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「──陛下がご到着されました」
従者から告げられ、謁見の間に揃っていた帝国貴族達は、一斉に跪いた。
冷たい石材の床に紺色の絨毯が敷かれ、靴音は立たない。ファサリとマントを広げて、唯一の玉座の前で、彼が振り返る。
玉座も王の杖も、新しく作り直された。旗の紋章も、多数の儀式も見直され、皇帝に仕える者達も一新された。
(残ったのは……)
玉座に近い位置にて、床を見詰めながら宰相は物思う。
新皇帝を決めるまで、およそ二ヶ月近くかかった。国内の混乱をおさめるのに時間がかかったのと、あとは貴族達の熾烈な争いが発生したためだ。
逃げ出した獣族の奴隷の代わりの、労働力を確保するのがまず大変だった。
帝国内ではあまり質の良い魔石が採掘できず、人手に頼っている。
仕方なく、下級兵士達を強制で農地に送ったが、不平や不満が広がっただけであった。
こんな事態に陥るなら、侵略などせず、普通に小国家群と交渉取引をすべきという声が増えてくるほど。
あとは、皇帝の椅子争いだ。
表側では貴族会議を何回か開き、血筋や実力から選定すべきと議論し、裏側では力ある貴族家が派閥に分かれ、誰を支持するか揉めていた。
候補は五人ほどいたが、最終的には……。
「諸侯、顔をあげよ」
「は」
優雅に気品のある所作で、まだ若い皇帝が玉座にゆっくりと腰を降ろす。
皇族特有の血を表す、黒銀の髪の青年。
「カイザヴェルド・ジルイーウ・シダ──ここに皇帝として名を刻む」
「はっ」
最初の仕事は、新しい皇帝名を名乗ること。
皇帝になると生家の家名は捨てる。皇帝だけが名乗れる皇名を付けるのだ。
誰も反対しなければ、認められた事になる……最も事前に決定済みだ。みなシンと押し黙り、新たな皇帝を見詰めた。
カイザヴェルドは、それらの視線を柔らかく受け止めた。今から──彼が皇帝である。
「宰相はミレハを継続とする」
「──は」
「軍旗はイリテカルトが預かるように」
「……はっ」
次々と新たな役職、人事が発表され、何事もなく即位式は終わる。
終われば、そのまま即位式パーティだ。
ゾロゾロと貴族達が移動するのについて行き、古いが立派な会場に流れ込む。
北の地に、雪は積もっているがしばらく快晴である。
早めの春が来たのかと、勘違いするほど──雪が少ない。
給仕達が忙しく料理や酒を補充し、貴族達は早速政治の話に夢中だ。
新しい皇帝は、顔見せだけして引っ込んでいる。パーティ用に衣装を着替えるためだ。
ベランダ側の比較的空いている席で、カーテンの影になるように座り、ミレハは料理を味わう。
(……旧皇家、旧高貴族、中貴族)
下級貴族だと、公式行事に参加資格はなく、即位式パーティの顔ぶれはだいたいいつもと同じか。
固まって話し込む幾つかの集団は、きれいに派閥事に分かれ、油断なく他派閥の様子を窺っている。
軍部内の人事移動が激しく、いかに身内を高位役職に据えられるかが、いま最も重要な……。
「悪いお顔」
「……そうかな?」
彼を彼として、話しかけてくる者は少ない。
女は歳の割には美しく、大人しそうで、旧皇家のひとつに第二夫人として、嫁いでいる。
給仕からグラスだけをもらい、傾けながら物憂げに笑う。
「……詳細はわかりまして?」
「何の、ですか」
「意地悪をおっしゃらずに」
適度に他の参加者から離れているのを横目に確かめる。
「私が聞いたのは、ギルドの色つき達に、だいぶ苦しめられたという事くらいです」
「そうですの……色はわかりまして?」
「たしか……赤、青、灰、とか」
にっこりと夫人は笑い、一礼して去って行った。
会場の盛況な様子を眺めていると、新皇帝が現れた。まだ若いというのに、そつなく挨拶をこなしている。それは当然とも言えた。元々、優秀な彼が筆頭候補だったのだ……唐突な指名がなければ……。
(リーザは、名乗りをしていない。皇帝名簿には載らない)
彼女は、いなかった者として扱われた。実家の貴族名簿からも、もしかすると名前は消された可能性もある。
在籍した学園でも、痕跡は消されただろう。運良く、仲の良い友人はいなかったから、誰も気にしない。
ひとり、物思いにふけりながら食事を楽しんで、たまに会場の様子を眺めながら、彼は空の青さに目をすがめる。
鳥の羽ばたきが聴こえた。
ゆるく風が吹き抜ける。
食事をする時だけはのんびりと……グラスの酒盃を泳ぐ小さき存在に、彼は片目をつぶった。
パーティ会場周辺がせわしなく、騒がしい様子を横目に──下級メイド達は、旧城砦の片付けと、掃除に追われる。
どうやら旧い館は軒並み撤去し、新しく建て直すらしい。
忙しくて目がまわりそうだけれど、噂好きの娘達の目下の注目は、当然。
「新皇帝陛下、まだ御歳16歳ですって!」
「優しくて、とっても素敵らしいわよー、側仕えが羨ましいわー」
「お目について、お声がかかったりしてね!」
はしゃぎながら、館の奥まで入り、次々とドアを開けて確かめる。
「やっぱり埃まみれだわ、掃除道具の追加とってくる」
「お願い」
部屋数が多すぎて、うんざりしながら残ったメイドは、ふと足を止めた。
「……こんな所に、扉があったかしら」
廊下の突き当たりだ。部屋は左右に並んでいる。首を傾げながらノブを回すと──。
小さな応接間に、本棚がぎっしりと。
「? 書庫? 倉庫かしら……」
誰かに聞こうと後ろを振り返る。あいにく皆、他の部屋だ。
「どうしよ……」
再び小部屋に視線を戻すと、人がいた。ソファに座り、読書中の。
「……!?」
さっきまでは、誰もいなかった。
悲鳴を上げて走った。
慌てて他の部屋に飛び込んだ。
「あー、それはアレよ」
「アレって何!?」
「知らないの? 昔から話があるでしょ。魔法の司書さま」
いわく、大昔。魔法の国があった頃、読書が好き過ぎて図書室から出て来なくなった、魔法使いがいたとか。
たまに、旧い館に突然扉が繋がって、助けを求める者には知恵を与えたとか。
「……」
「話しかけたら、やばかったわよー。何か質問する度に、大事なモノを奪われるんだって!」
「やめてー、怖い話苦手なの」
「私も先輩から聞いた話だから、本当かどうか! しょうがないわね、一緒に見てあげるわよ」
メイドは二人揃って、目撃した廊下へ慎重に向かったが。
「うそ! ドアがない……」
「ないわねぇ。見間違えたんじゃないの?」
「そんな……はず」
廊下の突き当たりは、何もない壁だ。
メイドはしばらく呆然と、古びた壁を見詰めた……。
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