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5.期待の山茶花
藤ヶ丘学園にも、向日葵が咲き始めた。夏休みが近くなるにつれて、生徒たちの会話も弾んでいく。
「けどさあ、補習って言ってもあたしたちはまだ一年だから、始めと終わりに一週間ずつあるだけだしさ。午前中で終わるし! ほとんどないみたいなものだよ~」
相澤が、キャラメルみたいに甘い声で周りに言っているのを、伽音は席を立ちながら聞く。相変わらず肩まである栗色の髪の毛をふわふわと揺らす相澤は、今日もたっぷり「お嬢さま」だ。
四時間目終了のチャイムが鳴ったばかりで、教室の空気は一気に弾けていた。椅子が床を引きずられる音と笑い声が涼しい教室に響き渡り、咎める者など当然いない。
伽音は自分の弁当箱と水筒を教室から持ち出す。廊下は空調が効いていない分鬱屈としてしまうはずなのに、伽音の足取りは軽い。
美術棟を三階まで上がり、突き当たりの教室。今日もカラフルな文字が迎えてくれる。
「失礼しまーす。あ」
ウィンドベルをくぐると、そこには三人の知らない背中が見えた。ベルの音に反応して振り返った三人の顔を見て、誰かがすぐにわかると同時に、その隙間から咲紀と千歩里の顔が見える。
「いらっしゃい、伽音ちゃん」
「どうも、お邪魔しています。昨日はありがとうございました」
なにもしていないのに頭を下げられてしまい、伽音は少し気詰まりだ。
ロボット研究愛好会のメンバーが、シバクロ探偵社の部室を訪れていた。
伽音は、ロボ会メンバーをどけて椅子に座ることもできず、扉の前で立ったまま動けない。どうしようかと考えていると、ロボ会メンバーが話し出す。
「ロボリーナも、特に大きな故障もなく、元気で。週末にまた、父に視てもらうつもりでいますが」
「そう、よかったじゃん。一件落着」
「本当に、シバクロ探偵社さんのおかげです。ロボリーナが伝えたかったことまで解いてくださり、感謝しかありません。これから部員全員で、ロボリーナには愛情を注ぎます」
「うん。そうしてあげてよ。ロボリーナはいつも、わたしが見つけたときはひとりだった。その場所を線で結んでもハートになんてならなかった。けど、ロボリーナは人の気持ち、温かさ。それを大事にしたかった。それなのに上手く描けなくて、悩んでたんだ」
「ええ。ロボリーナに言われましたよ。『ありがとう』、と。それも皆さんに伝えたくて」
「そっか、それは嬉しいな。ねえ、またロボリーナに会いに行っていい?」
「もちろんです。是非。ロボリーナも喜びます」
その言葉を最後に、ロボ会のメンバーは咲紀と千歩里に頭を下げて、背を向けた。ドアを開けるときに、伽音にも「ではまた」と挨拶してくれる。
伽音はひとつお辞儀をし、ロボ会メンバーが扉を閉めるまでその姿を見送った。静かになった部室で、伽音はいつもの椅子に腰かける。
「あの、気になったんですけど」
「ん?」
「帰って少し興味が湧いて、調べてみたんです。ロボット。そしたらなんというか……ロボリーナ、あまりにも立派すぎませんか? 学生レベルじゃない気がするんです」
伽音がその夜、自宅で調べた検索結果に、高校生が作ったものでロボリーナほど立派なものはなかった。どれも「競技ロボット」とよばれる、物を運んだりなにかを持ったりする役目のものがほとんどで、ロボリーナのように製品化されているものに近い形は、学生レベルでは作れない気がする。
「ああ。ロボ会の部長のお父さんは、確かロボット工学が専門の研究者なんだよ。ほら、さっき父に、って言ってたじゃん? 多分その方だよ。そのお父さんにアドバイスをもらいながら造ったのが、ロボリーナらしいんだ」
「工学者の方にアドバイスって……部活のレベルじゃもったいないんじゃあ……」
