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第126話「傍観者と諦観者」
「ユーリさん、少し、話せますか」
塔の仮本部が置かれたベネトロッサ魔導学院の講堂から僅かに離れた講義室の一角。
普段、特別な講義の時にしか開かれる事のないその場所で彼ーーサミュエル・ロートレックは水晶に向かって呼び掛けた。
『ーー……ロートレック卿か』
僅かな沈黙の後、水晶が明滅したかと思うと丸い球体越しに静かな声音が返って来た。
『貴方から連絡して来るのは珍しい。塔で何かあったか?』
「いえ、そう言う訳でもないんですが……どうしてるかなーと思いまして」
『………』
ロートレックがのんびりとした口調で問いかけると彼の数少ない友人枠に近い場所に位置する真理の目の魔術師は、水晶越しでも分かるほど怪訝そうに尋ねた。
『暇なのか』
「ええまあ、包み隠さず言うのなら、もの凄く暇なんですよねー」
『………』
「だから、知人がどうしているか、少し近況確認でもしようかなーと思いまして」
『貴方は塔の創始者だろう。私などと話している暇があるのなら塔の再建に向け動けば良い』
「いやぁ、そうしたいのは山々なんですけど、残念な事に今の僕は左遷導師ですから。オマケ部署の責任者って、こういう時、何もさせて貰えないんですよー」
『そうか。時間が余っている様で羨ましい限りだ』
「ほんと、ありがたいですよねー。仕事しなくても導師格の給料出るんですから」
嫌味のつもりだったのだが、長年魔術師として生きてきた相手にはスルーされたらしい。
ユーリがそれと分からぬ様に肩を竦めると、水晶の向こうでロートレックが笑った。
「あはは、まあそう言う訳でして。……そちらはどうです?ゴタゴタしてませんか?」
『別に何も。普段と変わりない』
「上級導師を失ったはずでしょう?それなのに、何ともないんですか?」
『ああ、何も変わってはいないな』
ロートレックの言葉にユーリは淡々と口を開く。
『ディティーズは確かに真理の一翼ではあったが、我らは本来、“個人”の集まりだ。組織としての機能は薄い。故に、導師格を1人欠いた所で何も変わりはしない。何もな』
「成程。だからそちらからの“謝罪”が速かったんですね」
『……我らは個人の集団だからな。今回の謝罪についても、私個人の、“善意による補填”に過ぎない』
「非は真理に有り、されど真理に有らず、ですか。ディティーズ個人の暴走って事になってますけど……随分とこちらへの見舞金に費用を掛けたみたいですが」
『真理の目としての謝罪ではない。と、盟主辺りは零すだろうな。事実、今回のそちらへの費用の大半は私個人が身銭を切った。ディティーズは……私の友人だったのでね』
「うわ、お友達の迷惑行為の為だけに、あの金額を1人で支払ったんですか?ユーリさん、どんだけ溜め込んでたんです?個人が払えるレベルじゃありませんよ?ちょっと人が良過ぎやしませんか?」
ジューネベルクの国庫にも匹敵する額だと指摘すると、真理に籍を置く魔術師は事もなげに語る。
『錬金術師だからな』
金はある、と。
「道端の石ころでも金に変えるんでしたっけ……貴方々がいると、デフレもインフレも関係なさそうですね」
『とは言え、石ころを金に変えるにも相応の費用は掛かる。無償ではない』
「それを聞いて少し安心しました」
ロートレックがわざとらしく胸を撫で下ろすと水晶の向こうから何処か楽しげな笑いが漏れて来た。
『それで?貴方の事だ。本当に暇だから連絡した、という訳でもなかろう』
「ありゃ、バレてましたか。流石はユーリさん」
『貴方と付き合うには相応の知識と狡猾さ、それに隠された真意を読み取る機微も必要になる。然もなくば、都合の良い様に踊らされて終わるだろう』
