力していたのは解っている。だが、それは無理だった。恐らくみくを見る(たび)に尊を思い出してしまったのだろう。父のことをみくが聞いても長い間美佐は何も話してはくれなかった。  母が父のことを話してくれたのはみくが小学校六年生の時だ。彼女の口から出たのは尊に対する怨みと憎しみだけだった。  それから(せき)を切ったように美佐はみくに父の怨みを述べるようになった。いや、実際に母は彼女を否定した、「あなたを産みたかったわけじゃない」「あなたがいたから私の人生は狂った」、「あなたの顔を見るとあの男を思い出すの」など、みくが生まれたことに対する(つら)みをことあるごとに聞かされた。そして美佐はみくの存在を否定した後、ひたすら謝る。  それが彼女には耐えられなかった。謝るくらいなら最初から言わなければいい、現に以前は尋ねても答えなかったのだから。つまり、美佐は娘に甘えているのだ。謝っているのも口先だけで本心ではない、当人は本気で悪いと思っているつもりだろうが。  ()(かく)、一日でも早く家を出たかったみくは、中学卒業と共に家を出た。家を出ることも進学しないことも特に母は止めもせず(とが)めもしなかった。  彼女は未成年でも雇ってくれる店を転々としながら生活を続けていた。  そんなある日、当時務めていたクラブに壷内尊が訪れた。当然、未成年のみくを雇っているような店だ、まっとうな商売をしていない。裏社会の人間が(ひん)(ぱん)に出入りするような場所だった。  そこで萌華は尊に指名された、名前を聞いて母のことを尋ねると父だと判った。彼はなんと彼女に美佐の面影を見ていたのだ。萌華は驚いたが尊はもっと動揺していた。それから、彼は(あし)(しげ)く店に通うようになった。  間もなくみくは店をやめた、尊の愛人になったのだ。実の父という感覚はなかった。生まれてから十七年、一度も会ったことがなかったのだから当然かも知れない。逆に尊は血の繋がった娘を抱くことに興奮しているようだった。  彼女にとってそれはどうでもいいことだ、今までも仕事で色々な人間に抱かれてきた。  重要なのは二つ、一人の男の相手をすれば生活できるようになったという事と、その男には特殊な能力(ちから)があるという事だ。  美佐との関係が悪化してから、みくはアニメの世界に逃げ込む事が多かった。そこにはうっとうしい母親はおらず自由で楽しかった。いつか、そちら側へ行きたいと願っていた。自分でない自分になりたかったのだ。  だが、夜の店で不法な労働をしている彼女がまっとうな事務所に所属するのは不可能だ。だから(あきら)めていたのだが、思わぬチャンスが転がり込んだ。  みくは尊の能力(ちから)で人気の声優事務所『フューチャードリーム』に潜り込んだ、森川萌華の誕生だ。そして尊の能力で邪魔者を排除しのし上がってきた。 「尊をどうしたッ?」  もう一度、萌華が問うと、刹那は肩を竦めた。 「霊力を奪われて、幻覚の中で自分がしてきたことを繰り返し自分にされているわ。あなたのママにしたこともね」  彼女の言葉の意味が理解できなかった。 「解りやすく言うと、精神を壊されて意識不明ってこと。  あと、警察に捕まったわ。その時、すっぱだかで何も持っていなかったから、身分が特定されたかどうか、あたしは知らない」  やはり訳が解らない、尊に何があったというのだ。 「何をした? 尊にいったい、何をしやがったッ?」  萌華の言葉に刹那は眉間に皺を寄せた。 「それはあんたが一番よく解ってるんじゃないの? 人を呪わば何とやら、いつかは自分たちに返って来るのよ。最後の二つの穴にはパパとあんたが入るの、永遠を狙った時点でそれは確定した」 「そんなこと……」 「そんなことあるわよ。違うって言うなら、あんたのパパはどこにいるの? なんであんたの前から姿を消したの?  それにあんたの殺人未遂の動画もある、呪術と違ってこっちは法で裁けるわ。だからここから逃げ出してもムだよ、森川萌華の声優人生は……いえ、森川萌華という声優は消えて、代わりに誰でもない笹田みくが戻るの」  笹田みくに戻る。その言葉を聞いて萌華は眼の前が真っ暗になるのを感じた。     イヤ……ゼッタイにイヤだ……ウチは森川萌華。笹田みくなんかじゃない! 「……どと……」 「え? なに?」 「二度と、あんなみじめな生活はイヤだ!」  萌華はスマホを奪おうと、刹那のマネージャーに飛びかかる。  そのタイミングでエレベーターのドアが開き、中から御堂永遠が飛び出した。 「グフッ」  永遠は一瞬で萌華を組み伏せた。  何とか抜け出そうとするが、(しつか)りと押さえ付けられ微動だにできない。   コイツ、格闘技もやってたのか……  萌華、いや、みくの中に嫉妬の炎が燃え上がる。自分よりも若く、演技力があり、なにより華がある。声優としてだけではなく、霊能者としてもこの女は優れていて、おまけに腕力もあるのだ。   ズルイ……  嫉妬を絶望が塗り替えていく、絶対に自分が勝てない相手というのは存在する。尊がいなくなった今、みくが頼れるものはない。 「ムダなあがきはよして。もう、あなたに選択肢はないわ」  御堂刹那が冷たい瞳で笹田みくを見下ろした。
/162ページ

最初のコメントを投稿しよう!