「あはは。もちろん、ロボリーナは簡単な設計らしいし……まあ、でも確かに見た目は商業化されてるものに似てるかもね」
「ロボ会のメンバーって、絆が強いのよね。部長を中心に、幼馴染とか初等部からの知り合いとかが集まっているから、資金の面でも不自由しなかったのかもしれないわ。うちは特別御嬢様校というわけではないけれど、初等部から通う子の中には、一般家庭よりも裕福な子がいたりするのよ」
伽音は目が回る思いがした。自分にはまったくわからない、縁のない世界がそこには広がっている。ロボット研究愛好会に興味を持ち、入部、などと考えなくてよかったと、自分を褒める。
「お昼、いただきましょうか」
「うん、お腹空いたー」
「先に食べてて。わたし、購買行ってくるから」
「え、待ってますよ」
「いいのよ」
千歩里が笑い、部室を出ていく。伽音もだが、咲紀も当然千歩里を待っているつもりらしく、弁当箱には手が伸びない。
「次はいよいよ、魔法の箱だなー。あっ、ごめん! いよいよって、探してなかったわけじゃないよ?」
「わかってますよ。いいんです、焦ることはやめたんです。あたし」
「亜梨沙ちゃんが、待っていても?」
「亜梨沙は、短気じゃありませんから。少しくらい時間がかかっても、怒らないです」
「本当に、いい友達だったんだね。伽音ちゃんと亜梨沙ちゃん」
「それを言うなら咲紀先輩と千歩里先輩もだと思います。幼馴染って聞いて、すごく納得しちゃいました」
「あははっ。千歩里には、迷惑かけてるからなあ……」
自分で胸を絞めるような言い方に、伽音はなんといって返せばよいのかわからなかった。千歩里がそうは思っていないことは確かだと思うが、咲紀とロボリーナのやりとりを眺めていたときの千歩里の姿が浮かぶ。
咲紀には咲紀にしかわからないことがあって、千歩里には千歩里しかわからないことがあって、咲紀と千歩里にしかわからないことが、咲紀と千歩里にはある。それを知り合ったばかりの伽音があれこれ口に出すべき問題だとは到底思えないし、伽音だって言葉を選んでほしいときは当然ある。
例えば亜梨沙のことについて、「くよくよしてないでぱぱっと友達つくっちゃえばいいのに!」と言われたら、伽音は態度に出さなくても憤慨するだろうし、落ち込みもするだろう。伽音の気持ちは伽音のものであって、それをどう自分で抱えるか、持ち上げるか床に置くかしばらく離れて眺めるのかは、伽音自身に選択権がある。
それを他人にあれこれ言われ、行動にまで結び付けられることは、伽音にとっては許しがたいことだと思うし、誰だってそうだろう。
「迷惑って思ってたら、きっと千歩里先輩、咲紀先輩と一緒にはいませんよ。まして探偵社なんて……できないと思います」
自信がなくて、俯いてしまう。けれど俯いた先の机の上、自分の弁当箱が置かれた真上に掌が伸びてきて、伽音の目の前ですばやく振られる。
その動きに伽音は顔を上げ、咲紀と目が合う。
「ありがとう」
笑った咲紀はいつもどおり、歯が見える元気な笑顔で伽音のことを見つめていた。
咲紀が、例の巨大な見取り図の前に立っている。腕を組み、仁王立ちで。
放課後を迎えた藤ヶ丘学園は、下校時の賑やかさが一段落して静かだった。シバクロ探偵社の部室も、空調の音が聞こえるほど静まり返っている。
伽音は本を読みながら、咲紀のことが気になって仕方なかった。あの見取り図はロボリーナ捜索のために貼られていたものだ。ロボリーナが見つかった今、用はないはず……なのに咲紀が立っているということは、もしかして魔法の箱関連なのではと期待してしまう。
「急がない」「焦らない」。確かに伽音はそう思っている。しかし見つけたい気持ちはあれからちっとも衰えておらず、早ければ早いに越したことはない。
咲紀は腕組みを解いて、ポニーテールの結び目に手をやった。簪と四色のボールペンを触り、最後に触った赤ペンを引き抜く。
