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第125話「サロンでの攻防②~ある弟の成長」
「兄様、いるー?」
フィーネルチアが無の境地で体力温存を選択したその頃、末っ子のネイドルフがひょっこりと本家のサロンに顔を出した。
「ネイドルフか、どうした」
モフモフとヴァンキッシュを撫でながら問い掛けると弟は一瞬固まったものの、コホンと小さく咳払いをすると兄の奇行を見て見ぬ振りをし
「えーと、実はちょっと困った事になっててさぁ。例の“バーソロミュー”の件なんだけど」
「バーソロミュー公爵家の?……あれは自分で対処すると言っていなかったか?」
「うん、そうなんだけど、なんかあっちが僕より兄様をご指名みたいで……」
「は?」
弟の言いたい事は概ね分かる。
だが自分を指名とはどういう事かと兄は首を捻った。
公爵家のご指名は弟の方であり、彼は連日、ご令嬢との婚約話に頭を悩ませていた。
バーソロミュー公はベネトロッサのネイドルフを我が子同然に可愛がっており、実の息子にしようと今回娘まで差し出して来たのだが……
「私を指名?」
「うん」
「お前を指名したのは他ならぬバーソロミュー公だろう」
「そうなんだけど、残念な事に彼女の方は兄様の熱烈なファンなんだよねー」
「……?」
彼女?
もしかしてバーソロミュー公の息女、ミレニア嬢の事だろうか。
怪訝そうに眉を寄せるとネイドルフはニヘッと軽く笑いながら顔の前で両手を合わせ
「て、事なんで。悪いんだけど明後日のお茶会、一緒に来てよ」
「何故だ。断る」
「ええー……だってもう僕、ミレニアに「兄様も連れてくね!」って約束しちゃったし」
「知らん。私は忙しい。巻き込むな」
「いいじゃん、偶には兄様も女の子がいるお茶会に参加しなよ。次期当主なのに未だに婚約者無しって、職務放棄もいいとこじゃない?」
「今の状況で婚約などと……そんな暇はない」
「それじゃいつ結婚するのさ?兄様、順番的に兄様が結婚してくれなきゃ、家が立ち行かないの、ちゃんと分かってるよね?長男がずっと独り身だと、下は結婚しづらいんだけど。父様たちも心配してたよ?」
「……」
ぐ、と唸りそうになるのをエルフェンティスは堪える。
弟はしてやったりの顔だ。
「兄様が分家からそのうち誰か見繕うのは分かってるけどさぁ、僕だってソーンの跡取りを作らなきゃならないんだし。でも今回の話しに乗っかったらソーンがバーソロミューに取られちゃうよ?うちの領地が裕福なのは知ってるでしょ?僕、それは嫌だなぁ……ベネトロッサの面子もあるしさぁ」
「………」
「それにミレニアは兄様の方にお熱なんだし。そんな娘を嫁取りしたら後で絶対モメそうじゃん。やだよ僕、兄様挟んでドロ沼婚とか。そんなの今時、有閑マダム向けの昼芝居でも流行らないもん」
「私に言われても困るんだが」
珍しく弟にやり込められるエルフェンティス。ネイドルフは精一杯の笑顔で「お願い!」と顔の前で手を合わせ
「ね、兄様、今回だけだから!お願い!」
「……」
「今回だけ付き合ってくれたら、後は自分で何とかします!だから、ね?ね?」
「しかし、だな」
「エル……助けてあげたら?」
「フィー?」
顎に手を当てて考えた兄に、横合いから声が掛けられた。
今迄書類に目を落とし、外界を遮断していたフィーネルチアがこちらに意識を向けていた。
「ネイトが1人で行って、バーソロミュー公に取られたら、困るのは、ベネトロッサ……」
「……」
「それに…ネイトに“お断り”は、難しい、と思う……経験不足」
訥々と話す妹にエルフェンティスは微かに眉を寄せると小さく肩を竦めた。
「断る前提か」
「だって…可哀想……」
