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「今日中に――ですか?」
大学は夏休みだし、バイトの代わりはいるので不可能ではないが、唐突すぎる。日帰りのつもりだったので着替えもコンタクトレンズの保存容器も持ってきてない。
「東棟に住むがいい。……丸石神に供え物をして毎日拝せよ。ただし、拝殿の奥の土蔵には入るな。……詳しくは分家の正一に聞け」
今年79になるという祖父は、縦皺の目立つ唇を必死に動かして、途切れ途切れにそう言った。
「分家の方がいらっしゃるのであれば、そちらにお願いすれば?」
来週にはサークル仲間と旅行の予定がある。
「分家筋の者には任せられん。良平、お前でなければ……わかっているだろうが……なあ、良平……」
意識が混濁し始めたのか、祖父は息子、すなわち良太の父の名を呼んだ。目尻に涙が光っている。
「わかりました」
本当はわかっていないが、何だか祖父が気の毒になった。父と祖父の間に何があったか知らないが、今、祖父は老いて病床にあり、家を出た息子を偲んでいるのだ。
旅行へ行くか、祖父の願いを叶えるか、天秤にかけたらどちらが重いか言うまでもない。
(ひと夏ぐらい、親父の代わりをしてやるか)
そんな軽い気持ちで、良太はサークル仲間とバイト先に連絡を入れ、夏休みの間を父の生家で過ごすことにした。祖父が丸石神にこだわる意味など考えずに――。
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