第0.5話「ある導師の記憶」

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第0.5話「ある導師の記憶」

魔導灯の明かりが瞬く室内で、彼女ーーマリウス至源導師は考えていた。 「アルカード……」 呟いたのはかつての愛弟子の名前。 ベネトロッサという名門魔術師の家柄に生まれ、その溢れんばかりの才覚で今の地位を固めた自らの後継ーー氷の宰相と呼ばれた魔術師。 脳裏にまだ若かった頃の彼の姿がチラつく。 『マリウス導師』 物静かな子で周囲と余り馴染まない子だったが、利発で物覚えが良く、些細な事にも興味を抱き、名門の生まれだからと言って本来するべき努力を怠る者も多い中、自らの出自に奢ることなく、常に学び続けて来た優秀な魔術師。 『マリウス導師、私に上級導師など務まるでしょうか。ましてや、貴女の後継など』 上級導師就任にあたり、“私”が譲り渡した異名に、彼がそう言って難色を示したのが、つい昨日の事の様に思い出される。 『私は未熟な魔術師です。他に継げる者が無いとはいえ、貴女の後継に相応しいかどうか分かりません』 大丈夫、君ならやれますよ。 そう言うと彼は静かに頷いた。 『分かりました。導師のお言葉を信じます』 自分の評価ではなく、私の評価であるのなら間違いはないのだろう。そこに弟子である自分が口を挟む余地はない。そう言って、上級導師会から退こうとする私の意を汲み引き受けてくれた。 『私で出来る事があるのなら、力を尽くしましょう。全てはーー塔と、これからを生きる魔術師たちの未来の為に』 謙虚さを忘れず、さりとて卑下する事なく、献身的に職務に従事する子だった。 彼の最も優れた所は魔力値の高さではない。 あのーー何者にも負けぬ、未来を紡ごうとする熱意だった。 だから私は彼を後継に指名した。 現状をただ守るではなく、未来を生きる魔術師たちの為に、時に悪とされようとも死力を尽くすあの気高い意志を私は高く評価した。 彼なら間違いないと、そう信じたから。 だがーー 「私は、間違っていたんですかね?」 それに応える様に、一瞬、魔導灯の光が揺らめく。 イエスともノーとも分からないが。 いや、ただの気の迷いなのだろう。 私ともあろう者が、情けない。 「アルカード……私は、君という存在を、見誤ったのかも知れない」 若い頃の彼は冷静ではあったが年相応の野心もあり、気高い理想も抱いていた。だがいつからか、彼は少し変わった。
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