エピローグ 罪と罰

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 六道は手すりに掴まる深雪の隣に並ぶと、低い声で言った。 「傷の具合はどうだ?」 「あ、えっと……だいぶ良くなりました」  「そうか」  会話はすぐに途切れ、互いに無言になった。  居心地の悪い静けさが、屋上を包む。  とりあえず何か喋ろうとして、それは無益だろうと思い至った。  おそらく六道は、静寂を埋めるための世間話など好まないだろう。深雪は観念し、自分のほうから本題に入ることにした。 「初めて事務所の――赤神さんの仕事、間近で見ました。だいたい、他の人たちが何をしているかも想像がつきます。確かに……ここではそういった存在が必要なのかもしれない。  アニムスのせいで当たり前のように人が死ぬこの街では、絶対的な存在が重しにならなければならないのかもしれません。  でも……これって……殺し合いと、何が違うんですか?」  一気に喋ってしまってから、相手の反応を待つ。  しかしそれは、間髪入れずに戻ってきた。 「……そうだな、本質は確かに君の言う殺し合いだ。私もそれを否定するつもりは無い。だが――これが我々の仕事だ」  きっぱりと言い切る六道に、深雪はたじろぐ。  その自信が、どこから来るのか。何が六道をそんなにも突き動かしているのか。  六道は落ち窪んだ眼窩(がんか)に灯る鋭利な光を深雪に注ぎ続ける。  深雪はそれに圧倒されながらも、なんとか踏んばり、反論に打って出た。 「確かに……高山のような奴らを絶対に許しちゃいけない。分かっているんです。でも、どうしても納得ができない。あれは……本当に『正しい』ことだったんでしょうか……?」  深雪の視線と、六道の視線が交差し、ぶつかる。 「正しいかどうかと聞かれれば、否だろうな」 「……⁉ それなら、どうして……!」 「正義など、初めから求めてはいない。そもそも、我々にその必要があるとも思わない」 「だったら……だったら、どうして戦えるんですか⁉」  正義など必要ない――口で言うのは簡単だ。だが、自分が正しさを信じられない行為を、貫き通せるものなのだろうか。  しかし深雪が抱いた違和感をよそに、六道は低い声で続ける。 「正義とは人の作り出した概念(がいねん)だ。だが、ゴーストと人の理屈は違う」 「……高山(犯人)たちと、同じことを言うんですね」  「我々の仕事は単純に犯罪者の排除というだけではない。ゴーストにとって、なにが『正義』か、どうすれば人と共存でき、そのためにどうあるべきなのか。まだ誰にもわからない。新しい秩序の構築と調整……それこそが今の東京に必要なものだ。それが我々にとっての『正義』だ」 「それは……分かります。……何となく。誰かがやらなければならないのだということも。でも……俺にその資格があるんでしょうか……? たぶん……俺のせいで、二十年前、大勢の人が死にました。  これ以上、もう誰も死なせたくない――殺したくない……!   それは間違っていることですか⁉」  ずっと、恐れていたことがある。二十年前のあの時、何があったのかよく覚えてはいない。だが、酷い爆発の跡が残っていたことや生き残ったのが深雪一人であることを考えると、どうしても一つの可能性に行きあたってしまう。  ――《ウロボロス》の壊滅事件は、深雪が原因で起きたのではないか。  深雪のアニムス、《ランドマイン》があの場にいる全ての者の命を奪ったのではないか、と。  深雪と六道は睨みあう。六道は巌のように揺るぎ無かったが、深雪もまた一歩も譲(ゆず)る気はなかった。  しかし、均衡は唐突に崩される。  六道は深雪に向かって無造作に生身の右手を伸ばした。そして、乱暴に深雪の胸ぐらを掴み、叫んだ。 「殺したくない、だと……? その間に奪われる数多の命は見殺しか⁉ そうなれば二十年前と同じことを繰り返すことになるのだぞ! それでいいと言うのか? あの時と同じように……お前はまた逃げるのか‼」 「な……?」  深雪は大きく息を止めた。  六道が何のことを言っているのか一瞬分からず、その顔を見つめる。  六道もまた、深雪を凝視していた。先ほどまで何の感情も宿していなかった冷徹な瞳は、今は怒りとも興奮ともつかぬ奇妙な熱で燃え上がっている。  深雪はなぜだかその熱から目を離すことができなかった。  しばらく互いの瞳の奥を抉るように睨みあっていたが、ふと見覚えのあるものが視界に入った。  そこにあるはずのない、二十年前の亡霊。  六道の右手の手首に刻まれたその黒い模様に、深雪は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。  (これは……⁉)  思わず息を呑んだ。  激しく混乱し、次いで頭の中が真っ白になる。己の目で見たものが、にわかには信じられない。  それは、二匹の蛇が互いに喰い合い、輪を作っている入れ墨タトゥーだった。