一章

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『彼女』のことを思い出したのも、こんな顔をしているのも、きっとそのせいだろう……と、思いたい。何にせよ心地のいい夢ではなかった。思いつく限り一日の最悪のスタートと言っていい。  ため息をつく。顎の水滴を手の甲でぬぐい、僕は洗面所を後にした。  居間に戻って時計を確認すると、時刻はすでに午前九時を回っていた。母さんはまだ寝ているらしい。起きた時に車の音がしたから、父さんはゴルフに行ったのだろう。  居間の窓を開けると微風が頬を撫で、微かな潮の香りが部屋に広がった。白いレースのカーテンがゆるやかに揺れる。  簡単に朝食をとりつつニュースを眺めながら、今日の予定をぼんやりと思い浮かべる。といってもすることはあまりない。半年前はそうでもなかったが、今は生活に覇気がない。張りがない。怠惰ここに極まれり、だった。  しかし幸いにも今日は待望していたミステリ本の発売日だ。日常における希少な潤いだ。早々に着替えて書店へ行き、今日もまたゆっくり読書にふけり有意義な時間を過ごすとしよう。  そう思っていたのだが。  その矢先、カシャン、と玄関のポストに何かが投下される音がした。  変な勧誘のビラなら握り潰してゴミ箱へ直行だ。大半のビラが大した成果も挙げずにそうなる運命にあるというのに、なぜ性懲りもなくばらまくのだろうか。不承不承ながらも僕は玄関へと移動し、ポストの中を確認する。     
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