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第2話 東京港
囚人護送船は東京湾を奥へと進んでゆく。そして東京ゲートブリッジの下を通ると、いよいよ東京湾に入港した。
その頃になると厚い雨雲は途切れ途切れになり、空にはわずかな晴れ間が覗いていた。
囚人護送船が旧東京港フェリー埠頭に接岸して間もなく、深雪たちゴーストは武装した看守によって下船を促された。手首や首を《護送具》で繋がれたゴースト達は、今のところはみな大人しく列を作って、ぞろぞろと桟橋を渡っていく。
中には女のゴースト達も大勢いるようだ。制服を着た学生から主婦と思しき私服の中年女性、スーツ姿のOLなどさまざまで、年齢も子供から老人まであらゆる世代がいる。おそらく男のゴーストとは別の区画に収監されていたのだろう。
(思ったより、たくさんいるんだな……)
船内にいた時は暗くてよく分からなかったが、男女合わせると数百人に上るのではないか。ゴーストの表情もさまざまで、不機嫌そうに顔をしかめている者もいれば、不安そうに周囲を見回している者、今にも泣きだしそうな者もいる。いずれにせよ、この状況を喜んで受け入れている者は皆無だった。
とにもかくにもここをやり過ごし、東京に入らなければならない。無事に収監されなければ、家族の安否を知ることもできないのだ。深雪もまた流れに身を任せ、目立つことのないよう大人しく歩いてゆく。
桟橋にはすでに船内にいた看守と同じような装備をした黒づくめの男達が目を光らせて、こちらを睨んでいた。黒いアーマーの背中には『東京警視庁』という文字が見える。黒いヘッドマスクで顔を覆ったその姿は、無言であるせいか、ことさらに迫力がある。
ゴースト認定を受けたとはいえ、囚人護送船で運ばれてきた者の多くは一般人だ。みな言葉には出さないが、その黒づくめの男たちを怖れ、視線を合わせないようにしているのが分かる。収監される前からこの待遇ならば、《監獄都市東京》の中ではいったいどんなひどい扱いをされるのだろうか。誰もが暗澹たる心境でいることだろう。
ところがその時、ターミナル施設のほうから思わぬ喧噪が聞こえてきた。
「うちで働きませんかー!?」
「従業員を募集してまーす!!」
エントランスから一斉に大きな掛け声が聞こえてくる。そちらに視線を向けると、手書きの派手な看板や幟、垂れ幕がいくつも目に入る。中でも目立つのは人員募集の赤い文字だ。大勢の人間が我も我もと大声を張り上げ、こちらに向かって手を振っている。
「何だありゃ……?」
「人員募集って……何かの勧誘か?」
その予想外の平和的かつエネルギッシュな光景に、下船したばかりのゴーストたちはみな呆気にとられてしまう。深雪も少しばかり驚いたものの、次の瞬間には「なるほど」と納得していた。
(この光景、どこかで見たことがあるぞ……)
そう、新学期によく目にする部活動やサークルによる新入生の勧誘だ。《監獄都市》となった東京は《関東大外殻》という隔壁に囲まれ、外部との接触がいちじるしく制限されている。人の流入も限られているため、こういった場所で人員争奪戦が繰り広げられているのだ。
「なんか……聞いてたイメージと違うッスねー」
「……本当に賑やかだなあ。大学や高校の入学式を思い出すよ」
深雪の後ろを歩いていた久藤と田中が思わずといった調子でつぶやいた。
「な……何だよ、心配させやがって……!」
安堵した様子の稲葉に、河原も「モロびびってたもんな、あんた」と頬を緩めながら答える。並んでいる他のゴースト達からも、どこかほっとした空気を感じる。深雪も張り詰めていた緊張の糸が一瞬、緩みそうになる。
しかし、すぐに港の端々に警視庁が待機させている部隊の存在に気づいてしまった。
(あれは……)
警視庁ゴースト対策部―――機動装甲隊。
彼らは囚人護送船の船内にいた看守たちと同じように武装していたが、装備内容はまったく違う。四肢や胴体、頭部を覆う黒い装甲は分厚く、固い金属板で覆われている。
強化外骨格―――機械装甲だ。
彼らの背中に機械類が大きく張り出しているのは、強化外骨格を動かすための燃料や動力を積んでいるのだろう。手の甲は精巧な機械腕 に覆われており、それらはまるで重機関銃のような巨大な銃火器を握っていた。人の力では決して持ち上げられないような大口径のものだ。
機動装甲隊の大きさは、装備している強化外骨格を含めると三メートル近くになる。船内の看守や警視庁の特殊部隊の隊員たちとくらべても、ひと回り近くも大きい。彼らが動くたび、重々しい足音と電子制御されたアクチュエーターの駆動音が響く。
深雪がまだ東京にいた頃―――つまり二十年前にもすでにゴースト鎮圧を目的とした機械装甲隊は警察によって導入されていた。しかし、今の機械装甲隊は深雪の記憶にあるものよりもはるかに進化し、高機能化している。
彼らが何を目的として待機しているのか。深雪はなるべくその可能性について考えないようにした。このまま何も起こらなければ、きっと彼らが行動を起こすこともないだろう。深雪はそれを願いつつ、頭を覆ったフードを目深に被り直した。