「あはは、成程。いや全く……本当に、若いのに侮れない人だ」
『年については、まあそうかも知れんが。侮れぬと言うのであれば、それはこちらの台詞でもある。だが……褒め言葉は素直に受け取ろう。貴方よりは若輩ではあるが、私にも特技があるのでね』
「でしたね。失念していました」
『ーーそれで?』
くっくと喉を鳴らした相手にロートレックは小さな笑みを零すと椅子に身を埋めながら相手の問いに答えた。
「新任派閥対抗の件で、少し探りを入れようかと思いまして」
『これはまた直球だな、ロートレック卿』
「お好きでしょう?」
『ああ、嫌いではない』
「で、実際の所どうなんですか?そちらからは、やはり貴方が出るんですか?」
『……それ以前に、真理からは出ない、とは思わないのか?』
「思いませんね」
ユーリの問い掛けにロートレックは即答した。
「今年は異例な事ばかり起きている。真理が1枚噛んでいるのは知っています」
『我らが新任派閥対抗を提案したと?』
「いいえ、それは違うでしょう。ですが……そうなる様に騎士団やロクスを焚き付けたであろう事は容易に想像がつきます」
『貴方は本当に厄介な男だな、ロートレック卿』
「その言葉はそのままお返ししますよ、ユーリさん。貴方の方が余程厄介だ」
『……ふん』
「で、どうなんです?真理からは貴方が出ますか?」
『こちらが答えずとも、既に貴方の中では答えが出ているのではないか?』
「確かにそうですね」
食えない魔術師相手に、こちらも食えない男筆頭であるロートレックは告げる。
「今期は貴方が出て来るだろう、と僕は踏んでいます」
『さて……どうだかな?』
自信ありげなロートレックに対し、ユーリは白を着るように惚けて見せた。
『私は確かに面白い事は好きだが、自分が当事者になる事は余り好まない。私は傍観者だ。実際に手足を動かすのは苦手なのでね』
「良く言いますよ。ネイドルフ卿の腕を返しにわざわざエルフェンティス卿に接触までした魔術師がいたそうじゃないですか。あれは貴方でしょう?」
『その方が面白いと思ったからだ』
「でしょうね。貴方の行動原理は常に、面白いか、面白くないか、ですから。だから……出て来るつもりなんでしょう?違いますか?」
沈黙がおりた。
ユーリは答えない。
だがその沈黙を聞いて、ロートレックは確信した。
「うちからは、ソルシアナ・ファウリア・ド・ベネトロッサが出ます」
『……ほう?』
その言葉にユーリの声が僅かに喜色を滲ませた。
『いいのか、ロートレック卿?他派閥に情報をリークしているが』
「構いませんよ。今の声で分かりましたから。今年は真理からも新任が出てくるーーレンハルト・フラインツィッヒ・フォン・ケンプファー……今期、唯一の新任魔術師である、貴方がね」
『何故、私だと?』
「さて、それは貴方の正体についてですか?それとも貴方が出場する事に対してでしょうか。申し訳ありませんが、ディティーズの事を調べるうちに貴方の正体にも行き当たりました。ディティーズが唯一「友」と呼んだ魔術師、それが貴方だ。レンハルト卿。そして……ケンプファーの魔術師よ、貴方が彼女に酷く固執している事を……僕は知っていましたからね」
『……私が、ベネトロッサのソルシアナに?有り得ない事だ』
ケンプファーが答えるとロートレックは更に笑みを深くした。
「貴方は傍観者だが、その傍観には波がある。例えばネイドルフ卿の腕……あの時、貴方は傍観の境界から逸脱した。それはネイドルフ卿が彼女の弟だからだ」
『……………』
「ユーリさん、いえ、レンハルト卿。貴方は貴方が思っているよりも遥かに人間臭い魔術師なんですよ」
『……言ってくれる』
気分を害した様な単語ではあったが、そこには憤りや怒りは微塵もない。
ケンプファーもまた自覚していたのだ。
