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 それに――こうやって胸の突起を愛撫されていても嫌悪感は感じないが、お世辞でも『気持ちがいい』とは思わない。そういった感覚が欠如している男のどこがいいのだろうか。  仁のもう片方の手が臀部を優しく撫で上げる。しかし、圭志にとってはスラックスに妙な皺が出来ることの方が嫌でたまらなかった。 「――まだ、感じません?」 「いつも言ってるだろ……。不感症だって」  自嘲気味に圭志が呟いた時、胸を弄っていた仁の手がすっと逃げていった。  不意に失われていく熱が寂しくもあり、それでいてこれ以上自分に構わないで欲しいと願う。 「不感症の男なんて面白くもなんともないぞ」  内に秘めた本当の自分を見られたくない。その一心で素っ気なく口にした圭志は、排紙トレーに溜まった用紙を持ち上げ、脇に用意された机の上でトントンとわざと派手に音を立てて揃えた。  いつの頃からだろう、この感覚がなくなってしまったのは。  気が付けば、誰かに触れられることで快感を得るという感覚がなくなっていた。そのせいか、自慰の回数も極端に減り、ここ数年はまるで悟りを開いた僧侶のごとく性的な欲求さえも失っていた。  その理由は分かっている。一つは常用している薬の副作用。そしてもう一つは、自分自身の問題。  心と体のバランスが崩れてしまった今、圭志には誰かとどうなりたいという欲望はなかった。  圭志の言葉に動揺し、一度逃げてしまった手をどうしようかと考えあぐねいている仁が背後で立ち尽くしている。  いっそのこと手だけじゃなく、そのまま逃げてしまっても構わない。  出来ればそうしてもらいたい……。そう思いながら用紙を揃えていた指先にピリリと痛みが走った。 「痛――っ」  用紙の束から慌てて手を離した圭志は、自身の指先からうっすらと血が滲んでいることに気が付いた。 「あぁ……。やっちゃったな」  コピー用紙を扱っていて指先を切ることはザラだ。特に部数の多い会議の資料を纏める時は細心の注意を払っていたつもりだった。コピーした資料を汚さないように――貴重な時間を割いて、いつまでたっても結果の出ない会議のコピーなど何度もしたくないというのが本音だった。
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