そして教室うしろの壁沿い下側を、端から端まで占拠している木製ロッカーによじ登り、いくつも赤で丸を描いていく。
「伽音ちゃん」
そしてその途中で、振り向きもせずに伽音を呼んだ。
「はい」
「外はもう、随分探したんだっけ」
本を置いて立ち上がった伽音は、咲紀の傍に寄る。見取り図にはどんどん丸がつけられていき、それだけでも随分、咲紀が探してくれたであろうことが予測できた。
「はい。隠すなら絶対外だと思うので、かなり探しました。馴染みのあるところは特に」
「探してない場所はある?」
「あります。藤ヶ丘は広いですから、ひとりじゃ限度があって」
「うーん、でもめぼしいところは探したんだよね? わたしも結構探したんだけどなあ」
その言葉の通り、尚も咲紀は見取り図にどんどん丸をつけていく。伽音はその数に、これだけ覚えていられる方がすごいと、感心してしまう。
「例えば、亜梨沙ちゃん自身が、なにかヒントになるようなものを持っているって可能性はないかしら?」
千歩里も傍に寄ってきて、一緒に地図を眺める。
「ありさ……漢字は?」
「亜細亜の亜に、梨、さんずいに少ないで、沙です」
「梨……梨の木なんて、うちの学園にないしなあ」
「亜梨沙ちゃんの、苗字は?」
「椿です。椿亜梨沙」
「椿……椿の木の周り、結構探してるけど、これ以上あるかなあ」
「はい、あたしも。椿の周りは、かなり」
伽音も思っていた。自分の名前にちなんで、亜梨沙は椿の周辺に埋めたのではないかと。そう思い、椿の周りを散々探した。伽音が探した四月ごろには花がまだ残っていて、探しやすかったこともあり、椿の周りは早々に探し終えていた。
「ねえ、山茶花は?」
「え?」
「確か椿によく似た花で……ツバキ科の花じゃなかったかしら……」
千歩里が机まで戻り、鞄からスマートフォンを取り出す。そして調べ上げるまでに、一分とかからなかった。
「ほら、やっぱり。山茶花。ツバキ科ツバキ属……」
「サザンカ……」
千歩里を振り返っていた咲紀が、ロッカーから飛び降りてまた、見取り図の全体を見る。その真剣な眼差しに伽音は息を呑み、同じように見取り図を眺める。
山茶花の近く、意識はしていなかった。けれど伽音にも相当探した自負はある。山茶花がある場所でも、気づかずに探し終えている可能性だって十分だ。
「そうだ、山茶花……」
「あるわね、あこそに」
ふたりの目が合う。そしてその視線が、同時に見取り図に移っていく。
「時計台をさらに奥に進んだ場所に、山茶花が植えられているんだ。わたしと千歩里は、一度だけその場所に行ったことがある」
「学園でも本当に端っこで、普段は誰も近づかないと思うわ。けどちゃんと敷地内よ、一応」
時計台の奥、と言われて咄嗟に「探してない」と伽音は思った。時計台周辺はかなり探したのだが、その奥、となれば「見込みは薄いだろう」と思って行きもしなかった。
「行きたいです。探しに」
「うん、そうだね。すぐに行きたいところだけど、陽が長くなってるとはいえ、今日中と考えたら厳しいかもしれない。明日の放課後。部室に集合したらすぐ向かおう?」
「はい。お願いします」
伽音は深くお辞儀して、それから自分の中に、喜びと、嬉しさと、興奮と、なにやらいろんなものがないまぜになって浮かんでいることに気づく。手先が震え、冷たい。
やっと、やっとだ。亜梨沙を見つけることができる。たどり着くことができる。
まだ決まったわけでもないのに、伽音はその期待に全身を埋めてしまう。
あの日、空港で。亜梨沙に言われたときから。
ずっと探していた。亜梨沙が隠したそれを、探して、探して。
見つけられれば、亜梨沙と一緒に藤ヶ丘に通える。亜梨沙と、また隣で笑い合うことができる。
まだ見ぬその箱をやっと。
手繰り寄せるときが来たのだ。
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