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伏せ目がちのまま玄関ドアを開けた圭志は、扉の死角から響いたやけに爽やかな声に眉を顰めた。
驚きの反面、聞き慣れた彼の声に凍てつかせていた心がふっと緩んだ。
「――なんで、いるんだよ」
扉を開け、そこに立つ長身の男を見ることなく呆れたような口調でぼそりと呟く。
「なんでって……。古崎さんのことが心配で」
昨日と同じスーツ、そして手にした毛布を見てすべてを悟った。
セキュリティは万全とうたったマンションが、そう易々と部屋の前で一夜を過ごす許可を出したとは到底思えない。彼がゴミの出し方一つでも文句をつけてくるコンシェルジュにどう取り入ったのかは分からなかったが、想定外のことが起きていたことは確かだった。
「頼んでない……」
抑揚なく言い放ち、ゆっくりとドアを閉めるとオートロックが作動する。
カチャリというラッチ音を聞きながら、圭志は手にした鞄を持ち直した。
「――安心しました。顔色、良さそうで……。あのっ、古崎係長。ちょっとシャワーだけ浴びてから出社してもいいですか?」
「は?」
「自宅に戻るわけじゃなくて……。その辺のネットカフェですぐに済ませますから」
「あ、あぁ……」
早朝からどうやったらこれほど眩しい笑顔を見せられるのだろう。昨夜、あんなに酷いことを言ったにもかかわらず、彼は一晩中この廊下にいた。
彼がなぜこんなことをしていたのか真意は分からなかったが、もしも、自身が願っていることと一致するのであれば嬉しいな……と、淡い期待を抱いた。
それでも、彼と目を合わせることは出来なかった。
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