1人が本棚に入れています
本棚に追加
――はるか昔。
それはひとり、震えて『彼』が自らのもとへもやって来るのを怖れていた。
それは、人の姿をしていた。
いくらかの幼さと大人への片鱗を共に滲ませた娘に見えた。
だが、ただの娘が着物を乱してただひとり、山の奥で座り込んでいるのは奇妙な図でもある。男どもに襲われ、誰も通らぬような山中に捨てられたか――そんな雰囲気ではない。衣服の乱れも逃げまどっている内にできたもので、そこを気に留めている余裕もない、そういう印象だ。
疲労したか観念したかでこの場にへたっているのか。
伸びた髪を無造作に束ね、質素な衣で痩せた躰を包む姿に男を誘う気配はない。年頃の娘の愛嬌や艶っぽい色香とは無縁な容貌をしている。整った顔つきをしてはいるが、可愛らしさは薄い。
それがいるのは、山だった。
霊験を感じる勇壮な山だ。
彼女から離れた少し遠く、木々の間から悲鳴のような怒号のような、人外のものの声が伝わってきて、彼女の躰がぴくっ、と跳ねる。
夜だった。
最初のコメントを投稿しよう!