エピローグ 罪と罰

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エピローグ 罪と罰

「あー、空気美味い……」  廊下に出ると、真っ先に深呼吸していた。深雪の部屋は酒と料理の匂いがごっちゃになって、すっかりカオスになっていた。  料理はともかく、酒の匂いは苦手だ。頭がガンガンしてくる。息を吸うと肺に新鮮な空気がなだれ込み、それらを一掃していった。 「まったく……ありがたいんだか、迷惑なんだか……」  せっかく料理や酔っぱらいどもを押しのけ、わざわざ抜け出してきたのだ。すぐに自室に戻る気にもなれない。かといって事務所から外出するには怪我の治癒が十分でなく、危険だった。  どこかいい非難場所はないかと思案し、深雪は、そうだ、屋上に行ってみよう――と思いついたのだった。  苦労して階段を上がり、重い鉄の扉を開けると、屋上はまったくの無人だった。  二週間前、流星とやり合った時に、コンクリートの床に作った爆発跡がまだそのままになっている。深雪は手摺に近づいて行って鉄棒に掴まり、曇天の下に広がる灰色の街並みを眺めた。  海の強い決意のこもった眼差しは、どきりとさせられるものだった。  実際、深雪は海が言うほど何かをしたわけではない、と思っている。事件を解決したのは《死刑執行人(リーパー)》である事務所の面々だ。  深雪は結局、高山を止めるには至らなかった。自分が果たした役割といえば、せいぜい東雲六道がリスト登録にまで漕ぎつける間の時間稼ぎだ。  そして今もまだ、自分の身の振り方を決められずにいる。  その時、街の向こうからいくつものサイレンの音が聞こえてきて、ハッとした。紛れもない、パトカーのものだ。  この一週間、部屋の中で寝ていても、サイレンが聞こえてこない日はなかった。警察はゴーストを取り締まることはできない。そうは言っても、ゴーストの抗争に普通の人々が巻き込まれることはある。そういった事があると、彼らが出動するのだという。  つまり、パトカーのサイレンの音がする時は、誰かが理不尽な暴力の毒牙にかかった時だということだ。 「きっと……今この瞬間にも、この街では誰かが理不尽な死を強いられているんだ。そして、《死刑執行人(リーパー)》たちがそれを狩る。それはある意味では正しいのかもしれない。でも……」  高山は快楽殺人鬼だ。彼らと話し合いが可能だっただろうか。  答えは否、だ。  あの場で《死刑執行人(リーパー)》が一定の役割を果たしたのは紛れもない事実だろう。それに、東雲探偵事務所は無差別にゴーストを攻撃して回っているわけではないし、警察ですら見放された海(うみ)も保護してくれた。  それに彼らの深雪に対する処遇も、むしろいい部類だろう。高山らに連れ去られた時には助けに来てくれたし、ひどい傷の手当てもしてくれた。しかもそれらにかかる如何なる経費も、請求されていない。  ゴーストである深雪にここまでしてくれる者は、おそらく世界中を探しても他にはいないだろう。それは海やシロたちとともに助けを求めて入った警察署の対応からも、簡単に想像がつく。むしろ、このまま何もせずに出ていくのは申し訳ないくらいだ。  しかし一方で、脳裏に二十年前の恐ろしい映像が、鮮烈に甦(よみがえ)って離れないのだった。 「俺はもう、あんなことは二度と繰り返したくない。そう思うのは、間違っているのか……?」  そう呟いてみる。しかし、問いはただ風に乗って流されていくのみだった。  そのまましばらく風の流れに身を任せていたが、ふと屋上の扉が開く重々しい音がした。  深雪はいったい誰がと、背後を振り向く。  そこに立っていたのは流星だった。深雪に気付くと、飄々(ひょうひょう)とした様子でこちらに歩み寄ってくる。 「よう、深雪ちゃん。元気そうじゃないの」 「……。その『深雪ちゃん』っての、何とかならない?」   