己があの、ベネトロッサの女魔術師に固執しているのだと。
「他の派閥からは相当な実力者が出て来るでしょう。例えばロクスのフリューゲル師はその中でも優勝最有力候補ですが……」
『今年は分からんな。流石に立て続けに魔術師協会の理事がロクスの盟主では、面白くない。他派閥が反対するだろう』
「とは言え、彼の着任は今年までずらされましたからね。実力は本物です。しかも試合となれば彼は一切の容赦がない。尤も……今年は上手くいけば途中で勝負を投げてくれそうではありますが」
『……ベネトロッサか』
「ご明察。彼、主任の熱烈なファンですからね。きっと出てくる理由も主任に会いたいとか、サインとか助言を貰う為とか、そんな所でしょう」
去年の様な圧倒的な“実力行使”はないだろうとロートレックは告げた。
事実、ソルシアナから「フリューゲル師に文献の解析依頼を打診された」との報告があり、その件を導師会で協議している最中にも、彼から「いつ許可が降りる?」としつこいくらい進捗状況の確認書面が送られてきていた。それは今も尚継続中だ。
「けれど……」
とロートレックは呟く。
「実際、総当り戦にでもなれば怖いのは貴方の方ですね」
『私は、出るとは一言も言ってはいないが?』
「出ますよ、貴方は。絶対に……何しろ貴方には、彼女との因縁がある」
『……………』
ケンプファーが沈黙した。
ロートレックは苦笑混じりに告げる。
「僕をただのロートレックだとは思わない事です。ケンプファーの魔術師よ」
『……どこまで、知っている?』
少し苛立ちに似た声を出した若きケンプファーの魔術師に、マリウスとして千年を生きた魔術師は語る。
「全部は知りませんが……あの時、あの場に、僕も居ましたからね」
『貴方が?』
「今とは姿も立場も違いますから……多分、記憶を探っても分からないと思いますよ。あの時、あの場所には沢山の魔術師がいましたからね。その中の、ただの1人に過ぎません」
『……全く、これだから再臨者というものは恐ろしい』
「背景までは、流石の貴方も覚えてはいないでしょう?」
くすくすと笑ったロートレックにケンプファーは深い溜息をついた。
『厄介な背景もあったものだ』
「すみませんね」
『いや、いい。……確かに、彼女……ソルシーと、因縁じみたものがあるのは確かだ』
「ソルシー、ですか」
『……口が滑った』
「その渾名、ルーセントさんの前では呼ばない事をオススメしますよ」
『分かっている。竜の番に馴れ馴れしく振る舞えるほどの蛮勇は持ち合わせてはいない。それに……』
私と彼女との因縁は
そんな甘やかなものではない
『私は、そこまで甘くない』
内心を言い換えて口にだすとロートレックがケンプファーの名を呼んだ。
「……レンハルト卿」
『何だ』
ケンプファーが答えるとロートレックと名乗るマリウスの一族は悼む様に呟いた。
「貴方の痛みが、いつか癒える事を願います」
『それは……心遣い感謝する』
「いいえ。僕はあの時、あの場所に居合わせた。けれど貴方に対して何もしてあげられませんでしたから」
『それは貴方のその時の、立場の問題だったのでは?』
「ええ。でも、それでも……僕は、私は、貴方に何かしてあげるべきでした。少なくとも、今はそう思います」
『感傷だな。貴方らしくもない』
「かも知れません」
『過ぎた事だ。だが貴方の言葉は嬉しく思う、ロートレック卿。私はやはり、貴方の事が嫌いではない。得難い友だと思う。だが……それ故に忠告しよう。貴方の部下に伝えるがいい。「用心する事だ」と。私は彼女に対して、貴方が思うほど好意的ではない』
「……主任の事を知れば、きっと貴方も、好きになれると思いますよ」
『聞き流す事にしよう』
静かな言葉にロートレックは目を伏せた。
