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「あの……何で俺の部屋なの……?」
深雪が東雲探偵事務所に与えられた二階の自室のベッドの上でそうぼやくと、流星が笑いながらそれに答えた。
「いやあ、だってお前、なかなか傷が完治しねえだろ。そんな奴を外に引っ張り出すほど、俺らも鬼じゃねーよ」
「……。その病人の前で缶ビール呷(あお)るのは、鬼の所業じゃないのかよ?」
「だって深雪ちゃん、未成年じゃないの」
「そういう問題じゃないよ!」
深雪は半眼で流星を睨むが、流星は缶ビール片手にすっかりご機嫌だった。床に目を転じると、他にも大瓶の瓶ビールがワンケース、持ち込まれている。流星はそれを結構な勢いで空けつつあるのだった。しかも酔ってもあまり表に出ない性質らしく、どれだけ吞んでもけろりとしている。
ちなみに深雪に手渡されたのは、ジンジャーエールだ。それに不満があるわけではないが、目の前で盛大に酒盛りをされると、さすがにモノ申さずにはいられない。
すると、深雪のベッド脇に立った海が申し訳なさそうに口を開く。
「すみません、深雪さん。私のせいで……」
「いや、琴原さんは謝らなくていいって」
「そうだよ、今日は海ちゃんとユキの歓迎会なんだから!」
ベッドの足元に腰かけたシロは、満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにそう言った。
すると、枕元の棚に置いた腕輪型通信端末の上空に、ウサギのマスコットが浮かび、シロの言葉にうんうんと頷く。
「そうそ、こういうことはちゃんとしとかないとね~。ただでさえ、ウチは新人社員がなかなか根付かないんだし」
どうやら、そういう事らしい。
深雪はまだ怪我の治癒が十分でなく、外を出歩けない。その結果、ついでに深雪の部屋で歓迎会をしてしまおうという答えにたどり着いたのだろう。
深雪としてはこの殺伐とした集団に歓迎会という概念(がいねん)があったこと自体が驚きだったが、どちらかというと怪我人という立場上、そっとしておいて欲しいというのが本音だった。
しかし深雪のそんなささやかな願いが聞き入れられることはなく、怪我をして身動きも取れないため、否応なしに巻き込まれてしまっているのだった。
すると、窓際で偉そうにふんぞり返った奈落が不満を口にした。
「どうでもいいが、ツマミになるものはないのか」
奈落が手にしているのは、やはりというべきか、酒瓶だった。しかも洋酒の瓶だ。文字が読めないため種類はわからないが、かなり度数の高いものではなかろうか。奈落はそれをまるで水のように呑んでいる。どうやら歓迎会とは名ばかりで、酒を飲みに来ているだけらしい。
「二人とも……もう飲んでいるのですか?」
その時ちょうど、オードブルを皿に盛ったオリヴィエが姿を現した。生真面目な神父は、さっそく酒をあおっている流星と奈落を見咎(みとが)め、眉根を寄せる。その様子は、悪戯っ子を叱る先生そのものだ。
しかし二人の酔っぱらいは、その程度ではびくともしない。喜々として、オリヴィエの持ってきた皿を受け取る。
「お、待ってました! オリヴィエの料理は美味いんだよな~」
「そう思うのなら、少しは手伝ってください」
「何でだ? 飯が食えると聞いてわざわざ来てやったんだぞ」
オリヴィエの愚痴(ぐち)に対し、あまりにも傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度で答える奈落に、深雪はつい「それって、たかりって言わない?」と突っ込んでしまった。
すると奈落は凶悪な瞳をひときわ鋭く光らせ、ごつい軍靴を履いた足を振り上げると、そのまま深雪の足元に踵(かかと)落としをする。
「うるせえぞ、極チビ!」
「あっぶね……ってか、極チビって何⁉」
深雪は咄嗟に足を折り曲げて、なんとかそれを避けた。奈落の足が直撃していたら、骨折どころでは済まなかったに違いない。
そうこうしている間に、深雪の部屋に、ところ狭しと料理が並べられていく。棚や机ではスペースが足りず、残りはベッドに並べられていく始末だ。そのせいで、深雪の居場所はますます狭くなっていく。
