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 小森は寺田が担当している5ラインに入って来た。  寺田はいつものように完成したデフケースを両手に持ち目視する。異常が無ければ、パーツなどを付けられることもなく、何を書いても製品として支障を一切出さない、デフケースの全く機械加工が為されていない鋳物の表面部に、自分のマーキング『T』の文字を会社指定の青いペンで書き、完成品台車に載せていく。台車にはデフケースを上段と下段とに並べていくと合計60個まで詰め込める。寺田は仕事が早く、他の期間従業員より遥かに集荷数を稼ぐ。  一方、初めて此処に来た癖に、小森は淡々と仕事をこなしていく。寺田にはまだ手を出すことが許されていない、工作機械がエラーを起こして止まった時の処置も、小森はあっさりとこなしていった。小森はベテラン室井の代わりをしっかりと担えていた。  寺田は淡々と仕事をこなす小森に驚きを禁じ得なかった。 (そんなバカな? 半年も現場を経験している俺より、昨日今日入った高卒の新人の方が仕事出来るって云うのか?)  空気の汚い工場での作業を楽にするためマスクで顔を防護している寺田を傍から見ても、表情は確認出来ない。しかし寺田の涙腺は緩んでおり、涙を零す直前まで眼球全体が潤んだ。デフケースの目視に影響が出るため、寺田はワイパーで水滴を弾くように瞼を一旦閉じてピントを調整すると、淡々とデフケースの目視作業を続けて、完成品を台車に載せて出荷していった。何も考えずに動く機械のように。  寺田は悲しかった。教育の差を痛感していた。自分だって、他の新卒社員のように会社から新人研修を半年間しっかり受けていれば、小森のように、いや小森以上に仕事が出来たはずである。ところが会社は契約社員を育てようなんて思っていなかった。その扱いの違いを寺田は小森を見てはっきりと感じた。口では平等と言うだろう。しかし実態は違う。日本に奴隷制度は無かったと言った安倍総理と同じだ。東京国際大学で田所先生が教えてくれたことだ。確かに奴隷制度は無かった。しかし実態としてそのような酷い扱いを受けたことの有る先祖達が一人も居なかったと云う証明にはならない。  会社から新入社員教育を受けていない寺田は、小森に唯一勝っている大学に行った実績から、大学の講義を思い出していた。東京国際大学の人間社会学部福祉心理学科で非常勤講師をしていた田所勉(たどころつとむ)の話である。
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