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第一話 半人半鬼
――その男が目撃したのは、轢き逃げだった。
満月の夜、民家の屋根の上で状況を俯瞰していた男は、何の感慨もなくその現場を眺め続けている。彼は漆黒のマントを羽織り、左右の腰には西洋風の剣が一本ずつ。顔には奇妙な仮面をしていた。その仮面は、半分が人、半分が鬼というものだ。誰が見ても不審者だと思うだろう。
若い男女二人は、デートの帰りとでも言ったところか、住宅街の狭い路地で車を走らせていた。そして、運悪く飛び出してきた人影をはねてしまった。すぐに停車したものの動きがないことから、運転席と助手席の二人は真っ青な表情で顔を見合わせているに違いない。
しかし、いつになっても動きはなく、やがて彼らは被害者を確認することなく走り去ってしまった。
決定的瞬間だ。
だが、屋根に立つ男はひき逃げ犯のことなど眼中になく、ただ轢かれた人影だけを凝視していた。やがてそれは、のろのろと立ち上がると、ゆっくり歩きだした。どこかに向かっているという様子はなく、ただフラフラと彷徨っているようだった。暗闇に蠢いている姿は闇の住人とでも言ったところか。
男は屋根伝いにその人影のすぐ近くまで移動し、その姿をよく確認した。
そして――
「……見つけた」
その声に反応するように、ゆらゆらと彷徨っていた闇の住人は空を見上げた。
「アァ……」
鋭く風を切る音と共にマントを羽織った男が降り立った。
闇の住人は慌てることなく、その人影に掴みかかろうと右手を伸ばす。しかし、その腕は肘から先が無くなっていた。
そして、もう一閃。
血飛沫と共に首が落ちる。
「――桐崎、標的は始末した。すぐに離脱する」
抑揚のない低い声が宙を彷徨う。しかし周囲に人影はない。
『了解。ご苦労さま、影仁』
落ち着いた低い声は、機械を通して『影仁』と呼ばれた男の耳に届く。彼は、剣を腰に納め血の付いたマントをその場に脱ぎ捨てると、暗闇に溶け込んだ。
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