ところが深雪の願いも虚しく、場の空気が一変する。
「うわあああああああああああ‼‼」
それはヒステリックな男の叫び声だった。列を作って移動する深雪たちの後方から聞こえてくる。
「な……何だあ!?」
河原はぎょっとしたような声を上げた。稲葉や久藤、田中も驚いて背後を振り返る。
深雪もまた絶叫の先に視線をやった。すると後方の離れた場所で、見知らぬ少年が列を乱して暴れているのが見えた。
灰色の学生ズボンに紺のブレザー。赤みがかったネクタイが緩んでいるものの、どこにでもいそうな、ごく普通の学生だ。遠目から見ても、その少年がかなりの錯乱状態に陥っていることが分かる。
「い……いやだあああ、僕が何したって言うんだ!! 東京なんかに来たくなかった! 帰してくれぇぇ!!」
少年は追い詰められたような表情でそう叫ぶと、《護送具》に手をかけ、無理やり外しにかかった。おそらく恐怖と緊張が極限に達し、耐えられなくなってしまったのだろう。
周囲のゴーストはみな戸惑いと不安を顔に浮かべながら少年と距離を取り、遠巻きにしてその様子を見つめている。
すぐに待機していた警察官たちが動いた。
「こら、静かにしなさい!」
特殊部隊の隊員が数名、少年と距離を取りながら声をかける。肩から下げている自動小銃の引き鉄に指を添えているのが見えたが、まだ銃口は向けていない。できるだけ刺激しないようにという配慮なのだろう。
しかし、少年の興奮はいっこうに収まる気配がなかった。充血した目をギラギラと異様に光らせ、口角に泡を飛ばしながら誰にともなく叫ぶ。
「う、うるさい! 近づくな! 僕は……僕は………!!」
そして次の瞬間、少年の瞳―――その瞳孔の縁に赤い光がくっきりと灯った。前屈みになった体がゆらりと発光しはじめる。
「おい……あいつ、何かヤベえぞ!?」
河原はうわ擦った声でつぶやいた。深雪もはっとする。
少年は錯乱するあまり、異能力を発動させようとしているのだ。それを見てとったのだろう。今度は機動装甲隊が動き出す。機械装甲に身を包んだ警察官の一人が腕に取りつけた小型の機械を少年のほうに向けると、低い声で言った。
「……アニムス波、上昇確認。ただちに制圧する」
それはサーモグラフィに似た装置だった。ゴーストの発するアニムス波を計測し、数値化する機械だ。おそらく彼が、この場の責任者なのだろう。
その命令を受け、ぶ厚い機械装甲に覆われた機動装甲隊が即座に動きはじめる。
少年の近くで待機していた隊員の一人が手に持っていた重機関銃を向け、躊躇なく引き鉄を引いた。凄まじい轟音とともに銃口が火を噴く。弾は錯乱した少年にほぼ全弾、命中した。
少年の体はボーリングのピンのように吹っ飛び、そのまま地に伏してしまう。被弾してはいるものの、意識はあるようで、右足がわずかに痙攣している。
普通の人間であれば、間違いなく少年は即死していただろう。だが、ゴーストは普通ではない。特にアニムス波の高いゴーストは異常ともいえる生命力や破壊力を発揮する例が多々ある。だから必然的にゴーストを取り締まる側の装備も、より強力なものにならざるを得ないのだ。
少年が倒れ込んで間もなく、別の機動装甲隊の隊員が首にスタンガンを押し当てた。少年はびくんと激しく痙攣すると、そのまま完全に意識を失い、ぴくりとも動かなくなってしまう。
他の警察官たちは、ぐったりとした少年の体を担架に乗せると、荷物でも運ぶかのように人目のつかない場所へと運んでいく。
周囲のゴースト達は、みな固唾を飲んでその一部始終を見つめていた。港はしんと静まり返り、誰もひと言も発さない。
「……う、うそ……でしょ………!?」
しばらくして、ようやく久藤がそれだけつぶやいた。
「やっぱり、俺たちはとんでもないところに来ちまったんだ……!!」
先ほどホッとひと息ついたばかりの稲葉は、またしてもこの世の終わりを迎えたかのような悲痛な表情へと逆戻りしてしまう。
ゴースト達の間に静かな動揺がさざ波のように広がっていく。
ただ、この場を取り仕切る警察官たちの動きには一切の淀みがなく、彼らにとって一連の騒動が日常茶飯事であることを物語っていた。
「おい、ゴーストは全員こっちに並べ! 入監手続きを開始する!!」
何事もなかったように平然とゴーストの誘導をはじめた警察官を見つめつつ、田中はひそひそと囁いた。
「だ……大丈夫ですよ。大人しくしていれば……ねえ?」
「そ……そうだ。東京は広い。街の中に入っちまえば警察に遭遇する確率だって減るだろ」
そう答える河原の声にも、強い緊張がにじんでいる。
(東京港がこの状態で、街の中がまともだとも思えないけどな……)
深雪はそう思ったが、口には出さなかった。あまりプレッシャーをかけると、ほかにも暴れるゴーストが出るかもしれないし、稲葉にいたっては悲嘆のあまり東京湾に飛び込んでしまうかもしれない。
どんなに泣こうと叫ぼうと、もう《監獄都市東京》のすぐ目の前まで来てしまったのだ。これ以上の騒ぎが起こったところで中に入る時間が遅れるばかりで、良いことなど何もない。
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