時が満たりて凍蠅が葬列を為せば、埋もれた罪が時効の天秤にて計量(はか)られる

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       * 木葉刑事が青森に来て9日目。 やはり、事件は白骨遺体の発見で大きく動き始めた。 昼間、或る男性が県警を訪れた。 その人物は、〔室井 真孝〕《むろい まさたか》。 刑事課に居た魚住参次官は、その彼の話を聴いた。 この室井氏は、父親と2代で写真屋を遣っていた。 観光地の奥入瀬渓谷で、バスツアーの集合写真を撮ったりする。 そして、古い型のデジカメを見せて来た。 “このデジタルカメラは、ブームが始まる前。 先駆けとして1993か、4年ぐらいに発売されたものです。 あの女性達が失踪した頃、観光案内や情報誌、または写真展に出す為の写真を一杯撮影してまして。 あの事件が起こった日の前後は、青森駅や弘前駅も撮影してました。 ですが、父と私はそのまま十和田湖方面まで足を伸ばしまして。 その後、出稼ぎに東京へ。 この中のデータは、余り使えないとパソコンに残しっぱなしだったんですよ。 何でも、行方不明者らしき御遺体が見つかっても、犯人がまだ捕まって無いとか。 この写真のデータが何かのお役に立てば、とお持ちしました” 室井氏の話では、駅を写した画像の中に、行方不明と成った3人の女性らしき姿が在ると。 そのデータは、USBメモリースティックに移行して在った。 それを受け取った魚住参次官は、丁寧に室井氏を外まで見送った。 その後、その映像を鑑識に持って行く。 一方。 東京では、やはりあの発見された3人の遺骨は、25年前に失踪した3人の女性のものと特定された。 DNA検査の結果が出た訳だ。 また、この日の夜に。 青森県警でも、あの回収された手帳の内容の一部が判明する。 解った情報を話し合う真夜中だが。 東京から来ていた5人は、朧気に何が起こったのか解った。 明けた次の日、朝一で基本的な情報が総て揃った。 魚住参次官の代理人が、本日に東京から来る。 魚住参次官は、木葉刑事と飯田刑事と松原刑事に。 「皆さんは、本日の早い便で東京に。 今日の午前を逃すと、夕方にはまた天候が荒れそう。 さ、行って」 午前11時台の飛行機で東京に帰る事にした木葉刑事達。 東京では、魚住参次官から情報を貰った九龍理事官が、被疑者を内偵していた。 夕方の5時を回ってから、木葉刑事達は千住署に帰った。 「木葉さん、10日ぶりね」 九龍理事官と対面した木葉刑事は、頷く成りに報告を始めた。 話を聴いた九龍理事官は、7時が近付く時計を見てから。 「………なるほど。 青森県で解った事は、受け取りました」 もう後は逮捕するのみ。 話終えた木葉刑事は、もう気楽とみせて。 「では、自分はこれで。 休みでも取りますか~」 手柄は要らない木葉刑事だから、もうどうでも良いとばかりに背を伸ばす。 周りの所轄の刑事からすれば、これぞ“鴨ネギ”か“棚ぼた”。 九龍理事官がもう答えを得ている様なので、後は指示待ちでも手柄に成りそうで在る。 (犯人はもう解ってる。 後は逮捕するだけだ) (だが、2人居るぞ。 逃がさない様にしないと) (ってか、片方は無理なんじゃないの? 政治家に献金してるあの人だぜ) (おーい、殺害を依頼して、献金すると逃げれるなら法律なんか要らないぞ) 一部の刑事達がヒソヒソと話す様子を無視し、木葉刑事はスタスタと会議室を出て行く。 それを黙って見送るのは、九龍理事官や飯田刑事。 こんな事で、人材が育つのか。 木葉刑事ではない他の刑事は、苦労も辛抱も重て刑事としての資質や経験を得た。 こんな形では、人材は育たない。 育つとすれば、木葉刑事の姿を糧に出来る一部だろう。 その後、6時、7時、8時と過ぎて行くと、織田刑事や如月刑事が一緒の刑事達と帰って来る。 報告を聴いた九龍理事官は、期は熟して来たと感じた。 本日、あの古堅なる女性が起訴された。 もう彼女は観念していて、踏田禊の死体遺棄から総て話していると思われ。 証拠も固まった、と九龍理事官が判断した。 一方、向井についても遂に全面自供を得られた。 最後の決め手は、あの亡くなった詐欺師達の遺留品で在る。 主犯格の一人が、踏田禊の携帯電話を持っていた。 他人の携帯電話は、自由に使える犯罪道具なのか。 だが、そのカメラのフォルダには、電話を掛けようとした踏田禊さんに襲い掛かり。 その首を絞める仲間を手伝う様に、押さえ付ける向井の姿が映ったデータが残っていた。 何故、残していたのか解らない。 “恐喝のネタに使える” と、でも思っていたのか。 そのデータを画像に出され、向井は完全に観念した。 この一件で、総務部長に何等かの審問がされた事は、警視庁でも極一部しか知らない事だった。 その夜だ。 午後8時過ぎ。 久し振りに、宿舎となるマンションへ戻った木葉刑事。 明日も休みを入れたのだから、のんびりと洗濯に出た。 階段を降りていると、嶋本班長から連絡を受けた。 “木葉、逮捕に同行しないって或るかっ” 御叱りで在る。 “手柄は付かないですし、もう疲れました” 言い訳をすると。 “バカ野郎っ! こんな手柄を貰ったって、誰が手柄と思うっ! 実力も実績も無い奴に、手柄なんて要らないンだっ!!” 正論を言われた木葉刑事だが、もう休みは了承されたから仕方ない。 トレーナー姿で下着などをコインランドリーに入れて、スーツをクリーニングに出した。 その最中に、今度は進藤鑑識員からお礼の電話が。 また、鴫鑑識員からも、労いやら世間話が在った。 話終わったその足で、近場のファストフード店に入る。 チリドックとサラダとアイスコーヒーを頼む。 窓側の一人席に座り、ボンヤリしながらスマホを手にする彼。 その5分後。 木葉刑事の座る席の一つ手前側に、サングラスをした女性が座る。 茶髪でスカートタイプのスーツ姿に変わった〔茉莉 霞〕隊員で在る。 “茉莉、木葉が目覚めたのか調べろ。 