『気落ちするな、ロートレック卿。もし仮に私が出場するとしても、貴方の部下を試合というルール以外で傷付ける事は決してない。誓おう。約束する』
「レンハルト卿……」
『ケンプファーの、名に賭けて』
「……そう、ですか」
彼の言葉にロートレックは深い溜息をついた。
「出来れば……願わくは、貴方と主任が、争う事のない、トーナメントを希望したい所ですね」
『……そうだな。私も出来れば彼女とは当たりたくはない。“終わりの竜”を相手どるなど、御免被る』
「彼女と当たって互いに傷付け合うのが嫌だ、とは言わないんですね」
『言った筈だ。私は、そこまで甘くないと』
「……」
『貴方はお人好しだな、ロートレック卿』
「……ですかね。だとしたら、主任のがうつったんでしょう」
苦笑するロートレックにケンプファーは静かに告げた。
『サミュエル・ロートレック。新任派閥対抗では、私よりも気に掛けねばならぬ相手も多いだろう』
「………」
『彼女に教えておくがいい。見た目や態度に騙されるなと。恐ろしいのは魔術ではない。それを操る人なのだと』
「ええ」
ロートレックが答えるとケンプファーは頷き一言だけ告げた。
『では、話しはここまでだ。失礼する』
彼の返答も待たずにケンプファーは通信を切った。
後には1人置いてけぼりを食らった様な気分のロートレックだけが残る。
薄暗い室内で、ロートレックはソファの背もたれに自身の体重を預け天井を仰いだ。
「主任と彼の溝は、思ったより深かったみたいですね」
ロートレックの脳裏にはかつての彼と、ベネトロッサの少女の姿が浮かんでいた。
出来れば新任派閥対抗までにケンプファーの魔術師を味方に引き入れたかったのだが、彼の彼女に対する心象は思った以上に宜しくなかった。
「さて、これは困った事になりましたね」
主任、ちゃんと戦えるかなぁ……
もし彼の事情を知ればお人好しの彼女の事だ。
きっと戦えなくなるだろう。
だが今の状況でそうなれば、非常に困った事になる。
「ルーセントさんには、言っておこうかな」
何も知らずに戦えば、あの竜は間違いなくケンプファーの魔術師を殺す勢いで挑むだろう。だが、それでは色々と障りもある。
「はぁー……一難去ってまた一難、ですねぇ」
一体いつになったら楽隠居できるのかと天を仰ぎながらロートレックは溜息をついた。
彼女は知らない。
ケンプファーとの因縁を。
あれは彼女の罪ではないとロートレックは知っている。
だが、ケンプファーの魔術師はそうは思ってはいないだろう。
ーー私は、そこまで甘くない
彼の言葉が脳裏に過ぎった。
「やれやれ……」
どうして魔術師というのはこうも執念深く厄介な生き物なのかと溜息が重なった。
「主任、気をつけて下さいね」
貴女が思っている以上に、新任派閥対抗は
貴女にとって、根が深い戦いになりそうです
「諦観するのも程々にしないと、今度は相当厄介な事になりそうですね」
常なら現代の魔術師たちの争いに関わるべき立場ではないが、事がベネトロッサとケンプファーの争いならそうもいかない。
特に、ソルシアナとレンハルト。
あの2人だけは決して真っ向から対立させてはならない。
彼等はどちらも世界の理に関与する魔術師なのだから。
ソルシアナが“死”と関わりが深い様に、彼もまた別の概念と縁の深い人物だ。
「あー……頭が痛い」
頭どころか胃も痛い。
どうして神は同じ時代に世界の概念と結び付けられた人間を2人も生み出したのか。
「管理しろったって、こんなの中間管理職の権限越えてませんかね?」
唯一の救いはベネトロッサの娘が度を越したお人好しである事だ。
概念を無視する彼女の自我のみが、この場合救いとなる。
「……はぁ」
これからの戦いを思い、再臨者は重い溜息を漏らしたのだった。
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