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「授業、頑張ってね」 「はい。ありがとうございます」  彼女は頭を深く下げた。心の底から感謝していたのは事実だ。 「オーバーだな。そう言えば、名前は何ていうの?」 「あ、琴吹理沙、と申します」  腕に抱えている教科書に自分の名前を書いてあった。それを見せた。 「可愛らしい名前だね。困ったことがあったら、いつでも相談に乗るよ」 「ありがとうございます」 「うん、それじゃあ授業頑張ってね」  限りなく無駄のない動作で彼女を見送ると、軽やかな足取りで去っていた。  その背中に哀愁のようなものを感じながら、彼女は家庭科室に向き合った。扉の中から賑やかな声が聞こえてくる。まだ授業を始める合図の鐘は鳴っていない。皆、談笑をしているのだろう。中に入ることが躊躇われた。だが折原に鼓舞してもらった以上、逃げ出すわけにもいかない。彼女は意を決して、恐る恐る扉を開いた。 「琴吹さん」  その瞬間、彼女を歓迎する声が轟いた。 「みんなごめんなさい」 「いやいやこっちこそごめんね。先に行ったと思ってたからさ」  クラスメイトらはすれ違いになってしまったこと、琴吹を待たなかったことに罪悪感を覚えていたようだ。正直、嬉しかった。向こうが謝ることではないけれど、気に掛けてくれていると実感することができた。それだけで、充分だ。  家庭科室の扉を開けたように、自分も心の扉を開けなければならない。自分から変わらなきゃいけない。僅かでも、胸の内で感じ始めた。  それに、折原先輩。あの人は良い人だな。感謝の気持ちでいっぱいだった。また会いたいと、細やかに思った。
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