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第24話 新人歓迎会
深雪は事務所の部屋でその後の二週間を過ごした。
傷は思いのほか深く、最初の一週間はひとりで起き上がるのも難しいほどだった。
包帯はシロやオリヴィエが替えてくれた。特にシロは食事や水を運んでくれたり、衣服を用意してくれたりと、甲斐甲斐しく接してくれた。
何だか申し訳ない気もしたが、シロはそれを不快に思っている様子はなく、ニコニコと楽しそうにしていた。それで、深雪も彼女の厚意に甘えることにした。
さらに動いて外に出られるようになるのに、一週間ほどかかった。
深雪はシロの用意してくれた、Tシャツとデニムパンツを身に包み、部屋のドアを潜る。
「誰も、いないのか……」
廊下は相変わらず、しん、と静まり返っている。最近は深刻な事件がないのか、一階もさほど動きがない。
二週間前の事件――高山たちのリスト登録と死刑執行が、派手な衝突を抑えているのかもしない。
階段の方へと向かおうとして、腹部に鈍い痛みが走った。
「いって……まだ痛むな……」
傷はだいぶ塞がってきたが、痛みはまだ残る。壁に手をついて顔をしかめていると、階下から誰かが上がって来る足音がした。
顔を上げると、琴原海(ことはら・うみ)とシロが姿を現した。
「ユキ!」
「雨宮さん、大丈夫ですか⁉」
二人は深雪の姿を見ると、驚いて駆け寄ってくる。深雪はなんとか、弱々しい笑顔を返した。
「ああ、うん……まだ痛むけどね。寝てばっかなのも逆にしんどいし。二人とも、一緒だったんだ?」
「うん、そうだよ。二人でユキのお見舞いに行くところだったの」
シロはいつもの、ほとんど黒に近い濃紺色のセーラー服だった。
一方の海は、今日は初対面の日に見かけた制服ではなく、クリーム色のワンピースを着ている。
深雪の視線に気づいたシロが、にこりと笑って説明を始めた。
「海ちゃん、今はオルの孤児院にいるんだって」
「そうなんだ?」
「はい。私、孤児院の受け入れ年齢を越しちゃってて……でも、オリヴィエさんのおかげで入れてもらえることになったんです」
「そっか。それなら当分安心だね」
海はどこか安堵したような表情で頷いた。確かに、初めて会った時よりはずっと精神状態も落ち着いて見える。今の環境が良い影響をもたらしているのだろう。
「でも、」と海は続けた。
「長居するわけにもいかないから、どこかで働かなきゃ……」
「あてはあるの?」
「それなんですけど……私、ここの事務所で働いてみようかと思うんです」
「えっ……?」
そんな言葉が返って来るとは、思いもよらなかった。深雪は驚き、海の顔をまじまじと見つめる。
ところが彼女は真剣そのもので、それが余計に深雪の言葉を濁らせた。
「でもここは……その、いわゆる普通の探偵事務所とはちょっと違うっていうか……」
「……分かっています。マリアさんに聞きました。私は現場で動き回ることはできないけど、事務なら何とかやれるんじゃないかって……。もし、また私みたいな被害を受けた人がここに来たら、支えてあげたいんです」
「それは……気持ちは分かるけど……」
深雪としては、海には《死刑執行人(リーパー)》とは無関係でいて欲しい。なおも言い淀むと、海はつと目を伏せた。
「私……結局、何もできなくて……雨宮さんやシロちゃんを巻き込んだだけ。その脇腹だって、私のせいでそんなひどいことに……。でも、このままじゃいけない、何かしなきゃって思って」
「海ちゃん……」
シロが心配そうに海の顔をのぞき込む。深雪も慌てて言い足した。
「俺だって、大したことは何もしてないよ。気にしなくても……」
「そんなことないです! 私、雨宮さんにすごく励ましてもらったし、シロちゃんにも助けてもらいました。二人とも、私と殆ど年齢が変わらないのに、しっかりしてて、すごいなあって……とても勇気づけられたんです。私も、強くなれるのかなって……」
「そんな……過大評価しすぎだよ。俺、全然余裕なかったし、色々必死すぎて、行き当たりばったりで……」
「だから、です」
「え……?」
「雨宮さんが一生懸命だったのは側にいて分かりました。霧とともにあの人たちが現れた時、雨宮さん、声が少し震えてた。
ああ、きっとこの人も私と同じで怖いんだろうなって、そう思ったら自分の中の何かが、それまでと少しずつ変わっていったんです」
海は深雪をまっすぐに見つめる。
「あの時、私には何の力もなくて、それだけでこの世が終わったみたいだった。でも、気付いたんです。抵抗しなきゃ……自分のできる方法で抗わなければ、ただ流されるだけの木屑(きくず)になってしまう。私の知らないところで自分の生死すら勝手に決められて、反論すらできなくなってしまう。
そんなのは絶対に嫌……だから私は、私自身のためにも、誰かのために何かがしたいんです!
