春の激震

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       ★ 三月に入り、珍しく木葉刑事が二連休を数日空けて二回とった。 ま、去年4月からの始まりで、有給も余る彼だ。 盆も、正月も、あまり休んでない木葉刑事だから、事務方は喜んでいた。 さて、桃の節句の日。 バリバリに休みを入れた飯田刑事。 木葉刑事も居ない篠田班は、のんびりと事務作業に。 事件に対する感想だの、ストレスチェック、裁判に成る事件の証言、新卒の警察官を迎える準備の手伝いに、捜査で押収した証拠品の返却等々。 真面目に遣れば、それなりの仕事は在る。 午前。 公安課に有賀の事で色々と聴かれた里谷刑事。 年末年末の事件で、聴き込みに行った時の証言について、何故か急遽、担当を代わった検事から尋ねられた織田刑事。 同じ事件で、空港に行って捜査したりした市村刑事も、検事に話を聴かれた。 「はぁ~」 「ふぃ…」 「終わった」 班の部屋に戻った3人に、篠田班長が。 「御疲れさん。 団子でも食うか」 御手洗団子の好きな篠田班長は、安く買い込んだ団子のパックを出す。 タレ、餡子、胡麻餡に、変わりダネのカスタードクリーム。 如月刑事や八橋刑事も含め、昼前に分け合う中で。 タレを選んだ織田刑事が。 「飯田のバカ。 奥さんが今日で雛人形を片付けるのを、意地でも止めさせるってサ」 市村刑事が、変わりダネを選び。 「なんでだ?」 二本の団子を押さえた里谷刑事より。 「雛人形を何時までも出してると、嫁に行きそびれるって迷信」 胡麻を選んだ八橋刑事が。 「飯田さん、娘さんの事に成るとスゴいな」 如月刑事は、餡子を選び。 「もう3人ぐらい作ればいい」 すると、みたらし餡を選んだ篠田班長が。 「如月の処は、やっと一人目だな。 来年は、早々と二人目に励むか?」 「あっ、自爆った」 恥ずかしがる彼である。 そして、昼。 食堂に皆が出れば、其々に何かを選んで買う訳だが…。 市村刑事と里谷刑事と篠田班長が、3人で春の限定、“旬の筍と豚肉の炒めもの定食”を頼むとき。 「なぁ、あの噂を聴いたか?」 「どの噂だよ」 なんの気なしに見れば、総務課の職員と広報課の職員が話し合っていた。 「あの木葉って刑事にウチの係長が連れられて行ったクラブ、凄く綺麗な女が多いってさ」 「へぇ~、マジで?」 「総務部(うち)の係長、他の部長を連れて行って喜ばれたらしい」 「なに、そんなにレベル高いの?」 「値段以上って、噂だよ」 「ってか、何で木葉みたいな刑事が、そんな店を知ってるんだ?」 「捜査で知ったみたいだ。 何か迷惑でも掛けたから、金が有って接待が武器になる誰を紹介したんじゃないか?」 「なぁ~る。 一課のヒラ刑事じゃ、そんなクラブの常連は無理だよな」 駄話だが、里谷刑事は薄笑いを浮かべ。 「うひひ、キサマ等も行ってカモられてしまえ~」 一方、渋い顔をする篠田班長。 「チッ、行ってみれば良かった。 そんな美女ばっかりとは…」 既に、後から個人的にも一回行った市村刑事で。 「班長、溺れたら家族を無くしますよ。 それぐらいに綺麗な美女が多い」 「くぅぅぅ…」 拳を握って唸る篠田班長。 アホ臭いと思う女性側と、話が尽きない男性側。 玄人の女性が接待する場所ならば、大枚を叩く必要は当然で在る。 で、その夜だ。 六本木のクラブ“アシュリー”に、市村刑事がまた訪れた。 「いらっしゃった~」 前回、前々回と。 市村刑事に付いたNo.2の可愛い女性が迎えてくれる。 「やぁ、また来たよ」 たまには玄人と話してみようか…、と。 また、クラブ“アシュリー”の門を潜った市村刑事。 席に座り、先ずは軽くワインを頼んだのだが…。 市村刑事にベッタリのNo.2の美女も、金を落とす常連を疎かに出来ない。 「市村さん、ごめんなさい。 向こうのお客さんに、ちょっと会って来ます」 「気にしなくていいさ。 常連を無視したら不味いのは解ってる」 「お気遣い、ありがとう」 まだ20そこそこだろうに、流石は人気を持つ女性だ。 市村刑事に気は在るものの、割り切って去って行く。 すると。 「いらっしゃいませ、お席を一緒にします」 違う女性が現れる。 市村刑事が見れば、化粧が少し濃い女性が居た。 肩を出したシャツみたいな服の上に、ジャケットを着るミニスカートの女性。 見るに、30代。 少しぎこちなく、まだ新人に見えた。 「このお店は、美女が多い。 宜しくお願いします」 市村刑事も、彼女を受け入れる。 話して感じるのは、派手なメイクや服がまだ受け入れられてない事。 『聡美』《さとみ》なる女性に、 「もしかして、入って間もない?」 と、聴いた市村刑事。 