アイツが霊からあの事件の存在に気付いたならば、記憶が目覚めた可能性が在る!” 鵲参次官経由で来た依頼だ。 隊長から言われては、調べない訳には行かない。 座って木葉刑事をサングラス越しに観た茉莉隊員。 「………」 今時の若者の様に、スマホに向かって何かしていた木葉刑事。 記憶が戻って居たならば、茉莉隊員の事も思い出した筈だ。 「お客様、御待たせ致しました」 若い大学生みたいな女性が、木葉刑事の注文した品物をトレイに乗せて来た。 「ど~も」 会釈する木葉刑事と茉莉隊員がチラッと顔を合わせたが…。 まるで知らない人を観たかの様に、トレイの上のものに気を向ける木葉刑事。 完全に、その様子は他人に対した姿だ。 そして、木葉刑事のスマホにまた着信が来て。 「はい~、木葉」 電話は、捜査に出ていた市村刑事からだ。 「木葉、明日も休みってか。 確保はどうする」 「さぁ、お膳立ては、ほぼ出来てますでしょう? 手柄の付かない俺に代わって、皆さんで頑張って下さいよぉ」 「抜かせよ。 こんな棚ぼたの手柄を遣ったって、若い奴の身に成らないぞ」 「でも、労基に抵触するって、事務方が…」 「バカ。 あの事件(ヤマ)にどんでん返しが起こったら、ど~するんだ」 「御手上げ~」 木葉刑事のいい加減さに、市村刑事もモヤモヤ。 「アホ」 「どーせ、“アホ”とか“バカ”とかしか言われない三下です」 「こんな時に卑屈になるな。 全く、嫌々に雪山まで付き合わせて、あんなモノを見付けやがってからに…」 「市村さん、寒いの苦手そうッスね。 早く誰か、暖かい人の所にお帰りなされば宜しいのに」 「お前ぇ、里谷みたいな事を言うなっ」 その様子を盗み見る茉莉隊員は、木葉刑事の何も見図れない。 (まだ思い出してないのか、思い出しているのか解らない。 これは、一度警戒の度合いを上げる必要が在るか?) 鵲参次官の言いなりにはしたくないのだが。 太原長官からの役目も重複する。 こんなあやふやでは、此方が錯乱させられているみたいだ。 市村刑事との雑談をする木葉刑事は、ゆっくり頼んだものを食べきり。 通話も終わると、トレイを片付けて店を出て行く。 コンビニに立ち寄った木葉刑事は、コインランドリーに戻って洗濯物を乾燥に回す。 「………」 班の仲間からショートメールが来る。 スマホを弄る木葉刑事の居るコインランドリーに、男女の職員が入って行ったり。 男性刑事が入り、面識が在る者だと雑談に為る。 「何だ、木葉か」 「ども」 「お前、千住署の事件に就いてるんじゃないのか?」 「いやぁ、青森県に行ったりして、半月以上も捜査本部にカンヅメだったッスよ」 「どうだい、塩梅は」 「直に、何かの答えが出るんじゃないッスか。 点数の付かない身分ですからね、ボチボチ仕事ッス」 「お前、そんな事を言ってよぉ。 鴫や九龍さんと、美味しく成ってるんじゃないのかぁ」 下らない話での、探りと守りのやり取り。 捜査状況を口にしないまま、それとなく探ったりするやり取りだ。 そんなこの場に、サングラスを外した茉莉隊員が入る。 ウィッグを外して、衣服もカジュアルなジャージに変わった。 色々な部所が在る警視庁だが、大体の職員は何となくお互いに解るのだが…。 木葉刑事と話していた、別の課の男性捜査員が茉莉隊員を見付け。 (おい、あのイイ女。 何処の部所だ?) 問われた木葉刑事は、然り気無く茉莉隊員を見ると。 (自分達に解らないって事は、上か・・コウアンじゃ…) (ん゙~、気軽に声を掛けたら不味そうだな) (でも、一か八か、切腹か成功か、行ってみたら如何で?) (切腹は解るが、成功って何だ?) (いや、男女のヌキサシに掛けまして…) (木葉、お前も中々アレだな) 下らない野郎2人の話で在る。 盗聴機より確りと聞いていた茉莉隊員。 (思い出してない、か?) 木葉刑事がコインランドリーを去るまで、身を晒して探っていた。 だが、記憶を思い出した様子は掴めずのままだった。         * 明けた朝、9時半。 東京都の南千住の外れに在る大病院、“武蔵川慈愛病院”に捜査本部の刑事が入った。 逮捕状を見せて確保したのは、この院長の弟で病院内の薬局を営む〔武蔵川 照美〕《むさしがわ てるみ》56歳。 騒然となる病院の敷地から彼が車に乗せられた。 警視庁の聴取室に連れて来られた彼は、飯田刑事から事情聴取をされて簡単に堕ちた。 武蔵川が被疑者と特定が出来てから、漸く小田切玉美と繋がる証拠に在り付けた。 防犯映像も捜したが、小田切玉美と出逢ったらしい・・ぐらいのモノしか無かったので。 最初は、直ぐに堕ちないと思われた。 然し、25年前の事件に小田切玉美と武蔵川が関与している事を匂わせた事が、武蔵川を自供に向かわせた。 後に、親が連絡した弁護士が来るが。 “大丈夫さ、どうせあの事件は時効だし” と、彼は呟いた。 さて、武蔵川の供述に因ると…。 今から27年前。 単身で青森県へ旅行に行ったこの武蔵川。 大病院の院長の一族で、スキーやテニスが得意な武蔵川は、現地で女性を口説くことも朝飯前だった。 そして、現地調達として口説いたのが、まだ男に不馴れだった小田切玉美だった。 当時は、未亡人となり、一人で暮らしていた彼女。 女性に甘い話をして、その気にさせるのが彼の常套手段。 全くその気も無いのに、結婚の約束をして彼女を抱いた。 休暇を楽しんで東京に戻った武蔵川照美。 彼には、高校の頃からの悪友が居た。 それは、今は実業家・料理人として、国内では著名人No.1と云える蔦野英司。 その頃の蔦野は、世界的な料理コンクールで賞を取った。 その成功が、蔦野を増長させた。 その時。 後に行方不明にされる女性3人〔本田 笑〕《ほんだ えみ》、〔妃形 彩〕《ひがた さい》、〔宮成 紀子〕《みやなり もとこ》。 共に29歳の仲良し3人組と蔦野は、割り切った男女の仲に成っていた。 さて、この3人娘は、一人7000万。 総額2億の預金を保持していた。 