「姉様!ありがとう、姉様ならそう言ってくれると思った!」
物静かなフィーネルチアの言葉に喜色満面でネイドルフは抱き着いた。
世界広しと言えど“凍結の魔女”とも呼ばれるフィーネルチア相手にここまで馴れ合える事の出来る者はいない。
可愛い弟に抱き着かれた姉は、ホッコリとした優しい雰囲気を滲ませる。
無論、その表情は一切変わってはいないのだが、それでもこの場にいるベネトロッサの人間ならば彼女が大満足である事は指摘するまでもなく手に取る様に分かる。
究極の愛され体質ーーネイドルフの持つ特技故とも言える。
弟を溺愛する姉は、兄に“弟に正しいお断りの仕方”を学ぶ機会を与えてやるべきだと主張した。
今後の為にも、その必要があると。
「……やれやれ、仕方のない」
「それじゃあ!」
「いいだろう。今回だけ、お前の貴族教育の一環として手を貸そう」
「やった!ありがと、兄様!!」
上手く約束を取り付けると、普段兄に対して素っ気ない弟は掌を返したように飛び付いた。少し寂しそうな姉の姿も見えたが、兄も疎かには出来ない。
同世代よりも小柄なネイドルフは長身の兄に何のてらいもなく抱き着いた。
「こ、こら、ネイト。少し落ち着きなさい」
「ありがと、兄様!ほんと大好き!」
「分かった。分かったから、少し離れなさい」
無邪気に喜ぶ弟に兄は深い溜息をつく。
一方で、笑顔のネイドルフは内心ガッツポーズをしていた。
ぃよっし!!
これで確実に潰せるっ!!
ーー我が君……
狂喜乱舞のネイドルフの脳裏に彼の中にいる騎士従霊が、兄と同じく深い溜息をつくのが聞こえた。
ーー入れ知恵をした私が言うのもなんですが……エルフェンティス様がお気の毒になって参りました
いいんだよ、偶には頑張って貰わないと
僕だけ生贄とか、意味わかんない
塔の一件で危機的状況に陥ったベネトロッサ家だったが、二大公爵家の一家バーソロミュー公爵家が後押しした事で他の貴族たちへの説明と釈明を行う機会を得られた為、辛くも窮地を脱した。
だが、そのお陰で公爵家に借りを作ってしまう形となったベネトロッサ家は、兼ねてより公爵が「是非に」と望む末子と公爵令嬢の婚姻を「ネイドルフにその意思があれば」と概ね受諾の返答を返さざるを得なくなってしまっていた。
それ故に、この件を両親から丸投げされたベネトロッサの末弟は、現在(ネイドルフ本人曰く)生贄回避の為、どうにかこうにか公爵をかわそうとしていたのだが……どうにも上手くいかず明後日催される公爵家のお茶会に引きずり出されてしまったのだ。
貴族としての経験値が足りぬネイドルフでは致し方ない事ではあった。
そこで彼は宮廷の政治事情に明るい元王宮騎士である従霊・フィンドールに相談したのだ。するとデキる従霊は同じく外交に長けたベネトロッサの長兄を同席させる事を提案した。
尤も、普通に頼んでもスパルタな長兄の事。
きっと手は貸さないだろう。
そこで重要なのが長兄が可愛がっている(というか、彼女の前だとやや立場が弱い)姉・フィーネルチアの存在である。
彼女は末弟ネイドルフを溺愛している。
その為、彼女さえ巻き込めれば長兄に対して多少の無茶難題を吹っ掛けても何とかなるだろうと踏んだ。
実際、フィーネルチアの一言でエルフェンティスは態度を軟化させている。
「兄様の手を借りるとか、冗談じゃないと思ってたけど……」
「何か言ったか?」
「え?ううん、なんでもなーい。兄様、ありがとー!」
「全く……いつまで経っても落ち着きのない」
びし
エルフェンティスが零すとネイドルフは笑顔を貼り付けたまま顔を引き攣らせた。
ーー我が君、我慢を
分かってる……ああ、分かってるとも!
けど畜生、またガキ扱いされたっ!!
