8134人が本棚に入れています
本棚に追加
だからこそ今の佐伯家の動きは、妙というしかない。あの家の人間に限って、いまさら情に突き動かされるということは、絶対にありえないのだ。
忘れかけていた仄暗い感情が、胸の奥にじわじわと広がる。そんな和彦の機微を感じ取ったわけではないだろうが、里見が優しい声で囁いた。
『大人になった君と、またいろんなことを話したい――という下心もある。こんなきっかけでもなかったら、わたしと君は、もう二度と話すことすらなかったかもしれないんだ』
「……そんなふうに言ってもらえるほど、ぼくは立派な大人にはなってないよ」
『でも、いろんな出会いはあっただろ』
知らず知らずのうちに和彦の頬は熱くなってくる。
「それは――」
動揺して言葉に詰まった瞬間、突然横から手が伸び、公衆電話のフックを押した。電話が切れ、和彦は状況が理解できなかった。
身じろぎもできないでいると、耳に当てた受話器を取り上げられて戻される。ここでやっと、ただならぬ事態が自分の身に起きたのだと悟った。
「――先生」
すっかり慣れ親しんだ呼び方に、おずおずと振り返る。いつの間にか、すぐ背後に長嶺組の組員が立っていた。
「組長がお呼びです。これから本宅にお連れします」
こう言われたとき和彦は、全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。
恐怖という感情から。
最初のコメントを投稿しよう!