はるのおと 其の二

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 和室で着替えたかの子を出迎えるように、廊下の向こうから津曲がやって来る。逆光が、その表情を見せない。逆に、予想以上に似合う津曲の黒の礼服姿が、かの子の結い上げたうなじを紅く染めあげる。いけない、見えてしまう、と、かの子は慌てて顔を伏せる。夕べ、津曲から電話をうけて急ぎ用意したのは、「志ま亀」のこっくりした御抹茶色の付け下げと、濃紺のすっきりした袴である。袂に、貝合わせのシンプルな染めが入った京好みの着物は、主役を邪魔せず、式に彩りを添えるだろう。  表情を見せない津曲だが、かの子が中断しなければ、ずうっと、自分を見つめていてくれるような、そんな気がした。 「手の……。」 「はい?」 「掻き傷は、隠せませんでした。」 はにかんだように、かの子はやっと顔を上げる。 「捻挫……。」 「はい?」 「しなくて本当に助かりました。今日はよろしくお願いします。」 疾風のようにかの子の脇を通り抜けて体育館へ向かう津曲の耳朶を見て、顔を見られて困るのは、自分だけではなかったことを知った、かの子である。  壇上のかの子を見ながら、最近、こんな風に凛と袴を着こなす女性がいるだろうかと津曲は思う。ぼかし揚げだの過剰な刺繍だの、酷い着物が多い上に、まるで着物に着られているかのような身のこなし。しかし、かの子の流れるような仕草はどうだ。津曲はまた、紅潮の予兆に襲われる。――津曲には、自分が、よく、解らない。解ったと思いたいのは、自分と同じようにかの子のうなじを紅く染めあげた、その「こころ」である。
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