大学卒業が間近な頃、経済学を専攻する本田笑が、金の価値が下がっている事に目を付ける。 その話を受けた妃形彩は、後に就職した金融・株式を扱う会社で金を貯蓄財産として購入する術を学んだ。 彼女の誘いで、3人は金の延べ棒を買って貯蓄を始める。 それから5年ほどして…。 海外へ、ツアコンとして行っていた宮成は、中国とインドを中心として金の価値が上がり始めた事を知り。 一番に価値が上がった処で売る事を打診。 その結果が、2億の預金と成った。 この事実を知った蔦野は、自分の店に来る武蔵川に愚痴る。 “嗚呼、あの金の半分が在ればな…” ギャンブルが趣味の武蔵川で、借金を抱えていたから金を奪おうと言い始めた。 最初、蔦野は話に取り合わなかった。 どう考えても無理と思ったのだ。 処が、26年前の春、状況が一変した。 その理由は、蔦野に或る人物が接触して来た事が始まりだ。 それは、創業50年の大会社“延本商事”の会長だった。 まだ、国内でのみ有名な西洋料理人の下で、支店を任されるだけの蔦野だったが。 会長はVIP席に入り、一通りの料理を堪能すると。 VIP室に蔦野を呼び出し、人払いをすると…。 「蔦野君。 君が自力で店を出す気が在るならば、私の末娘を妻にしないか? 食材を輸入する必要が在るだろう? ウチならば、一括して量も考えて仕入れ可能だよ」 “独立を望むならば、提携しないか…。” こう言われているも同じだった。 会長の末娘は、美貌は文句無し。 年齢も若く、御嬢様育ちの物静かな人物。 蔦野にしてみれば、強力なバックと美女を一挙両得と云う訳になる。 その条件に突き付けられたのが、自力での独立だ。 (自力で独立すれば、店に関しては会長とて口を出せないだろう。 輸入だけの提携ならば、これこそ願ったりだ) こう思う蔦野が独立するとしても、絶対に困ると予想・・いや。 確実に障壁となるだろうネックは、主に二つ。 一つは、独立資金で在る。 二つ目は、師匠のオーナーシェフから言われていた事。 “蔦野。 俺から簡単に独立が出来ると思うな。 独立をした瞬間から、お前の仕入れを邪魔してやろう。 海外からの輸入は、軒並み出来ない様にしてやる” 何故か。 日本では、“フレンチの巨匠”などと世間から言われた師匠のシェフだが。 彼は、海外のコンクールでは常に、成績不振に終わっていた。 弟子の蔦野が受賞した事で、彼の店は絶頂期になる。 蔦野が独立を果たせば、それはブランド力が無くなる事だ。 “漸く、海外の著名人にも店と自分を宣伝が出来る。 俺は、これから更に成り上がるぞ” こう密かに意気込む師匠のシェフ。 その栄華を失う様な事は、断じて許せなかったのだ。 そう、蔦野からしてみれば、師匠の束縛を千切り自由と成る為には、是が否にでも自力独立を果すしか無かった。 延本商事の会長から金を借りては、飼い主が代わるだけで自由は無いと解っていたからだ。 ま、延本商事の会長も蔦野を焚き付けたのは、協力を考えたが、率先して協力する事を戸惑ったからだろう。 海外との新しい食品に関したやり取りを広げたいが、それにはキーマンが欲しい。 その取っ掛かりに、料理人の蔦野は打ってつけだ。 が、蔦野の師匠となるシェフは、国内では名士と成りつつ在り。 下手に蔦野を取り込めば、面倒に成るのは必至。 ならば、先ずは蔦野が独立まで遣って貰い。 其処へ手を貸した方が、会長としても痛みは少ない。 また、蔦野自身の遣る気や実力も計れると云う感じだ。 こうして、蔦野と武蔵川の思惑が重なった。 蔦野は、武蔵川に殺人を依頼する。 報酬は、2億の内の5000万と。 毎年、500万の小遣いだった。 借金まみれの武蔵川で、5000万円でも在れば、借金を返して当面の遊興費は残る。 その為、準備費用として200万を要求した。 そして、この2人に因る、3人の女性の殺人計画がスタートした。 さて、計画を始めるにしても、何よりも先ずは、蔦野は3人から金を引き出す必要が在った。 その計画は、3人にオーナーに成って欲しいと依頼する処から始まる。 偽の弁護士と云う人物を用意し、3人を一緒のパーティーに招待。 最高の料理を振る舞った時に、こう切り出した。 “皆さんは、素晴らしい先見の明を御持ちだ。 其処で、私に投資してみないか? 私は、近々に独立を考えている。 都内に三店舗を同時オープンし、君達にそれぞれ一店のオーナーに成って貰う。 見返りは、融資の元本は必ず返済する約束状と。 毎月の売り上げの5%を支払う。 毎年の報酬額は、数百万だろうが。 それがずっと続く” こう謳い、更に延本商事と契約済みの話を切り出す。 この当時は、フレンチやイタリアンのレストランが、ジワジワと国内でも人気に成っていた。 シェフとして日本での人気は、その当事は蔦野が一番に成る。 確かに、投資をするにしても失敗は少ない賭けと思えた。 今の蔦野を知る世間の人からすると。 “こんな殺人をして金を奪う必要も無かったのではないか。 資金援助なり出資を募れば良かった” と、思うだろう。 処が。 蔦野の師匠になるシェフは、専門雑誌やそのライターとの結び付きが強く。 当時の政財界にも、そこそこの顔が利いた。 当時の蔦野が才能だけで独立しようとしても、十中八九は潰された筈で在る。 だから蔦野は、殺人を犯してでも金が欲しかった。 師匠の知らない伝からで…。 話を切り出した蔦野は、3人のサインだけ在れば契約完了と云う書類を見せて。 後は、3人の自由な判断に任せるとした。 だが、蔦野と肉体関係に在る3人。 甘い囁きは受けるし、蔦野の居る店に人が押し寄せ、予約は常に満杯。 この人気に乗らない手が在ろうか、と思うのも無理はない。 9月には、3人が2億を投資する契約書にサインした。 金が蔦野に渡ると云う事は、殺人計画を実行に移す合図でも在る。 この時、武蔵川は練りに練った殺人計画を動かし始めた。 その手始めは、3人の女性を酸ヶ湯温泉に誘う事だった。 無論、旅行を云うのは、蔦野。 “独立の前祝いとして、私を含めた4人一緒に酸ヶ湯温泉へ行かないか? 