だが、確かに料理自体は豪華だった。クリームチーズのサーモン巻きや、アボカドのパテや生ハム、ゆで卵の乗ったバゲット、ピンチョスも数種類ある。どれも手の込んだ一品だ。それらが美しく盛られていた。
海はオードブルの中にあったチーズを口に運び、目を見開いた。
「あ、このチーズ、美味しい!」
「そうでしょう? ブルゴーニュ産のエポワスですよ」
オリヴィエは海の反応が嬉しかったのか、満足そうに微笑んだ。深雪も一切れ食べてみたが、確かに濃厚でとろけるようだった。いかにも高級チーズといった、堂々たる風味だ。
するとマリアもくるりと回転し、弾んだ声を出す。
「すごいじゃない! エポワスなんて、今の東京じゃ滅多に手に入らない贅沢品よ!」
「シロも大好き、このチーズ!」
ところがただ一人、奈落の反応は違った。相変わらずの尊大な態度で、小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らす。
「そんなカビだらけのチーズ、よくありがたがって喰うな?」
オリヴィエはこめかみにひびを入れつつ、冷ややかに応じた。
「安心してください、あなたの分はありませんから」
しかし、奈落はニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。
「……俺にそんな口をきいていいのか?」
そして彼が取り出したのは、一本の赤ワインだった。
「そ、それは……シャトー・オー・ブリオンのルージュ……⁉」
オリヴィエは端正な顔に激しい驚愕と動揺を浮かべ、大きく仰け反る。奈落はますます口の端を吊り上げ、完全なる悪役面をオリヴィエに向けた。
「ふ……お前が無類のワイン好きだという事は調べがついている。その為に、わざわざ苦労して手に入れたんだ」
「そ、そんな事のために……⁉」
深雪は呆れ返った。確かにシャトー・オー・ブリオンといえば、深雪も名前くらいは聞いたことがある、高級ワインの代名詞のようなものだ。
この閉ざされた監獄都市では、高級チーズと同じかそれ以上に入手困難な一品だろう。値段も、元値の数倍はするはずだ。奈落はそれを、オリヴィエに見せびらかすためだけに入手したのだ。嫌がらせもここまで来ると筋金入りだった。
しかし深雪のボヤキなど完全無視で、奈落は得意そうにワイン瓶を掲げると、オリヴィエの手の中にあるチーズをビシリと指差す。
「こいつが欲しければ、俺に跪(ひざまづ)いてそのチーズを寄こせ!」
「くっ……なんて卑劣な……‼ 悪の手先には屈しませんよ……ええ、屈しませんとも!」
「……とか何とか言って、思いきり手が伸びてるよね?」
深雪が半眼でつぶやくと、オリヴィエは若干の涙目で反論してきた。
「だってシャトー・オー・ブリオンですよ⁉ 近年では気候変動のために、フランス産のワインは総じて生産量が減っているのです! 《東京》の外でも手に入るかどうか……‼」
「だから言っただろう、苦労したと! すべてはこの俺の優位性を確保するためだ‼」
「そんな事のために‼」
もはや、あきれを通り越して脱力感すら覚えるほどだった。神父と傭兵の二人のやり取りは、完全に子どもの喧嘩だった。チーズとワインでよくもそんなに張り合えるなと、半ば感心すらしていると、同じことを考えたのか、流星が冷やかし半分に口を開いた。
「お前ら、ワインごときでよくそんな盛り上がるな? やっぱ仕事の後はビールっしょ」
ところが、オリヴィエと奈落の反応は優れない。
「流星……そんな安酒で満足してしまえるなんて、本当に可哀そ……いえいえ、羨ましい」
「そう仕込まれてんだろ。社畜根性極まれりだな」などと、さんざんな言われようだった。
「どうでもいいけど、みんなどっこいどっこいだって分かってる?」
深雪は呻くような声で突っ込むが、それに関するリアクションは何故だかさっぱり返ってこない。流星を含め、普段はいがみ合っている二人も、都合の悪いことは仲良くスルーなのだった。
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