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蝉の声がせわしく聞こえてくると、懐かしく思い出す記憶がある。 あれは中学3年生の夏休み。 それは、蒸し暑い夏の午後だった。 受験生の私は、毎日駅前の雑居ビルにある、進学塾の夏期講習に通っていた。 まじめといえば聞こえはいいが、結局、何の取り柄も無いつまらない女の子だったのだと思う。 私は母親の言うことを聞く、いい子でいなければいけないと、思っていたのだ。 塾に来ると授業が始まるまで、席に座って一人で待っていた。 すると、前の席に座っている、二人の女の子の会話が聞こえてきた。 クスクスと笑いながら楽しそうに話している声を、私は黙って聞いていた。 「ねえねえ、知ってる?小学校のプールに無断で入っている、男子がいるんだって!」 「まじ、それって不法侵入でしょ?」 「やばいよね?捕まったら内申書にひびくじゃん。」 「ていうか、そんなことして男子ってバカだよねー」 「ほんと、バカだよねー」 扉が開いて先生が入ってくると、二人の女の子は話すのをやめた。 いつもは塾が終わると、私は、真っ直ぐ家に帰った。 雑居ビルの自動扉が開いて外に出ると、夕方だというのに、まだ蒸し暑くて汗が噴き出てきた。 こんなに暑いと塾の子たちの話しじゃないけど、プールに入ってみたい気もする。 でも、早くエアコンの利いている涼しい家に帰ろう。 今日も私は、寄り道しないで、真っ直ぐ家へ帰るはずだった。 「木藤!」 だれ? 私の名前を呼んだ人は、アイスを食べながら近づいて来た。 あっ!思い出した。 たしか同じクラスの、永瀬という名前の男子だと思い出す。 すぐに誰だかわからなかったのは、制服じゃなくて、私服だったからなのかもしれない。 同じクラスだとしても、一度も言葉を交わしたことないのに、なんで声をかけてきたのだろうか。 私は、他人のふりをして、顔を背けて無視して帰ろうとした。 「いゃあ、毎日暑くてまいっちゃうよなー。俺の部屋エアコン無くて暑くてさ。そうだ、一緒に涼しい所に行かない?」 そう言うと突然、永瀬くんに手を掴まれた。 「あっ!?・・・え?え?」 ビックリして声にならない。 嫌だ、触らないで、手を離してよ。どこに連れてくの? そう言いたいのに、怖くて声にならない。 怖くなってしまった私は、手を振りほどくことも出来なかった。 「いいだろう?行こうよ」 どうしよう、早く家に帰りたいのに・・・。 困って泣きそうになったので、私は下を向いて黙って歩いた。 この時の私は、どうしてハッキリ嫌だと言わなかったのだろうか。 「おっ!?ラッキー、アイス当たった!!」 永瀬くんにアイスの当たり棒を見せられても、私は何も言えずに黙っていた。 どう言えばいいのかわからなくて、言葉にならなかったのだ。 私が黙ってしまったからなのか、永瀬くんも黙って目の前を歩いている。 あれ? 気が付くと、つないでいた手は、いつの間にか離れていた。 今なら家に帰れるかもしれないのに、どうして私は、長瀬くんの後を歩いているのだろう。 駅前の商店街から住宅街を歩いていると、大きな建物が見えて来た。 どうやら、学校らしい。正門には、小学校と書いてあった。 まさか、塾の子達が話していた、小学校のプールに入っている男子って、永瀬くんの事なのかな? でも、長瀬くんは小学校の正門には入らず、通り過ぎて歩いて行った。 違ったのかな、だとしたら一体どこへ行くのだろう。 しばらく歩いていると、永瀬くんは小学校の体育館裏で止まった。 小学校の金網のフェンスには、人がひとり入れるほどの大きさに破れているのが見える。 破れているフェンスを、私があ然と眺めていると、永瀬くんは、手慣れた感じにフェンスをくぐり抜けて、小学校の中へと入って行った。 「木藤こっち。入るとき、頭に気を付けて」 フェンスの中に入ろうとすると、私のスマホが鳴った。 鞄の中からスマホを出して画面を見る。 「ちょっと待って電話・・・お母さんから・・・」 私は、急いで電話に出た。 「もしもし・・・はい、今塾の友達と一緒です。・・・はい、勉強を教えてました。・・はい・・・ハンバーガーショップにいます。・・・お金はあります。・・・はい、遅くならないうちに、帰ります。・・・はい、わかりました」 電話を切ると、自分が言ってしまったことにビックリする。 スマホを鞄にしまったとたんに、私は不安になってきた。 「嘘、言っちゃった・・・」 私は泣きそうになったのを、はははと笑って誤魔化した。 早く家へ帰りたいのに、どうして嘘を付いてしまったのだろう。 だけれど、今このフェンスの向こうに行けば、新しく何かが始まる予感がするのを、期待しているのかもしれない。 でも、本当に行ってしまって良いのかと、フェンスと永瀬くんを交互に見て、迷っていた。 それを、黙って見ていた永瀬くんは、私に笑顔を向けて言った。 「行こう!!」 その言葉に促されるまま、私も小学校のフェンスの中へと入った。 私は、ドキドキと高鳴る興奮を抑えながら、永瀬くんの後を追った。
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