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この日、俺は取引先の会社・サクラ商事を訪ねていた。
「ここのメニューから帳票を選んで貰えれば……ほら」
「あぁ、ここから探せば良かったんですねぇ」
会社の入り口にある受付で、俺は事務ソフトの使い方を教えているところだった。これが俺の仕事だ。
「いやぁ、藤野さんがいてくれて助かりますぅ」
「いえいえ。これくらいのことなら、いつでも呼んでください」
受付に座っている女性の事務員・小野寺智子さんが穏やかに笑う。このおっとりとした振る舞いが、俺はすごく好きだった。いつも笑っており、僅かに垂れた目尻に、おっとりとした口調と性格。話しているだけで癒やされる気分だった。
「ところで、左手、どうかされたんですか?」
ガーゼで覆われた左手が気になっていたのだろう。首を傾げつつ尋ねられた。
「ちょっと、ぼーっとしてたらお湯をかけちゃって……。火傷しちゃいましたよ」
「あらぁ、気をつけないとダメですよ。もしかして、最近そういうことが多かったりしませんか?」
「え?」
思わずドキッとした。確かに最近ちょっとした不注意による事故が多い。しかし、それを誰かに話したことは無い。ズバリ言い当てられて、驚きの声を上げてしまった。
「わたしの占いは良く当たるんですよぉ」
こちらの反応から読み取ったのだろう。ニコニコしながら彼女は得意気に胸を張った。
「そうらしいですね。久保田さんたちにも聞きましたよ」
彼女の占い好きはサクラ商事の中では有名らしい。他の事務員たちも皆口を揃えて言っていた。また評判もかなり良いようだ。
「もうしばらく災難は続きそうですから、気を付けてくださいねぇ」
「……あまり当たらないで欲しい占いですね、それは」
気の滅入るような台詞に、俺は肩を落とした。それを見て彼女はいつも通り穏やかに笑っていた。
仕事中ではあるが、俺はこの時間がすごく好きだ。
とは言え、相手は取引先の人間。下手な発言をすれば、俺個人が嫌われるだけならまだしも、会社同士の付き合いにまで影響をきたしかねない。好意を伝えるなどもってのほかだ。
こうして時折楽しいひと時を過ごすことが出来る。それだけで俺は満足だった。
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