ーー我が君
フィンドールが宥めたが、ネイドルフは内心歯噛みしていた。
兄に頼らねば自分で解決する事は難しい案件だったので、やりたくもない「あざと可愛い末弟」の演技を行ったのだが、どうやらこの兄はこれを演技ではなく、真実の姿と受け取ったらしい。
無論そうでなければ助力は乞えないので、ネイドルフとしては何とも腹立たしくももどかしい所ではある。
自分にもっと外交力があれば、と思わずにはいられない。
くそ……
いつか絶対、兄様を超えてやる……!
今はまだ難しいが、いつかは兄や姉の手を借りる事なく自分1人で物事を乗り切れるだけの力が欲しいと思った。
自分はソーン男爵でもある。
自分が上手くやれればベネトロッサから委譲されたソーン地方はネイドルフの子孫の物となり、何れは親族分家として確立され、その名も上がる事だろう。だが、自分が下手を打てばソーンは再びベネトロッサに戻される。
ベネトロッサを嫌う訳では決してない。が、ネイドルフにも男としての意地がある。
あの父に、最下位の爵位とはいえ資産価値の高い地方を譲られたのだから。
初めは男爵だなんて、と思っていたが、領地の経営をしていくうちに、ソーンがベネトロッサでも特別に裕福な土地であるという事が痛いほど分かった。
父様は僕を、試してる
ベネトロッサを支える1柱となるか、それとも役不足な末弟として本家に戻されるか。
全てはネイドルフの成長にかかっていた。
今はまだ敵わないけれど
いつか……
兄に認められ、2人でベネトロッサを支えていきたい。
魔術師として現場で数多くの職務をこなし、貴族としてソーン男爵家当主の肩書きと共に領地を運営していく中で、甘ったれだった末っ子は、確かに責任感と将来への危機感を抱いていた。
今回のバーソロミュー公爵家との縁談の件も、もしかしたら母からの課題だったのかも知れない。
自らに降り掛かる問題をいかにして解決するか。
貴族として自己の不利とならない状況に、どうやって持っていくか。
母であるアマリッサならばバーソロミュー家のミレニア嬢が兄であるエルフェンティスに強い憧れを抱いているのを知らない訳がない。
兄の方はと言うとーー自身に寄せられる思慕など全く気に留めた事もないだろうが。
彼は何れレシャンティーかヴァンティローザから妻を娶ると決めている様だし、何より父以上に仕事に没頭する傾向にあるので、本来ならば既に一子がいても可笑しくはない年齢であるにも関わらず、諸外国を飛び回っており浮いた話しの一つもない。
それは裏を返せば、エルフェンティスが1人で背負い込まねば次代のベネトロッサは立ち行かないと思っている事に他ならない。
婚姻し家庭を持てば否が応でもそちらに気を配らねばならなくなる。だが今はそれが許される状況ではない。そう思っているのだろう。
兄が婚期を逃しているのは自分が力不足である事の証明に他ならないのだ。
「兄様」
「何だ」
「兄様も早く結婚出来るといいね」
「余計なお世話だ」
苦い顔をした兄に弟は笑う。
反発したくなる気持ちも確かにあるが、それでも弟として、兄が偉大な存在であるという事は実感として感じていた。
人付き合いの苦手な姉たちを他所の貴族や分家たちから守り、考えの甘い弟を監視、指導し、激務の傍ら当主の補佐も行いながら本家の次席を担い、次の当主の座を確実に我がものにしようとしていた。
「兄様、俺……ちゃんとやるから」
「ネイト?」
兄様が俺に、お前に任せるって
そう言ってくれる日が来るように
「だから今回だけ、力を貸して」
「………ああ」
歯向かうだけでなく、力を合わせてベネトロッサを守る事。それはかつて父が、今は亡き叔父と成そうとして成せなかった事だ。
ネイドルフは自らの力不足で失った腕に触れ、もう1度強く未来を思い描いた。
兄と共にベネトロッサを守り抜く。
父たちが成せなかった未来を、自分たちの手で築くのだと。
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