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第1話 囚人護送船・《よもつひらさか》
それから一週間後―――東京湾は朝から荒れていた。
ぶ厚い雨雲が空に立ちこめ、昼間であるにも関わらず夜のように暗い。そのため海面は黒々と濁って見える。強風のせいか波も高く、海はすっかり時化っていた。その中を一隻の船が航行していく。
囚人護送船―――《よもつひらさか》。
灰色の鉄骨が武骨に張り出した船は、物々しい雰囲気を醸し出していた。甲板には機関砲や対潜迫撃砲が搭載されているのが見て取れる。民間船ではなく、明らかに戦闘を前提とした船だった。
それもそのはず、囚人護送船は旧海上保安庁のPL型巡視船のお下がりに独自に改造を施したものなのだ。かつてヘリポートのあった場所には二階建ての雑居房が増築してあり、船はもとの姿にくらべてずいぶん不格好になってしまっていた。
ただ、囚人護送船に搭載された装備類の銃口は外部の敵に向けたものではない。むしろ内部からの脱走者を排除するためのものだ。
伊勢湾を出港した護送船は、紀伊半島沖をぐるりと迂回して、伊豆半島沖を北上し、浦加水道を通過したところだった。目の前にはだだっ広い内海が広がっている。
その中を航行しているのは、囚人護送船ただ一隻だった。どれだけ悪天候であろうとも、東京湾の海上はかつては多くの大型船舶で賑わったものだ。そう―――東京が首都と呼ばれていた頃は。
東京特別収容区―――通称『監獄都市東京』。
三十年ほど前からゴーストと呼ばれる異能力者が世界中に出現するようになった。日本においてもそれは例外でなく、異能力者―――ゴースト達は爆発的に増加し、人との間にさまざまな軋轢と摩擦を起こしはじめ、社会問題にまで発展するようになった。
政府は対応を迫られ、選択したのが異能力者たちの徹底的な隔離政策だった。
当時、もっともゴースト人口の多かった東京は対ゴースト特別収容区―――監獄都市に認定され、《関東大外殻》と呼ばれる外壁に囲まれるようになった。範囲はおよそ旧二十三区内だ。その周囲を高さおよそ三百メートルの外壁―――《関東大外殻》がぐるりと囲んでいる。この堅牢な隔壁は外界との接触を徹底的に遮断することを可能にした。
その中に日本中のゴーストを見つけ次第捕え、送り込んでいるのだった。
囚人護送船もまさにその任務の最中だった。これから《監獄都市東京》に囚人―――つまりゴーストたちを運び込むのだ。船内の雑居房には大勢のゴーストがすし詰め状態で押し込まれていた。
雨宮深雪が入れられたのも、そのような雑居房のひとつだった。
船内は薄暗く、湿気が充満している。船体の劣化による錆の匂いと人間の発する汗の匂いが一緒くたになって沈殿し、息が詰まりそうだった。窓がないので外の様子は分からない。ただ、床が規則的に上下を繰り返すので、まだ海の上を航行していることだけは分かる。
六畳ほどの狭い部屋の中には、深雪を含めて五人ほどが収容されていた。男ばかり、年齢はさまざまだ。入り口には頑強な鉄格子が嵌めてあり、その向こうには細長い廊下が伸びている。さらに反対側には同じような雑居房がずらりと並んでいた。
時おり、廊下を見回りの看守が通っていく。看守といっても、その姿は警察の特殊部隊そのものだ。黒いヘルメットに胴体や手足を覆う黒いアーマー。肩からは自動小銃を提げている。
船内の床や壁にはあちこちに銃弾の痕がそのまま残っており、看守の武装が決して見せかけの脅しではないことを物語っていた。彼らが廊下を通るたび、船内にはピリピリとした緊張感が漂う。
深雪は雑居房の壁に背中をあずけ、あぐらをかいて座っていた。他の同室の者達も、みな似たような体勢だ。最初は立っていたが、誰ともなく座りはじめ、今はみな床にそのまま座っている。
金属質の床は硬質で湿気を帯びているため、体の芯まで冷え冷えとした。居心地は最悪だ。ずっと薄暗い部屋に閉じ込められているので時間の感覚がないが、おそらく今日中には東京に到着するだろう。あと数時間の辛抱だ。
深雪はフードつきの黒のジャケットとジーンズという格好だった。どこの町にもいそうな、ごく普通の若者の姿だ。斑鳩科学研究センターがいくつか用意してくれた服装の中で、最も動きやすそうなものを選んだ。
だが、手首と首には無骨な金属の手錠と首輪が装着してあり、異様に重く、動きやすいとは言い難い。それらは囚人護送船に乗船する時、看守によって強制的に装着するよう義務づけられたものだ。護送具には数字で『二〇五』の文字が刻まれていた。
同室になった他の四人のゴーストにも、みな同じ金属の枷が同じ場所に取りつけられている。おそらく、彼らにもそれぞれ別の番号が割り振られているのだろう。
同室の者は四人とも皆、壁に身を預けて黙り込んでいたが、沈黙に耐えられなくなったのか、その中の一人が口を開いた。
「くそったれ……何でこんなことになったんだ! これじゃ人生終わったも同然だ……!!」
白髪を角刈りにした六十過ぎの男だった。真っ青なエプロンをしており、そこには『稲葉酒店』と印字されている。酒店の店主、稲葉は困り果てたように頭を抱えていた。普段は穏やかであろう目元には深いシワが刻まれ、言葉にも悲壮感が漂っている。
すると稲葉の向かいに座っていた男が小さく舌打ちをした。五十代前半ほどの男で、ノースリーブのダウンジャケットといい、野球帽といい、アウトドアの真っ最中といった格好だ。口の周りを囲むように濃いひげがある。確か名を河原と言ったか。
「うるせえよ。あんたの泣き言なんざ聞きたくねえ。みんな同じなんだ。ゴーストってだけで、この扱いなんだ!」
河原はイライラとした様子でそう吐き捨てる。
すると稲葉の隣に座っていた灰色のスーツ姿の男がびくりと身を縮めた。三十代の半ば頃で眼鏡をかけ、髪を額できれいに分けた痩せぎすの男だ。
「……東京に行ってどうします? あそこは《監獄》だって話でしょう。市役所の事務をやっていた僕でも生きていけるんでしょうか……?」
彼の名は田中だ。田中は気の弱い性質らしく、乗船した時からずっと忙しなく右手の人差し指を床に打ちつけている。深雪には彼が必死に冷静を装っているようにも見えた。
すると今度は、別の壁に身を預けた若者が溜め息をつく。
「しかも看守のいねえ《監獄》っすね。あ、ちなみに自分フリーターっす」
彼の名は久藤と言った。髪を茶髪に染め、耳にはピアスをつけている。繁華街の街角でギターをかき鳴らしていそうな若者だ。年齢は二十代前半か。その久藤はあきらめ半分といった様子で自嘲気味に笑った。
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