第3話 二十年の歳月

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 まずは東京駅だ―――何となくそう思い立ち、深雪は晴海(はるみ)通りを北上した。    しかし、湾岸区域ベイエリアを繋ぐ橋を渡るたび、崩れた建物を多く目にするようになる。道路にも車両の姿はほとんど見られない。首都高速湾岸線も途切れ途切れになっていて、橋桁(はしげた)が崩れている場所も見受けられた。もう長いこと、本来の目的で使用されていないのだろう。  人の姿も皆無だった。話し声も、物音すらない。ただ潮風が服の袖を()いでいくだけだ。かつて東京が一千万都市と呼称されたことを考えると、まるで悪い悪夢でも見ているかのようだ。  やがて中央区のビル群が目の前に迫ってくる。よく見ると、その中にも半壊状態だったり傾いたりしているビルが数多く混じっている。かろうじて直立し残っているビルも、壁面には大きな亀裂が入り、窓ガラスが粉々に砕け散っている。    深雪はちょうど昔ネットで目にした画像を思い出していた。  大きな災害や内戦で破壊された、世界各地の荒れ果てた街並み。日本も何度か大震災に見舞われたことがあるという。  目の前の光景はまさにそれだった。  銀座や有楽町(ゆうらくちょう)のあたりになって、ようやく車両や人の姿を見かけるようになった。だが、アスファルトはボロボロになってひび割れ、ビルの壊れ具合も一層ひどくなっている。  おまけに人影と言っても、みなどこか目をぎらぎらとさせていて物騒(ぶっそう)な雰囲気だった。剣呑(けんのん)な目つきで、じっと探るように深雪を見ている。《監獄都市》にいることを考えると、彼らもゴーストなのだろう。それを考えると、とても気軽に声をかけてみようという気にはならなかった。  深雪はフードを被った頭をうつむけ、彼らと視線を合わさないように努めた。  東京駅の特徴的な赤レンガ造りの丸の内駅舎は残っていて、何だかホッとした。だが、その周辺の人通りはまばらだった。二十年前、決して人の波の途切れることのなかった中央口は閑散(かんさん)としており、妙にだだっ広く感じられた。  東京タワーも建物の間から|垣間《かいま』見えた。遠目で見る限りは、二十年前と変わらないように見える。  だが、内閣総理大臣官邸や各種省庁、国会議事堂などは完全になくなり、敷地は更地(さらち)になっていた。おそらく東京が首都でなくなった瞬間に撤去され、そのまま開発されずに手つかずの状態になっているのだろう。  東京が首都であった(あかし)が根こそぎ破壊され、葬られているかのようだ。  深雪はしばらくその寒々(さむざむ)しい光景を言葉もなく見つめていたが、やがてその場を離れ、西を目指して歩きはじめた。  中央本線沿いに歩いてみたが、高架橋の上を電車が走ることはなかった。道路上にも車両は確かに走ってはいるが、チラホラとしか見かけない。相も変わらず街中は閑散としている。  民家やアパート、マンションなども多くが破壊されていたり、傾いたりしていた。取り壊されてしまっている場所もかなりある。まともな家屋が残っているのを見ると、自分の家でもないのに嬉しくなるくらいだ。  しかし、それらもカーテンがひかれていたり、雨戸が閉められていたりして、中に人が住んでいるのかどうかは怪しかった。 (本当に……変わってしまったんだ)  廃墟ばかりの光景を見せられ続けていると、故郷に戻ってきたのだという実感すら削がれていく。そこはかつて暮らした慣れ親しんだ場所ではなく、完全に異国の見知らぬ地へと成り果てていた。  深雪は自然と二十年前のことを思い出していた。  雨宮深雪はごく普通の家庭で育った。  会社員の父と専業主婦の母。典型的な核家族で、良くも悪くも自分が取り立てて特別だと感じたことは一度もない。だから、どこにでもいる普通の子どもだったのだろう。家族仲も特に悪くはなかった。  すべてが崩れたのは、深雪がゴーストになったと分かった時だった。  当時は国内でのゴーストの確認数が少なく、海外でおかしな病気が流行っているらしい、との噂が囁かれる程度だった。まさか、その騒ぎの渦中(かちゅう)に自分が置かれるとは思いもしなかった。  深雪がゴーストだと分かった時の周囲の反応は凄まじく、まるで凶悪犯のような扱いだった。  連日におよぶ嫌がらせ。投石や誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)にクレームじみた電話。SNSは炎上し、マスコミの取材までやってきたこともある。深雪は普通の高校生から、一瞬にして社会から排除されるべき異分子と化してしまったのだ。家や高校で元通りの生活をすることは不可能に近かった。  自分が攻撃されるのはまだいい。でも家族や友人に迷惑がかかるのは絶えられなかった。深雪は家を出たきり、二度と戻ることはなかった。事実上の家族崩壊だった。 (ぜんぶ俺がゴーストになったせいだ……)  深雪は今でもそう思っている。自分がゴーストにならなければ、あのような形で注目を浴びることもなかったし、家族が苦しむこともなかった。一家が離散することもなかっただろう。  深雪自身も大学に進学して、どこかの会社に就職し、いずれ愛する誰かと結婚する―――そういったどこにでもいる普通の人間として、ごく普通の社会生活を送っていたに違いない。  すべてはゴーストになった深雪自身のせいではないか。  両親とは家を出て以来、一度も会っていないし、あれからどうなってしまったのかも分からない。ただ、深雪がゴーストになってしまったことは日本中に知れ渡ってしまった。その親が平穏な人生を歩み、静かな生活を送ることなど果たしてできるのだろうか。それを考えると不安しかない。  もし深雪がゴーストにならなければ。すべてが元通りうまくいくのだろうか。  そうだという確証はどこにも無い。しかし、その不吉な考えは影のように深雪にへばりつき、決して振り払うことができなかった。
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