0人が本棚に入れています
本棚に追加
「呼んだか?」
「おわっ!」
もう少しで枝から落ちるところだった。
「ビョルン、お前、大人しくケーキの生地に溶けちまいな」
たぶんチェシャ猫と思われるその猫は、僕たちより上の枝から、ひひひひひ、と笑った。
「いやだい! アリスが助けてくれるもん」
「あのねえ、ビョルン、おにーさんは男なのよ。アリスは女の子だろ」
僕が呆れて諭すと、チェシャ猫はさらに甲高い声で笑った。
「あひゃひゃ! すっかり忘れているんだな! アリス!」
「これを見たら思い出すか?」
猫はデカい口を開けて、汚いノートを一冊、吐き出した。
「これって」
頭上から落ちてきたノートを見た瞬間、僕は背筋に走った「冷たい記憶」を全身で感じた。
「あんたがアリスなんだろ?」
猫がガラス玉みたいな目で僕を睨んだ。
『ガラクタの国のアリス』
ノートの表紙には、下手くそな字でそう書いてある。
僕が小学生の頃、ノートにこっそり書いた「物語」だ。
アリスになりたくて、僕を主人公にして書いてしまった、「イタい」話。
クラスの女子にノートのことがバレれて、かなりバカにされた。
僕はノートを破いて、捨てた。
ちょうど父親の転勤が決まって転校したことで、僕は不思議の国への憧れや、物語を書きたい自分を封印した。
「なんでこんなもん持っているんだよ」
「あんたがアリスだからさ」
猫が得意気に言う。
「ガラクタの国のアリスさんよ。物語を完成させなくていいのか? もうすぐ『死のパレード』が戻ってくるぞ。あいつらに捕まったら、ビョルンはその場で溶かしバターにされちまう」
「物語の続きをここで書けって? 無理だ」
僕はノートを開く勇気もなく、猫を見上げた。
「アリス、ぼくには時間がないよ」
ビョルンは自分の着ているTシャツを指さした。
「え? どういうこと?」
「時計の針はどんどん進んでいるんだ」
僕はビョルンのシャツを見たが、確かに針の位置がさっきと違う。
最初のコメントを投稿しよう!