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現在のデフケースを目視する寺田にとって、田所の言葉は高卒の小森より自分の方が上なんだと思い上がるための自慰の言葉に過ぎなかった。田所の話はまだ続いた。
「随分と高齢者のことを悪く言ってしまったけど、でもね? 彼らも全部は間違っていないんだ。だって士農工商制度自体は無くても、身分の問題や部落差別に繋がるような原因は江戸幕府も実際作っているからね。日本もドイツもやってないことまでやったってされること多いけど、じゃあ大日本帝国やナチスドイツを肯定して良いかと言われたらそうじゃない。犠牲者数は兎も角、悪いことしたのは変わらないんだから認識を変える必要が薄いんだよね。教会だって聖書の言葉信じてダーウィンに負けたことは変わりない。要するに、五十歩百歩。だから認識なんて変える必要は無いし、間違っていることにならない。だから江戸時代を士農工商って云っても間違いにならないの。事実とか情報とかに若干の差異はあっても、そう云う認識、要するに物の見方は間違ってないでしょ。だから、実際には無い物を有ったと言ったって間違いじゃないんだ」
無い物を有ったと言っても間違いにならないなら、幽霊が見えたと言っても間違いにならないんだと寺田は思った。幽霊が『見えた』のだから『居た』と断言しているわけではない。反対に『有った』モノでも『無かった』と言っても良い。奴隷的な扱いを受けても、『奴隷』と名付けなければ奴隷は居ない。『認識』の問題で人間社会は如何様にも変化を遂げる。
寺田は田所の講義を聞いて感動した。
(これが人間社会学部の授業だ!)
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