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六道はぎこちない動きで階段を下っていく。
古い洋館は薄暗く、下手をすると転んでしまいそうだが、六道にその様子はない。杖を突く軽快な音が、一定のテンポを保って響いている。
六道が階段途中に差しかかった頃、腕にはめたウェアラブル端末が光り、ウサギのマスコットが薄暗い空間上に飛び出した。
「も~、だから屋上はマズいですって。この間の今日で、うちの屋上が深雪っちのトラウマになっちゃうんじゃないですか?」
マリアの声はあきれ返っていた。
六道は変わらずの動作で階段を下りながら、すました声で答える。
「俺の部屋だとなおさら気まずかろう。それに、あいつはあの程度でへこたれるほどヤワじゃない」
「信頼しているんですねぇ」
「事実を言っているだけだ」
「そうですか~? あたしには深雪っちが相当参っているように見えたけど……。あの様子じゃ本当に出て行っちゃうかも。あれで本当に良かったんですか」
揶揄(やゆ)するようなマリアの声に、ふと懸念(けねん)が混じる。
だが、六道は静かな表情で答えた。
「……さあな。ただ、あいつを引き留められるとしたら、それは安っぽい正義感やありふれた使命感ではない。可能なのは、同じ罪の共有――その呪縛のみだ」
マリアは理解ができない、といった風に肩を竦めた。
それはどう考えても、健全な人間関係じゃないのではなかろうか。
しかし、彼女がそれを口にすることはなかった。再び元の軽い調子に戻ると、話題を変える。
「……それで、二十年ぶりの再会はどうでしたか? 深雪っち、あんまり変わってないそうですね。失望しました?」
「半分は、な」
「残りの半分は?」
「………」
わずかな沈黙の後。
「……安心した」
ぽつりと低い声が吐き出され、薄暗い廊下に沈んでいった。
一方、深雪の姿はいまだ屋上にあった。
手摺の前に悄然(しょうぜん)と座り込み、身動きすら忘れて放心状態に陥っていた。混乱と衝撃が渦を巻いてうねりを上げ、思考回路をすべて呑み込んでいく。なにより、二十年前に犯した罪、その重さに押し潰されそうだった。
ただ、東雲探偵事務所を去る、という選択肢だけはすでに無くなっていた。
六道が《ウロボロス》の生き残りだというなら、このまま逃げるわけにはいかない。
彼が二十年前の生き残りだというなら、なおさらだった。
『お前があくまで殺さないというなら、それでも構わない。その甘い理想でいったい何ができるのか、見せてみろ』
――六道の言葉を反芻(はんすう)する。何度も、何度も。
「俺にも……できることがあるのか? この街で……」
手摺に身をあずけ、上空をふり仰ぐ。
重々しい雲が垂れ下がった空に答えはない。
ただその下で、パトカーのサイレンがけたたましく鳴り響いていた。
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