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圭志が住む十二階の住人は海外出張中で留守であり、彼の部屋が角部屋であることが幸いした。
防水処理を施された廊下に座ると、手摺が風除けにはなってくれるが薄いスラックスの生地を通して冷たさが尻から全身に伝わっていく。
それでも、コンシェルジュが気を利かせて仮眠用の毛布と温かいコーヒーを手渡してくれたおかげで、仁の気持ちは落ち着いていた。
恵まれた環境で育ち、野外キャンプ以外でこうやって外で一夜を過ごすことなんて一度もなかった。
しかも、それが自分の為でなく、誰かのためにしているということが驚きだった。
元来、そうマメな性格ではないと自負していた仁。でも、圭志と出会って変わっていく自分に気が付いていた。
この人を守りたい。この人を愛したい。
そう思うようになってからは、毎日社内で彼の姿を見るたびに安堵し、そして嫉妬に狂い、不安に怯えた。
今までで一番人間らしく生きている。そう思わせてくれたのが彼だった。
マンションのドアの厚みがこれほど二人の距離を隔てることになるとは思ってもみなかった。
冷たいスチール製の扉。それはまるで自身を拒む圭志の心のように思えて仁は悲しくなった。
静かな廊下で耳を澄ます。部屋の中の音などそうそう聞こえるわけはないのだが、それでも彼のそばにいられると思うだけで仁は満たされた。
夜が明けてこの扉が開いた時、どんな顔で彼と向き合えばいいのだろう。どんな言葉を掛ければいのだろう。
手にしたスマートフォンの液晶画面で明日のスケジュールを確認すると、仁は引き寄せた膝に額を押し付けてそっと目を閉じた。
それからどのくらい経った頃だろう。薄らと目を開けると眩い光が手摺越しに仁に降り注いでいた。
「ん……。朝……?」
ぼんやりとした頭を何度か振り、すっかり強張ってしまった体を伸ばそうと壁に手を付いて立ち上がった時、その冷酷な扉がわずかに開いた。
足元に落ちた毛布を慌てて拾い上げると、額に張り付いた髪を無造作に掻き上げた。
「――お、おはようございます」
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