実は、此処では話せないプランが在る。 年末は忙しくなるから、少し雪が降る10月なんてどうだろうか。 店の内装や外観など、其々の店にはオーナーの意見を聴いて、個性を出したい。” こう添えれば、飲食店のオーナーに成るとして意識する3人だ、天にも昇る様な優越感を得る。 旅行が決まり、計画は先に進む。 蔦野から誘った形だが、準備は彼女達に頼んだ。 今の蔦野が金を使って旅行を計画すると、師匠の取り巻きに気付かれる恐れが在る。 だから、代行して頼むと金を出した。 蔦野の独立を支援する3人の女性は、寧ろ喜んで協力する。 偉ぶるだけの蔦野の師匠には、蔦野と云う存在すら勿体無いとすら感じていたからだ。 そして、この辺りから加わる新たな関係者は、女性の小田切玉美だ。 武蔵川は、自分に惚れている小田切玉美にまた逢い。 彼女を抱く傍ら、二つの依頼をした。 一つは、密かに東京へ来て、注文した包丁を受け取る事。 もう1つは、地元で誰もが怪しむ人物を見付けておく事。 武蔵川との結婚を夢見ていた小田切玉美は、東京に上京し。 殺人の凶器となる包丁を購入し。 また地元にて怪しめる人物を調べた。 青森県で地味に生きていた小田切玉美にとって、武蔵川との恋は一生モノだった。 玉美と逢瀬を重ねる様な素振りを見せながら、何度も酸ヶ湯温泉の周辺に向かった武蔵川。 ひっそりと酸ヶ湯温泉の奥の山林にテントを張り、旅行や散策を装って山を見て回れば。 立ち入り禁止の一角に、空洞を発見。 これが、酸ヶ湯温泉から300メートルぐらいの処で。 殺害の仕方を決定付けた。 また、東京に戻れば。 輸血用に使われる専用のパックを集め、採血に必要な道具を揃え。 計画が決行される前日には、頭髪を劇的に変えて、付け髭やら何やらで変装もした。 そして、遂に計画が決行される。 武蔵川照美は、当日に青森県へ一足先に。 現地集合で3人の女性と会うと、酸ヶ湯温泉に向かう。 この時、送迎を頼んだのが判決を受けて服役する高橋だ。 今回の計画にうってつけの人物と玉美が調べた人物は、補助職員の合間に金で送迎を頼まれもする若者。 しかも、知恵遅れから若干ながら行動が不審に見える。 26年前の事件当日。 酸ヶ湯温泉には、武蔵川、玉美、高橋、そして3人の女性が揃った。 3人の女性には、武蔵川が明日に帰るのと入れ換えで、蔦野が来る事に成ってる・・と知らせて在った。 夕食後に、3人の女性が泊まった部屋で、高級ワインを振る舞った武蔵川。 そのワインには、かなり強い眠剤が入れられていた訳だ。  夜の10時を過ぎた頃を見計らい。 武蔵川は女性の一人を担いで窓から出る。 彼のサポートは、玉美がした。 当時の携帯電話など、酸ヶ湯温泉では使えない。 トランシーバーなんて古めかしいものを使う。 一人目の女性を洞窟に運んだ武蔵川は、ブルーシートを広げてその上に女性を寝かせる。 ランタンを幾つか点灯し、明かりと熱源を確保すると。 運び込んだ女性を裸にして拘束し、全身から採血をする。 普通の腕から行われる採血は、採血に因る効率や常識的な事を考慮して遣る。 だが、今回は殺害するのだ。 そんな常識的な事など度外視と云う処だろう。 首から足からと、全身から採血をする。 さて、採血を始めてから、二人目を迎えに行く。 雪の降った山の中、歩くだけで大変だ。 只の舗装された道路を行くのではないから、大変など温い表現だが。 それでも、朝方までには3人を洞窟に運び込んだ。 一人3リットル以上も抜けば、失血性のショックを起こす。 武蔵川は、それ以上を採血した。 もう死ぬのは時間の問題で、確実に殺害が可能だ。 後は、木葉刑事と井口医師達の考えた通りで在る。 3人の女性の肉体を用意した包丁で激しく損傷。 この時、遺体が早く発見された場合を考慮してか。 強姦致死傷に見せ掛ける為、遺体を必要以上に殴ったり弄ったりした。 そして、衣服と凶器をバックに入れて、捜索隊の向かいそうな場所に棄てた。 武蔵川が偽装工作をする間、玉美も偽装工作をしていた。 小雪が舞い始めた朝方から、武蔵川の行った後の痕跡を荒らして。 残された3人の女性の靴を使って、参道に向かう足跡を残す。 朝の食事時で失踪がバレると思っていたが。 俗に云う“どか雪”となる昼近くまでバレなかった。 これは、武蔵川に強運が向いた。 バックを捨てて山奥に戻り血を撒いた武蔵川は、奥入瀬渓谷に向かう側の道に向かった。 待ち合わせた山沿いの道路で、玉美が運転して来た車に乗り込む。 車の中で髪の毛をバリカンで刈り、変装を解いて青森駅に。 武蔵川は、そのまま東京へ帰り。 玉美は、また酸ヶ湯温泉に戻る。 計画はしっかりしていたが、シミュレーションも、犯罪の訓練をした訳でもない。 武蔵川と蔦野に、偶々運が向いていた。 また、玉美が驚いたのは、バックを拾った高橋が隠した事だ。 拾って届け出た後に、高橋を不審な人物と警察に云う筈だったのに。 高橋は、何故かバックを隠した。 まさか、下着を自慰目的に使う為、バックを持ち帰るとは思えなかった。 処が、これが更に状況を好転させる。 爆弾低気圧の影響から、山の奥までの捜索は出来ずに遺体の在る洞窟は雪に埋没。 血を撒いた場所も雪に埋没した。 “天は我を見放したり” 某映画の有名なセリフが、今回は逆転。 “天は我を助けたり” と、こんな感じか。 然し、想定外は、新たな想定外を生む。 計画変更を余儀無くさせる事にもなる。 計画が半ば成功、いや8割方成功したのに。 バックが警察に届け出されない。 この事実は、小田切玉美にしては不運に働く。 彼女は、武蔵川と一緒に成りたくて協力した。 高橋が警察に捕まりさえすれば、小田切玉美は故郷を捨てて東京に。 そして、武蔵川との結婚と云う夢物語が描かれていた。 だが、バックが届け出されないと、迂闊に玉美が警察に密告すればおかしな事になる。 確かに、後にガサ入れから高橋へ容疑が向いた様に、密告でもガサ入れさえされれば容疑は向くだろう。 