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「ふ……っ」
乱れた呼吸音に混ざって、ひときわ大きな水音が響く。
幸か不幸か、トイレには誰も入ってこない。誰かに見つかりでもしたら、いっそ彼だって割りきれるかも知れないのに、つくづく世の中はオレに優しくはできていないらしい。
「んっ、んっ、……んんっ……!」
両手で口許を押さえ、彼はオレの口のなかで果てる。懐かしい味を喉奥に感じながら、オレは下からそのすべてを見ていた。嫌だと言いながら意外と呆気ない彼が羞恥に震え、快感に堪えるさまを冷静に見続けていられるオレこそが、本気で呪われている。
傷つけたい。痛めつけたい。刻みつけたい。
甘い感情なんてどこにもない。
オレはなにがしたい? どこに向かってる? この闇に出口はあるのか?
久しぶりだろうその快感に溺れてしまった自己嫌悪か、顔面蒼白で立ち尽くす男の目に映るよう、これ見よがしに濡れた口もとを舌でペロリと拭った。狙いどおりにオレを見下ろしてくる震える瞳には、痛みを植えつけて止まない恐怖の色が滲んでいる。
この痛みすら、懐かしい。
過去ってなんだ。でたらめにも程がある。
吹っ切れたってなんだ。なにも終わっていないくせに。
「これからあの女抱くとこだった? 今日はもう無理かもね」
白々しく言い放ちながら、オレは動けない彼の身なりを整えてやる。何事もなかったかのように、ひとつの狂いもなく元どおりにしてやる。
立ち上がっても、彼はまだ冷たいトイレの壁に張りついたままだ。その目が怯えたようにオレを見つめている。怯えの奥になにが見えるのか、オレの曇りきった瞳では判別がつかない。
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