シャツからわずかに覗いているに過ぎないそれを、しかし深雪が見逃すことはなかった。それは深雪の背中に刻まれているものと全く同じものだったからだ。 「な……何で、それがあんたの手首にあるんだ……?」  深雪は目を見開いたまま、呆然とそれを見つめていた。  世界が止まったかのような、重苦しい沈黙の中。目の前が真っ暗になり、全身から血の気が失せるのだけは分かった。 「何で……《ウロボロス》の入れ墨タトゥーが、そこにあるんだ!」  深雪は声を荒げたが、六道の反応はなかった。まるで海の底のような暗い目が、淡々と深雪を見つめている。  ――まさか。  しかし、六道の年齢を考えるとあり得ない話ではない。六道の年齢はおそらく、三十半ばだ。二十年前といえば、十代半ばだったろう。ちょうど、深雪や《ウロボロス》の主要メンバー層の年齢と重なる。  《ウロボロス》は初期こそ二十人弱だったものの、その後どんどんメンバーを増やし、最終的にはその数は二百人近くに膨れ上がっていた。六道がその中にいたとしてもおかしくはないし、だとすれば深雪のことにやけに詳しいのも納得がいく。  だが実際に、東雲六道という人間はチームの中にいただろうか。いくら記憶を探ってみても、それらしい人物は思い出せない。  ――もし、本当にそうであるなら。  足がでたらめに震えはじめた。立っているのがやっとだった。  六道は右手と左足が義手・義足だ。彼の半身は、どうして失われたのだろう。  まさか、そんなことは――しかし、いくら否定しても、その可能性を拭うことが出来ない。彼はいつから杖を突いているのだろう。いつ、そんな深刻な負傷を追ったのだろう。  二十年前のあの日、彼の人生を奪ったのは深雪なのではないか。  だからこそ、深雪を《死刑執行人(リーパー)》になれと言ったのではないか。  生きている限り、目の前で罪を償い続けろ、と。  これは彼の、自分に対する復讐なのだろうか。  みな、死んでしまったと思っていた。かつての深雪を知る者は、ひとりも残ってはいないのだと――それは寂しくもあったが、同時にどこか安心もしていた。だが、現実はそうではなかった。生き残りがいたのだ。そして今、彼は目の前にいる。それがたまらなく恐ろしかった。  思わず後ずさりした、その時。   六道の腕がぐい、と深雪の体を引き寄せ、持ち上げた。そしてそのまま低い声で囁く。 「お前と俺は同じ罪を背負っている……お前は二十年前の惨事を起こした罪、そして俺はそれの惨事を止められなかった罪だ」  深雪は、目を見開いた。  六道の言葉があまりにも意外で、何と言葉を返していいのか分からない。ただ、暗く燃え上がる双眸(そうぼう)が、眼前につきつけられる。 「人はみな、罪を犯す。だがそれを野放しにし、欲望がものを言う秩序ルールを認めてしまえば、それは獣の世も同然だ。我々は確かに人間じゃない……しかしだからと言って、獣に堕ちていいことにもならないはずだ!」  六道は、食い入るように深雪へと詰め寄る。  その目は相変わらず冷ややかだが、不思議と怒りや恨み、憎しみといった、本来はあってもおかしくない感情がそこにはない。  むしろ純粋に望んでいるように感じられた。  深雪自身が本心ではどう思っているのか、その答えを。  ごまかせない――そう思った。それがたとえ六道の意に沿わなかったとしても、偽ることはできない。ましてや、適当な言葉で欺(あざむ)いてはならないのだ、と。 「……、俺は………」  痙攣(けいれん)しかかった喉の奥から、なんとか声を絞り出す。 「……俺は、獣じゃない。人間だ。例えゴーストになったとしても、人でありたい……!」  家族や学校――それまでの生活をすべて失い、仲間だと思っていた《ウロボロス》ですら、自分で滅茶苦茶にしてしまった。何度、この世界と自分自身を呪ったことだろう。  それでも、人でいたい。獣に似た何かにはなりたくない。  どんなに苦しくて、困難だったとしても。  それはあまりにも掠れていて、かすかだった。しかし、六道がそれを聞き漏らすことはなく、やがてすっと目元を緩めると、静かに告げた。 「……お前があくまで殺さないというなら、それでも構わない。その甘い理想でいったい何ができるのか――見せてみろ」  六道は深雪から手を放す。 「私は私のやり方で進む。君は君のやり方を選べばいい。だが、何があったとしても、決して現実から目をそらすな。――それが生き残った者の果たさなければならない責務だ」 「…………」  六道はそのまま踵(きびす)を返すと、来た時と同じ調子で杖を突きながら、屋上を去っていく。  深雪はその後ろ姿をしばらく見送っていた。  しかし六道が屋上から姿を消すとともに、がくりと膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。
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