然し、然し然し…。 11月半ば、玉美の考えを電話で聴いた武蔵川は、 “ダメだ。 春まで待て” と、言い留めた。 武蔵川としては、血液が発見されるのか、否か。 死体が早くに発見されるのか、否か。 それが非常に気掛かりだった。 そして、何よりも東京には、結婚を前提にした恋人も出来ていた。 今更、玉美に東京へ来られても、彼女を相手にする気持ちが冷めきっていたのだ。 雪に閉ざされる東北の最果てで、小田切玉美は武蔵川との結婚を夢みて待っていた。 厳しい冬と毎年付き合う東北人には、辛抱もまた馴れた事と言い聞かせる。 雪解けが始まる4月まで、その我慢は続いた。 そして、年明けから4ヶ月しての最初の捜索で、熊により血液が発見される。 土壌に、雪から水へ変わりながら染み込んで行くに合わせ、血液も土中に染み込んで行く。 その土を採取してみれば、撒かれた血液の量が致死量と解って新聞に載った。 失踪事件だが、事故か殺人の可能性が高いと青森県警が本格的に動き出した。 その様子を地元民として感じ、知る小田切玉美。 こうなれば、自分から密告するのは怪しまれるだろう。 だから、彼女は待った。 そして、5月に入って中旬。 遂に、玉美の元に刑事が来た。 事件当日に酸ヶ湯温泉に居た訳で、色々と聴かれ、用意していた答えを返す。 そして、最後に。 “あの、あの時の事を思い出したんですけどね…” バックを拾った高橋の存在を仄めかす。 刑事達の眼が、それで変わった様子を玉美は見た。 高橋が確保されるまで、玉美から武蔵川も報告を受ける。 その一方で、武蔵川は玉美に或る提案をする。 “悪いが、玉美。 お前、俺の愛人として生きてくれないか” 武蔵川の恋人とは、製薬会社の取締役から議員に成った人物の娘。 自分から口説いたのに、玉美には。 “実は、親父の薦めから見合いをさせられた。 断るつもりだったが、どうやら政略的な婚約だ。 薬剤師として病院にいる俺に、親父が基盤強化の為にと紹介したんだ。 駆け落ちしても、俺は見付かってしまうだろう。 玉美、東京で愛人に成ってくれるか?” いきなり、結婚の約束が破られた。 だが、大病院の院長の子供で、しかも彼は三男。 薬剤の責任者だが、その実権は父親と兄に在る。 彼の身の上を勝手に慮った玉美は、それでもいいと答えた。 側に居れれば、それで構わないと。 さて、遂に高橋が警察に確保された。 ガサ入れでバックも発見される。 起訴されるまで青森に居た玉美は、青森県警から何度も事情を聴かれた。 慌てて東京に行かなかったのは、自分も警察から怪しまれて居ると察したのだ。 玉美が、高橋の事を聴いて回っていた事は、当時の捜査で刑事にも知られていた。 “あの人、たまに温泉へ来るんですが。 噂だと、覗きをして捕まったって…。 私、前に入浴中を覗かれた気がして…。” 女性で在る玉美の詳言は、前科が在る高橋には悪く作用し。 また、疑いを無くす効果も作った。 高橋が起訴され、玉美に対して警察も訪ねて来なくなる。 漸く、満を持して東京に行く事が出来た小田切玉美。 だが、玉美を待ち受けていたのは、短い幸せの一時と、地獄への転落で在った。 東京に住み始めてから3ヶ月。 玉美はアパートに住み。 定期的に、武蔵川とホテルで逢瀬を重ねる。 だが、ある日だ。 夜に、玉美を東京郊外のホテルに誘った武蔵川。 処が、デートの最中に、二人は暴漢から襲われた。 武蔵川は殴られて、玉美は暴漢に拉致されて何処かの倉庫に。 其処で強姦された挙げ句に、その様子を無断で無修正のポルノビデオとして売られた。 数日して解放された玉美は、まだ貞操観念が強く。 武蔵川に会うのも躊躇う様に成る。 然し、暴漢達は玉美の住所も知っていた。 アダルト映像の製作会社の従業員なる人物が尋ねて来て、出演を強要される。 拒否するならば、 “無修正のビデオを全国販売するぞ。 ついでに、あの愛人の男も恐喝をしてやろうか?” この時は、まだ武蔵川を愛していた玉美だ。 自分の所為で武蔵川に迷惑が掛かるのを恐れ、言いなりに。 実は、全ては武蔵川の仕組んだ事だ。 そろそろ結婚をしなければ成らない時で、身の回りの掃除を双方の親父から言われていた。 玉美が自分に逢えなくなればそれで良かった。 然も、武蔵川は念には念を入れて、敢えて玉美と連絡を取り。 玉美から別れを切り出すまで、気を掛けた様に見せた。 こうして、武蔵川と玉美の関係は終わる。 その後の玉美がどうなったのかは、犯罪に荷担し続けた人生からでも察せられるだろう。 絶望し、地獄のどん底に堕ちた玉美なのに。 大崎と云う女性に肩入れしたのは、何か自分と共通するものを感じたからか。 亡くなってしまった為、その全てを知るのは難しいだろう。 だが、武蔵川には、まだ先が在る。 漸く、漸く、武蔵川の遣った手口が解った。 いや、武蔵川が被疑者と解った事で、様々な小細工が解ったのだ。 今年の3月始め。 都内に来ていた小田切玉美は、武蔵川を見掛けた。 それは、蔦野の経営するレストランが入るホテルで。 妻ではない若い女性と、ホテル内のレストランで食事をする。 そのままホテルに入った武蔵川は、朝まで出て来なかった。 20数年ぶりに武蔵川を見た玉美は、一体何を思ったのか。 この時の様子が、防犯映像から確認されている。 次の日の朝、女性と別れた武蔵川が地下鉄乗り場に向かおうとした時、突然の間合いで玉美が武蔵川の前に現れた。 玉美を見た武蔵川は、直ぐに玉美だと解らなかった。 “久しぶりだこと。 昨日、見掛けたから同じホテルに泊まって待ってたの。 あんな若い愛人を作って、別れる時には私と同じ事をするのかしら” 彼女の話を聞くうちに、武蔵川も相手が玉美だと解った。 “た・玉美か?” “えぇ。 あれから貴方のお陰で、薄汚い道で成功よ” 不気味な笑みを浮かべた玉美を見て、武蔵川は過去の事件を思い出した。 新聞で、高橋の判決が出た事は知っていた。 だが、この玉美は全てを知る。 3人の殺害の仕方も、偽装工作の内容も、蔦野と自分の策謀と云うことも。 “いきなり、どうしたんだ玉美” “別に。 ばったり会っただけじゃない” こう話したが、武蔵川には本当にばったりなのか、玉美の本心が解らない。 何故、ホテルに泊まってまで待っていたのか解らない。 “ど、どうだ? 今度、食事にでも行かないか?” “あら、私みたいなオバちゃんなんかを誘うの?” “だって、久しぶりじゃないか。 近況でも話すぐらいは、しても普通だろ?” 武蔵川は、明らかに殺意を持った。 玉美と云う、全てを知る人物の死は、あの事件の完成を意味している様に思えた。 だが…。 “まぁ、いいわよ。 何時?” “これ、名刺だ。 スマホにワン切りしてくれればいいよ。 じゃ、仕事が在るから、また後で” 別れた武蔵川は、病院内の薬局に出勤。 玉美からのワン切りを確認すると。 “ありがとう。 スケジュールの都合を見て連絡するよ” ショートメールで送る。 だが、その後。 武蔵川と蔦野の腐れ縁は、まだ継続していた。 或るホテルで武蔵川と蔦野が会うや…。 “テル、あの女を殺せ。 一億、いや二億払う。 あの事件を知る人物は、俺とお前以外に居ては成らない” 彼女の殺害を打診しようとしたのに、蔦野から言って来た。 後に、スマホに残るショートメールのやり取りの復元からも、この殺害依頼の確認は出来る事になる。 さて、小田切玉美の殺害は、あの死体発見の前日の夜に行われた。 今回の事件に、図らずも協力関係者に成った人物が居る。 千住署からも程無くの所に在る、コンビニ店の店長だ。 病院内に入るコンビニもこの店長が経営し、武蔵川の意向で入れて貰えていた。 日頃から雇われている様な関係で、休日が合えば競馬や競輪に接待の様に行く仲だった。 武蔵川は、玉美をあの寺で待ち合わせるとした。 近くに在る料亭を予約したとして。 一方、病院の敷地内に在る薬局では。 先に夕方で帰るとした武蔵川は、コンビニ店の店長とゴルフに行くとして。 コンビニ店の車にゴルフクラブを乗せて行く。 そして、あの寺の辺りで先回りして降り。 ヤッケを着て、坊主が帰るのを待った。 坊主の事は、コンビニ店の店長が良く知っていた。 彼にその事情を教えた経緯は。 “悪いが、新しい愛人との逢瀬を手伝って貰いたい。 寺なら人も来なそうだが、無人になる寺とか無いか?” 少し前に、こう尋ねられたからで在る。 武蔵川より店長が利用され、武蔵川の隠蔽工作を知らず知らずに頼まれた。 武蔵川からの依頼は、命令されたと変わらないから彼は手伝った訳だ。 そして、事件当夜の午後8時前。 玉美が待ち合わせ場所となる寺に来ると、寺の境内から声を掛けた武蔵川。 寺の中に上がる階段に居た武蔵川は、手にしていたゴルフクラブで飛び掛かる様に彼女を殴った。 叫んだ玉美だが、振り返って武蔵川に掴み掛かろうとするも。 手袋をしてない左手で玉美の顔を掴んだ武蔵川は、砂利の地面に投げる様に捨てた。 何故、飛び掛かったのか。 この理由に、深い意味は無い。 どう玉美を怪しませずに近寄らせるか考えたが。 ゴルフクラブを持っている訳だ。 立って対面で会っても、手を後ろに回しては怪しまれてしまうと思う。 寺の階段に居て考える間に、玉美が来ての行動で在る。 また、この時の素手の理由は、ある意味で不様だ。 手袋を持ち出した武蔵川だが、同じ色の手袋を幾つも持っていた為。 右々と手袋を持って来てしまった。 一応、裏返して手にしてみたが、ゴルフクラブを持つと上手く握りきれない。 ピッタリのサイズでもあるから心配になり、やはり装着は無理と諦めた。 さて、人を殴れば、声は出そうなものだ。 確かに、玉美は声を出した。 だが現場の近くでは、アスファルトの磨耗がマンホールを浮かせてると苦情を受けて。 道路整備の応急措置工事があり。 また、大型トラックなどが通って、叫び声は余り周りに聴こえなかった。 聴き込みの時に、通りがかりで微かに声を聴いた人も居たが。 寺の入り口には“立ち入り禁止”の札が着いたチェーンがある訳で。 千住界隈と云う場所も場所なだけに、差して気にもせずに立ち去ったとか。 こうして、朝まで死体は見付からなかった。 遺体をブルーシートで包み、寺の軒下に隠した武蔵川は、この寺に真夜中まで居た。 あの竹垣にした尿は、寒くて仕方無くやってしまったとか。 そして、終電も終わり人気が無くなった千住にて。 遺体を駐車場に放置し、武蔵川は坊主の格好をして、ゴルフクラブを配達に出した。 死体を駐車場に出したのは、自分達がゴルフへ向かう頃に早く発見して貰う為で。 また、あの次の日は雨。 所によっては激しく降ると云う予報で、土砂降りの雨になれば境内の血は洗われると思ったとか。 その後、歩いて南千住方面に向かい。 途中で変装を解いて、千住大橋駅に。 店長に電話をかけて、彼の車で埼玉へゴルフに向かう。 たった一人の人間が加担する事で、ここまで事件が解らなくなるものなのか。 確かに、武蔵川も考えに考え抜いて遣った事だが。 捜査員達が塊となって調べ回ったのに、武蔵川の名前すら解らなかったのだから。 大体の話が終わった。 今回の逮捕は、小田切玉美の殺害容疑で逮捕した。 25年前の事件も合わせて話した武蔵川に、対面する飯田刑事から。 「処で、高橋の判決が下った時の新聞、最期まで記事を読んだか?」 話疲れた処で、唐突ながら言われた武蔵川。 キョトンとした様子すら見えて。 「ん? 最期まで?」 この時に、飯田刑事は新聞を出した。 用意させたのは、木葉刑事で在る。 当時の新聞記事を集める様に鑑識へ頼んでいた。 机の上に出した新聞の或る場所を指差した飯田刑事。 「良く読んでおいた方がいい」 武蔵川は、その場所を見る。 それは、判決を傍聴した記者の書いた記事だ。 【 今回の被告人は、あくまで殺害の幇助、死体遺棄、証拠隠匿の罪に問われただけだ。 殺害をした実行犯はまだ捕まって居ない。 先日、裁判官の一人がこう言った。 “判決が下るまで、時効は停止する。 