アリスだった僕に

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「呼んだか?」 「おわっ!」  もう少しで枝から落ちるところだった。 「ビョルン、お前、大人しくケーキの生地に溶けちまいな」  たぶんチェシャ猫と思われるその猫は、僕たちより上の枝から、ひひひひひ、と笑った。 「いやだい! アリスが助けてくれるもん」 「あのねえ、ビョルン、おにーさんは男なのよ。アリスは女の子だろ」  僕が呆れて諭すと、チェシャ猫はさらに甲高い声で笑った。 「あひゃひゃ! すっかり忘れているんだな! アリス!」 「これを見たら思い出すか?」  猫はデカい口を開けて、汚いノートを一冊、吐き出した。 「これって」 頭上から落ちてきたノートを見た瞬間、僕は背筋に走った「冷たい記憶」を全身で感じた。 「あんたがアリスなんだろ?」 猫がガラス玉みたいな目で僕を睨んだ。 『ガラクタの国のアリス』  ノートの表紙には、下手くそな字でそう書いてある。  僕が小学生の頃、ノートにこっそり書いた「物語」だ。  アリスになりたくて、僕を主人公にして書いてしまった、「イタい」話。  クラスの女子にノートのことがバレれて、かなりバカにされた。  僕はノートを破いて、捨てた。  ちょうど父親の転勤が決まって転校したことで、僕は不思議の国への憧れや、物語を書きたい自分を封印した。 「なんでこんなもん持っているんだよ」 「あんたがアリスだからさ」  猫が得意気に言う。 「ガラクタの国のアリスさんよ。物語を完成させなくていいのか? もうすぐ『死のパレード』が戻ってくるぞ。あいつらに捕まったら、ビョルンはその場で溶かしバターにされちまう」 「物語の続きをここで書けって? 無理だ」  僕はノートを開く勇気もなく、猫を見上げた。 「アリス、ぼくには時間がないよ」 ビョルンは自分の着ているTシャツを指さした。 「え? どういうこと?」 「時計の針はどんどん進んでいるんだ」 僕はビョルンのシャツを見たが、確かに針の位置がさっきと違う。
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