第1話 囚人護送船・《よもつひらさか》

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 雑居房(ざっきょぼう)の中は再びシンと静まり返る。時おり古びた船体の(きし)む音が響くのみだ。すると酒店の店主、稲葉(いなば)が他の者に向かって身を乗り出し、声をひそめて切り出した。 「なあ……逃げるってのはどうだ!? 今ならまだ間に合う!」  しかし、他の者の反応は薄かった。フリーターの久藤は困ったように肩を(すく)める。 「や……それはやめといたほうがいいっすよ。この《護送具(ごそうぐ)》で繋がれてる間はね。今までそうやって逃亡を図って、生き残ったゴーストはいないって話ですもん」  そう言って久藤はそれぞれにはめられた手錠と首輪―――《護送具(ごそうぐ)》と呼ばれる金属塊を指さした。  看守によれば、《護送具》にはGPS機能がついており、衛星を介して徹底的に管理されているらしい。おまけにもし囚人が船から逃げ出したり、《護送具》を勝手に外そうとしようものなら、数千ワットの電流が流れるようになっているのだという。  たとえ《護送具》の解除に成功したとしても、武装した看守と武装した護送船が行く手を(さえぎ)っている。さらにそれらの追っ手を(かわ)したとしても、ここは海上だ。どこにも逃げ場などない。そのせいか囚人護送船(よもつひらさか)の航行史上、ゴーストの脱走者が出たことはないそうだ。 「そもそもゴーストって何なんだ⁉ 俺はただゴースト反応が出たってだけなんだ。自分の能力……アニムスが何かも分かってないってのに……!」  河原が苛立ちを(つの)らせて語気を荒げると、気の弱そうな公務員の田中が引きつった半笑いで相槌(あいづち)を打った。 「あ、そういう人多いらしいですね。結局、死ぬ間際まで自分のアニムスが何か分からなかったっていう……」  異能力者―――ゴースト達の持つ不可思議な力はアニムスと呼称されているが、その由来も原理もいまだ謎に包まれている。彼らが何故そんな力を手にしたのか。世界中のあらゆる研究機関がゴーストの研究を行っているが、その実態はほとんど解明されていない。  ただ、分かっていることもある。それはゴーストの多くはもともと普通の一般市民だったということだ。ごく普通の生活を送っている何の変哲(へんてつ)もない人間が、ある日突然、超常的な力に目覚めるのだ。  その異能力はゴーストによってさまざまで、火や水などの物質を操る能力からゴースト自身が透明化するなど身体が変化する能力。他人の心や精神を支配する能力など多岐(たき)にわたる。ゴーストの数だけアニムスの種類があるとも言われているほどだ。  まるでファンタジー世界のような奇怪(きっかい)な能力の数々は、次第に社会の中で恐怖と嫌悪、摩擦(まさつ)といったあらゆる悪感情を招くようになった。それが大きな軋轢(あつれき)へと変わるのに、さして時間はかからなかった。  そして今やゴーストの存在は人間社会全体に巨大な歪みを生むまでになっていた。 (ただ……それだけならまだしもだけどな)  深雪は胸中でつぶやいた。この隔離政策には深刻な問題がある。それはゴースト全員が分かりやすく異能力に目覚めるわけではない、という点だ。  ゴーストになった人間は《アニムス波》という名の、特殊な波長の電磁波を発するようになると言われている。ところが同じゴーストでも、アニムス波が強い者もいれば、弱い者も存在する。  アニムス波が微弱な者はアニムス(異能力)がはっきりとした形になって発現することもなく、一般の人間と何ら変わりがない。だが、それでも等しくゴーストとして扱われ、東京に送り込まれているのが実情だ。  おそらくこの房内の者も、ほとんどがはっきりとしたアニムスを持たない者たちなのだ。だからこそ、こんなにも不安そうな表情をしているのだろう。 「……もういい。そんな話はたくさんだ!!」  稲葉はまたしても頭を抱えて(うめ)く。河原はそれを不機嫌そうに見つめていたが、口を挟むのも面倒になったらしく、今度は悪態(あくたい)をつくことはなかった。かわりに深雪のほうへ視線を投げると、(いぶか)しげに尋ねてきた。 「……おい、兄ちゃんはどうなんだ。さっきから黙ってるが、何か知らねえのかよ?」 「さあ……俺は何も」と深雪は小さく答えた。 「俺は何も知らない。最近、冷凍睡眠(コールドスリープ)から目覚めたばかりだから……」  すると、それを聞いた久藤が不思議そうな表情をした。 「コールド……何スか?」 「冷凍睡眠(コールドスリープ)ですよ。SFなんかによく出てくるでしょう。いわゆる人間の冷凍保存ですよ」  何故か田中が嬉しそうに説明したので、房内の視線がそちらに集中する。すると、それに気づいた田中は恥ずかしそうに付け加えた。 「あ、すみません。僕、結構映画好きで……特にSF映画が好きなんですよ。それでつい……」 「ふうん……って言うと何だ? 兄ちゃんは冷凍づけにされてたってのか? サンマやマグロみてえに」  稲葉が目を瞬かせると、河原が不機嫌そうに深雪を睨みつけた。 「馬鹿馬鹿しい。そんな話、聞いたこともねえ。だいたいどうして人間を冷凍しなきゃならねえんだ? それでいったい誰が得をする?」 「………」  深雪は何も答えなかった。いや、答えられなかった。深雪とてすべてを把握しているわけではない。どうしてこうなったのか。これからどうすればいいのか。分からないことが山のようにある。  そもそも深雪はただでさえ二十年前の人間なのだ。河原たちより多くの情報を知っているはずもない。聞くことはあっても、答えられることはないのだ。  ただひとつ、彼らと違うところがあるとすれば、深雪は望んでこの東京行きを受け入れていることだろう。深雪は東京で生まれ育った。だから生まれ故郷に戻って確認したいことが山ほどあるのだ。両親はどうなったのか。学校は、友人は、そしてかつての仲間たちはどうなったのか。  だが、それを彼らに説明したところで理解は得られないだろう。深雪はジャケットのフードを目深に被り、河原の視線をやり過ごした。 「……。無視ですか……」 「クールっすねー」  深雪の反応に、田中と久藤は顔を見合わせて肩を(すく)める。一方の河原は顔をしかめると聞こえよがしに舌打ちをし、吐き捨てるように言った。 「チッ……これだから最近のガキは……!」 「それが賢明かもな。こうやって話したところでラチが明かねえ……体力の無駄だ」  稲葉が最後にそう締めくくった。観念したのか、それとも愚痴(ぐち)を吐きだして少し落ち着いたのか。大きく溜め息をつくと、そのまま口をつぐんで黙りこんでしまう。  房内に再び沈黙が下りる。それきり誰かが口を開くことはなかった。
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