時効が始まるとしても、殺人に於ける時効は既に撤廃しているのだから。 実行犯は時効の無い形で、捕まり起訴され、犯罪が立証されれば、罪に問われるだろう” 3人の女性の失踪発覚より、18年以上が経過した。 時効は無くなり、犯人が人知れず死ぬか、捕まって刑に服すか。 道は二つ。 然し、遺族は多くとも、3人の両親で生存している方は合わせても2人しか居ない。 殺害されていると判断された裁判で在ったが。 殺害実行の犯人に判決が下る姿を両親の誰か一人でも見る事が出来る日が来るのか。 継続した捜査の行く末を見守りたい。 記者・斎藤】 記者を読んだ武蔵川の顔が、バカみたいに呆けていた。 「な、なぁ…」 新聞を畳む飯田刑事。 「時効は、死刑を含む重罪を中心に、二度の大きな改正を経た。 殺人の時効は、15年から25年。 そして、後に撤廃となる。 だが、それだけでは無く。 時効が停止する事例の場合についても話し合われた。 犯人が海外に居る場合や、裁判に成っている場合に時効は停止する。 この場合、時効の再始動は、どうなるかについても話し合われた。 その結論は、その新しい改正されたものを適用するとさ」 「だ、だから何だ」 「裁判が始まると、その時の被告人だけじゃなく。 捕まって無いとしても、共犯に対しても時効は止まる。 高橋は当初、3人の殺人が主として起訴された。 その時、御宅や蔦野の時効も停止していた訳さ」 「あ、そ・それじゃあ…」 「高橋の裁判は長引いた。 判決が下ったのは、6年ほど前。 もう時効は撤廃されていた時だからな。 御宅と蔦野の罪に対した時効は無い」 「………」 口を開けたままに成る武蔵川。 引導を渡した飯田刑事は、覚めた眼を向けて。 「御宅は、計4人の殺人。 蔦野は、二度の殺人の共同正犯辺りに問われるだろう」 すると、激しく机を叩いた武蔵川。 「証拠なんか無いっ!」 すると、壁際に居る里谷刑事が。 「立証も出来ない罪に、警察が問うと思った訳? 悪いけれど、バッチリと証拠が上がってるわよ」 「嘘だっ」 「なら、大船に乗ってなさいな」 喚く武蔵川だが、もう九龍理事官に迷いなど無い。  夕方には、司法警察官が検察官に身柄を引き渡す。 弁明の時に、武蔵川は証拠など無いと、時効は成立していると訴えた様だが。 日本に帰国した蔦野が、この頃に逮捕された。 有名人の逮捕に、マスコミは目まぐるしく動く。 本日の午前。 高潮新聞社の刑事事件を扱う部署にて。 木葉刑事に纏わり付いた麻木記者が。 “編集長。 唐突ですが、本日の夕刊の頭に、踏田禊の失踪と殺害についての追加記事を乗せたい” こう訴え掛けた時に、武蔵川の逮捕が入り込む。 (何でっ!?) 何時もは警察から教えて貰える事が、教えて貰えなかった。 また、この逮捕劇は、青森県で発見された白骨遺体や、25年前の事件と付随すると知る。 慌てて彼女等が取材に向かう。 情報を収集している間に、午後は蔦野の逮捕。 マスコミが九龍理事官に怒ったのも当然だが。 九龍理事官は、蔦野の逮捕を見込んで武蔵川を逮捕した。 蔦野が帰国する日に合わせたのだった。 そして、起訴に向けて捜査は進む。 そんな中、武蔵川と蔦野が勾留され始めた日。 木葉刑事と松原刑事に、荘司刑事を合わせた3人は所沢市に来ていた。 大崎宅を訪ねていたのだ。 今回は、家の中に上がらせて貰った刑事達。 「………そうですか。 玉美さんは、その方に殺害されたんですか」 沈む大崎は、何処か玉美を偲んでいる。 御茶を啜った木葉刑事。 「・・あの被害者も、貴女と似た境遇を経験している様でした。 だから、貴女を大切にしたのかも知れません」 「私と同じ?」 「青森県に住んでいた小田切さんは、母一人子一人の環境でしたが、若い頃に結婚を経験しています。 その結婚相手の義理の父親、義理の弟、2人揃って酒乱のクセを持っていまして。 金が無くなると小田切さんの家に転がり込んでは、酒代を無心したり、暴れたりしたそうです」 「あ、あぁ…」 大崎は、自分と小田切には共通点が在ったと知る。 「玉美さんも、離婚を?」 「まぁ、似たようなもので」 「“似たような”って?」 「調べてみますと。 小田切さんの夫、また母親は、その義理の父親と弟の暴力が元と思われますが、亡くなっています」 「死んだ・・んですか」 「夫の方は、暴力が元と思われる脳内出血。 母親の方は、ストレス性に因る心筋梗塞です」 「酷い…」 「そのバチが当たった、と云うと語弊が出るんでしょうが。 夫の通夜に向かう最中、義理の父親と弟の乗る車が海に転落しましてね。 かなり泥酔して運転したらしく、道を外れて崖から転落した様です」 「嗚呼、全然知らなかった。 私は、全然…」 気落ちした大崎だ。 が、木葉刑事は彼女に膝を向けると。 「あの、此方からも一つお願いが在るのですが」 涙を拭く大崎が。 「あ・・・何でしょうか」 天井を指差す木葉刑事。 「あの天井の隅なんですが、板の木目が反対に嵌められています」 「え?」 「貴女が遣った訳では無いとしたら、小田切さんの可能性が有ります。 事件解明に繋がるかも知れないので、出来ましたら家宅捜索をさせて頂けませんか? 小田切さん自身も、犯罪に手を貸していたのは事実。 此処で、悪いものを総て出しきるのが宜しいかと思います」 こう言った。 だが、その許可は彼女に任せた。 松原刑事や荘司刑事は、甘い判断と云うが。 “もう武蔵川と蔦野の起訴は、大丈夫ですよ。 この捜索は、小田切と云う女性の暗部をさらけ出す意味が強い。 あの大崎さんは、小田切さんを信用し、警察に不信感を持っています。 無理にすれば、話が拗れます” 帰りの車で木葉刑事は語った。 そして、2日が経過して。 朝に、九龍理事官が。 「木葉さん。 例の家宅捜索、準備が出来ました。 進藤主任が同行致します。 荘司さんと行って頂戴」 「はいはいはい………」 大崎の家に行けば、もう進藤鑑識員とその班が来ていた。 「やぁ、木葉ちゃん」 「進藤さん。 お手数を掛けます」 「なぁにを言うのさ。 