深雪はジト目で反論するが、流星は笑って「いいじゃねーか。呼びやすいし」と、肩を竦めた。  そして、両手を腰のあたりでごそごそさせると、くたびれた煙草の箱を取り出す。 「健康に良くないよ」  煙草、吸うんだ――少し意外に思いながら、深雪は忠告する。 「お前なぁ、お袋みたいなこと言うなって。せっかく屋上ここまで登って来たってのによー」  流星は情けない顔をしたものの、深雪の忠告には構わず、煙草を一本取り出して口にくわえるとライターを取り出して火をつけた。  つんとした刺激臭とともに紫煙が風になびいて消えていく。それを見るともなしに見つめていると、再び流星が口を開いた。 「……驚いたか?」 「……。ちょっとね」  《死刑執行人(リーパー)》のことを言っているのだと、すぐに分かった。深雪は束の間逡巡(しゅんじゅん)し、こくりと頷く。 「あのさ、《死刑執行人(リーパー)》って……どんな感じ?」 「ん?」 「高山って奴のことは、絶対に許せないと思った。だから手伝ったんだ。でも、俺にできることは、きっとその程度が限度だと思う。……自信が無いんだ。このままここにいてもいいのかって。俺はきっと、あんたたちみたいにはなれない」 「まあ、そうかもな」  流星は呆気ないほどあっさりと、そう頷いた。  深雪が戸惑っていると、ふうっと煙草の煙を吐き出しながら言葉を続ける。 「……だとしてもウチが人手不足で、お前の力を必要としているのもまた事実だ。それに……所長はお前を選んだ。だったら、それが正解なんだろう」  所長――東雲六道のことだ。彼の顔を思い浮かべると、何故だか深雪は沈鬱(ちんうつ)な心持ちになる。 「……信頼してるんだ」 「俺を《死刑執行人(リーパー)》にしたのも、あの人だからな」 「後悔、してないのか?」 「ああ」  即答だった。 「俺はただ、ゴーストになったことを、自分の中でマイナスにしたくはなかった。……それだけだ」 「………」  流星の目は終始、街の方に注がれていた。彼の目には今の東京がどう映っているのか、本当は何を見ているのかは分からない。ただ、そこには簡単には覆せないほどの、強固な意思が宿っているように見えた。 「まあ、強制はしねえよ。うちにもいろんな奴がいる。居場所が欲しい奴、金が欲しい奴、誰かを守りたい奴……。決めるのはお前自身だ。けどまあ、俺としては残ってくれた方が助かるけどな」 「な……何で?」  身構えて尋ねると、流星は不意に悪戯っぽく、にっと笑う。 「だってよ、優秀な後輩が入ってくれれば、俺も楽できちゃうじゃない。これぞまさにウイン・ウインって奴?」 「知るか! ……ってか、そんな理由かよ⁉」 「そんなもんだって」――そう言ってからからと笑う流星は、最初の軽快で捉えどころのない雰囲気に戻っていた。  深雪は肩透かしを食らった気分になったが、同時に流星に感謝してもいた。流星は部屋を抜け出した深雪を気にかけ、屋上へと追ってきてくれたのだろう。残ってくれた方が助かるというのが本音かどうかは分からないが、その気遣いが純粋にうれしかった。 「――二人とも、ここにいたのか」  突然、背後から放たれた低い声に、深雪は驚いて振り返る。 「所長……」  そこに立っていたのは東雲六道だった。いつもの死神を思わせる、黒いスーツに黒いネクタイの姿で、相変わらずの陰気な顔だが、落ち窪んだ瞳はこちらが竦(すく)み上がるほどギロリと鋭い。  深雪は思いがけない人物の登場に面食らった。  何故、彼がこんなところに。深雪は戸惑いを隠せない。  しかし六道は特に顔色を変えることもなく、杖を突きながら深雪の方へと歩み寄ってくる。  流星はその様子を察したのか、煙草の火を消して六道に一礼すると、屋上を後にした。 
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