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人の感情は一筋縄ではいかなくて、揺れ動いたり、あるいは頑なにとどまり続けたりと予測がつかないことをよくわかっている男。好きな男が浮気しても自分を責めて相手を許す男。本当は独占欲の塊のくせに、それをひた隠して相手に合わせようとして失敗の繰り返し。
それでも、失敗の度合いから言えばオレよりはマシと言えるのかもしれない。やり直せるくらいの失敗談。
オレのは、ちょっと笑えない部類だ。
「きいてないよ」
テーブルの隅っこでちびちびサワーを飲んでいたチカが、不意にボソッとつぶやくのが耳に入った。ほかの連中は陽気に楽しく男子らしくいい調子でできあがりつつあるのに、チカの頭の上にだけ明らかに厚く雲がかかっている。
隣にいても見て見ぬふりをしていたけれど、相当悪酔いしているのは明白だ。
「……前野さん、飲み過ぎ」
少しだけ身体を傾けて、小さく忠告してみる。
この職場で先に働き出したのはチカで、求人情報を流してくれたのもチカだ。けれどオレはきっちり面接をして入ったし、それ以前にチカと面識があったことなど誰も知らない。特に隠しているわけではないけれど、特に伝える必要も感じない。だから職場でのチカは「前野さん」。チカはオレを変わらず名前で呼び捨てにするけれど、それはほかの従業員と同じタイミングで呼び始めたまでだ。入りたての頃は、オレに合わせて「荒川くん」と呼んでくれていたと思う。まあお互いに少し気色悪いけれど、公私混同したくない点ではチカと意見はぶつからない。
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