日ノ出町の借りに比べたら、こんなの砂粒以下だよ」 其処へ、鴫鑑識員も来て。 「木葉殿、この家宅捜索は、何の目的が在るのじゃ? 貴方様の肝煎りとは、興味が尽きぬ」 大人びた鴫鑑識員の姿に、荘司刑事が眼を奪われる。 だが、薄く笑っただけの木葉刑事は、大崎を訪ねて手順を踏むと家宅捜索を始めた。 「先ずは、天井の彼処ですね」 脚立を使って天井の板の一枚を退け、屋根裏を見ればプラスチックの書類ケースが。 その中には、小田切が使っていた偽名の証明となる、他人の保険証やらスマホやらが。 他の鑑識員も、これでスイッチが入る。 次に、台所、トイレ、客間を回って、ミクロSDやら手帳を発見。 2階に上がり、押し入れの天井を探すと手記が見付かった。 「これは…」 内容をペラペラと見た木葉刑事は、 「進藤さん、これは被害者の回顧手記ですね。 25年前の事件から、色々と載ってますよ」 と、進藤鑑識員に渡した。 家宅捜索が終わり、木葉刑事は大崎に頭を下げた。 非礼から家宅捜索までの迷惑を…。 魂が抜けてしまった大崎が、鑑識の車両を見詰め。 「刑事さん、これで終わりですね」 「まぁ、大体は…。 問題は、もう親族と疎遠の小田切さんの遺留品をどうするかですよ」 「それは、私が引き取ります。 玉美さんは、私の………」 最後の一部は声が小さくて、荘司刑事には聴こえなかった。 さて、鑑識車両に向かった木葉刑事。 野次馬も多い最中、押収するものを観て、進藤鑑識員は。 「木葉ちゃん、これで事件解決かね」 「事件は、・・でしょう。 人の心に負った事件の傷は、時間と各々の人次第・・でしょうかね」 「ん。 ん・・複雑だね」 証拠品として全てを警視庁に持ち帰る。 スマホやらデータには、プロテクトが掛かる。 読めるのは、手帳と手記のみ。 九龍理事官がそれを改めると、 「これで、全ては固まった…」 と、呟いた。 九龍理事官が、後ろに控える木葉刑事に。 「お手柄ね。 何か、奢りましょうか?」 「それならば、鑑識と自分に御昼を……」 すると、4万円も出した九龍理事官。 「私の分も、宜しくね」 「へいへいへい……」 奢りと喜ぶ木葉刑事は、警視庁の鑑識課のラボラトリーに直行し。 近場に出来た宅配寿司のサイトをスマホで閲覧。 1番高い握りの一式二つと、サイドメニューを色々頼む。 午後の2時頃。 九龍理事官と偶々来た郷田管理官と、鑑識課の進藤班に木葉刑事と荘司刑事だけで、寿司を囲んで突っついた。 日ノ出町の事件の話が中心で、寿司はキレイに無くなった。 去り際に、郷田管理官が。 「木葉刑事、有り難う。 これで、娘といっぱい会える」 首だけで挨拶した木葉刑事は、荘司刑事とまた裏取りに向かった。         * それから、数日後。 最初の武蔵川並びに蔦野の勾留期限が切れる時で、小田切玉美の殺人については目処が着く。 コンビニ店の店長も確保され、武蔵川の行動が割れた。 小田切玉美の衣服に、唾が。 顔には、指紋。 武蔵川に言い訳は見当たらなく、この殺人については観念する。 蔦野も、武蔵川に支払った金。 武蔵川のスマホに残っていたメールの内容の復元から観念した。 4月下旬。 武蔵川の供述より、服役中の高橋に共犯の要素が全く無い事が判明。 弁護士と話す武蔵川は、幾らかでも己の罪を軽くし。 小田切玉美に罪を擦り付ける為か、高橋の無実を訴える事を積極的にやる。 裁判に際し、悪い印象を減らす工作だろう。 寧ろ、高橋に冤罪を食らわせたのは、警察側とすら吼える。 この武蔵川の足掻きに対して、敏感に反応したのは警察側の上層部だ。 異例の審査のみで、高橋の罪が変更された。 “証拠隠匿”、これのみ。 5月1日に出所となる。 武蔵川に付く弁護士が、警察側を厳しく批判してネガティブキャンペーンを遣る。 だが、小田切玉美の手記からして、計画を練って実行したのは武蔵川だ。 あの九龍理事官は、こうゆう時は柔軟で在る。 武蔵川と蔦野を確保するまでは、あれだけ情報を臥せたのに。 武蔵川の弁護士が喚く前に、公開可能な情報は記者会見で云う。 武蔵川が計画・実行の主犯で、蔦野が依頼者でパトロンと云う形は揺らがせない。 そして、追い討ちを武蔵川と蔦野に掛けたのは、蔦野の師匠となる人物の、嘗ての取り巻きだった人々だ。 “蔦野は、人殺しをしなければ独立資金は作れなかった” “独立直後の蔦野の店は、赤字も混じる経営だった。 あの3人の女性に、謳う様な金は払えなかっただろう” “独立と同時に、三店舗も同時経営なんて可笑しいって思ったが。 まさか、人殺しをして金を奪ったとはね” 師匠の男性は、もう亡くなっている。 蔦野に恨みを言えないが、家族は違う。 3人の女性の遺族、蔦野が裏切った者や師匠の家族など。 押さえ込まれていた不満は噴出する。 然し、高橋の事に関しては、やはり警察側を叩く記事が一色だ。 “冤罪”の文字が新聞やネットに溢れる中。 警察は、捜査に行き過ぎや誤りは少なかったとしながらも。 正しい罪状を明らかに出来ずして、状況証拠のみから推測で重罪にて起訴した事を謝罪した。 ま、高橋がバックを隠した事が、その真実を曇らせた事は事実。 その事も精査した上での、誠意の謝罪として彼に慰謝料が支払われる事が検討される。 さて、そんな記事が踊る4月下旬のある日。 世間では、ゴールデンウィークが目前に成る頃。 武蔵川は、25年前の3人の殺人について。 蔦野は、その殺人の共同正犯として。 青森県警が逮捕状を取り、移送の依頼が警視庁に出された。 2人には、其々に別の罪も明らかとなる。 武蔵川の罪は、主に女性問題だが。 違法賭博の容疑も在り。 蔦野は、粉飾決済やら政治資金規制法違反など。 二課や組織犯罪対策室の調べも入った。 この時まで、木葉刑事は証拠固めの裏取りに回っていた。 確認作業の毎日で、時々に麻木などの記者に絡まれていた…。
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