それが、私にとっての戦いだから……!」
海の瞳には強い決心が宿っていた。
弱々しく儚(はかな)げな彼女の、どこにそんな力があるのだろうと不思議に思うほどの強靭さが、そこにはあった。
深雪は悟る。彼女を止めようとしても無駄なのだ、と。下手に説得しようとしたところで、きっと海が考えを覆すことはないだろう。
(俺は、少しは彼女の役に立つことができたんだろうか……)
もちろん自分ひとりの力で彼女を窮地(きゅうち)から救ったわけではない。しかしともかく、自分が起こした行動が、あれだけ弱々しかった海に、これだけ強い光を与えたのだ。
深雪が東京に戻って来たこと、高山と対峙したこと……それらの燻(くすぶ)ってもやもやとしていた事が、決して無意味ではなかったのだと、そう思えるような気がした。
深雪はまっすぐな海の瞳を見つめ返す。
「そう……決めたんだ」
「……はい! ……って言っても、これから面接で、まだ決まってはいないんですけど」
海は恥ずかしそうに頬を染める。
「今から六道にその事おはなしするんだ。行こう、海ちゃん」
「うん。それじゃ、雨宮さん、行ってきますね」
シロと海は互いに顔を見合わせて頷くと、こちらに向かって手を振った。
「行ってらっしゃい。いろいろ手強いと思うけど……頑張って」
自分の時の過酷な面接を思い出し、一瞬、海があの迫力に耐えられるだろうかと心配になる。
しかし、すぐに思い直した。今の気丈な彼女なら、きっと大丈夫だ。
二人はそのまま背を向けるが、シロがふとくるりとこちらを振り返り、ててて、と戻ってくる。
そして、下から深雪の顔を覗き込んだ。
「ユキ、まだ無理しちゃだめだからね?」
「分かってるって」
「ホント? 約束だよ」
すると突然、シロが顔を近づけてくる。そして深雪が何かリアクションを返す間もなく、額と額をピタリとくっつけた。
「し……シロ……?」
深雪は動転するが、シロは額にすっかり意識を集中しているようだった。真剣な顔をして宙を睨んでいたかと思うと、不意に、うん、と頷いた。
「もう熱はないみたい、だね?」
シロは身を翻すと、ニコリと笑う。
「また後でね!」
「……う、うん」
シロと海は六道の書斎の方へと階段を下りて行った。深雪はただ、ぽかんとそれを見送っていた。
何だか頬に熱を感じる。シロはおそらく無意識に行動しているのだろう。深い意味はない。分かってはいても、深雪はそれに翻弄(ほんろう)されている気分だった。
(シロは年下じゃないか。しっかりしろ、俺……!)
これからどうしようかと考え、再び腹部の傷が痛みだす。この調子だと、完治にはもう少しかかりそうだ。あまり無理をせず、自室に戻ることに決めた。
その翌日、思いもしなかった事態が発生したのだった。
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