聡美は、少し気恥ずかしそうに。 「えぇ。 以前は、居酒屋の店員でしたが、一念発起でこの世界に…」 「なるほど、まだメイクが馴染んでないみたいだ」 「あ、私ったら…」 市村刑事の様な玄人に、聡美の様な素人はカモだ。 彼がヒモのジゴロなら、彼女は簡単に落とせそうで在る。 さて、二時間ほど居た市村刑事は、途中からまた別の女性に変わった。 聡美なる女性は家庭の都合から、夜8時までらしい。 だが、9時を回って帰ろうとすると。 「刑事さん、ちょっと延長しませんこと?」 あの美しい女性店主が席に来た。 「今日は、財布をカラにされそうだ」 笑う市村刑事だが、座る女性店主は首を振り。 「延長は、無料よ。 私が、刑事さんに話を聴いて欲しいから」 「ん?」 座った女性店主は、水だけ貰うと。 「美嘉ちゃん、元気かしら」 「美嘉?」 「波子隅さんの件で、逮捕されたスタッフ」 「あぁ…。 木葉の話だと、先週に裁判と成ったみたいだ」 「そう。 木葉刑事は、もう来ても頂けないかしら」 「アイツは、減俸を半年以上も食らってますからね。 この店には、おいそれとは無理ですよ」 「他の職員の方が言うには、不正を為さるからって…」 これには、苦笑いが浮かんだ市村刑事。 「そんな風に見えますか?」 すると、珍しく女性店主が困惑した。 「見えないから、困ってますの」 「貴女の目は、正しい」 だが、女性店主も目を合わせて来ると。 「でも、“煙の無い処には…”と言いますでしょ?」 それには、素直に頷き返す市村刑事。 「確かに、その原因は木葉に在る」 「はぁ?」 市村刑事は、印象深い一つの事件のあらましを個人情報などを暈しながら、解りやすくかい摘まんで話し。 「アイツの眼は、鑑識や他の誰もその証拠品の意味を理解して無い時から、真実を見詰めている」 「何だか、凄い方みたい」 「ですよ。 俺も、他の一流の刑事も、鑑識のプロですら、アイツの様に成れない。 その意味が解らないから、不正なんて噂が付き纏う」 「なんか、不憫な方ね」 「ですが、誰よりも事件と人に対して真摯だ。 アイツと美女を巡って争っても、女性の心がアイツに向かったら敵わない」 すると、女性店主が微笑んだ。 「私も、気が向き始めたわ」 「ダメだダメだ。 もう先約が居る」 「あら、隅に置けない人ね」 「そうですよ」 水を飲む女性店主は、 「市村さんも含めて、刑事さんってそんなに危険なお仕事なんですか?」 と、尋ねて来る。 “彼女の質問の意図には、何か伏線が在る” 直ぐに解った市村刑事だが。 「当然です。 犯人が、すんなり捕まってくれるなんて何時もじゃ有りません。 時には、金で人を殺める危ない奴と渡り合ったり。 ヤクザみたいな人間、権力を笠に着る人も…」 「なるほど…。 木葉さんが記憶を無くされたのも、そうゆう事件からですね?」 「その話を、誰から聞いたんですか?」 「ご本人からです。 彼は、誰も相手が居ないから一人で気楽だ、と仰ってましたわ」 「“気楽”・・か」 「ですが、後日に他の職員の方にお尋ねしたら」 “勝手に、バカが先走っただけ。 あんな事件の犯人を、一人二人で追い詰めようとするから、遣り返された” 「って…」 随分と深い処まで聴いたらしい、と察した市村刑事。 「その事件の事も、木葉本人から?」 「いえ。 別の方からですわ。 その方が仰っるには、関わったのはあの、例のバラバラ事件と…」 頷く市村刑事だが。 「ママさん」 「はい?」 「その話は、木葉にしないで下さい。 アイツは、まだ記憶を失ったままです。 下手に記憶が戻れば、刑事を続けられない程の痛みを思い出すかも知れない」 「・・はい」 時間を確かめた市村刑事で。 「一応、貴女が会いたがっている事は、アイツに伝えましょう」 「有り難う御座います」 席を立つ市村刑事だが。 「だが先に、これだけは教えて置きます」 「はい?」 「アイツを誘惑するのだけは、止めて欲しい」 「は? 誘惑なんて…」 だが、市村刑事も恋愛に於いては玄人だ。 この美女が、明らかに木葉刑事へ興味を持った事を察する。 「アイツは、恋愛に於いては絶対零度の心を持つ。 誰かが心を温め様としても、決してブレない。 傷付くだけだから、先に忠告しますよ」 女性店主は、市村刑事をしっかりと見返した。 彼の眼を窺うに、同性として木葉刑事に劣等感に似た感情を持っているらしい、と察する。 だが、今の話は本気で言っている様な気もする。 「・・大丈夫ですわ。 此方も、それなりのプロですから」 と、返すも。 一方、市村刑事も少しだけムキに成り始めた。 木葉刑事を素人の様に見ている彼女だから、市村刑事は困る。 「俺は、こんな時に嘘を言わない。 実際、今まさに木葉を本気で好いてるのは、元は銀座で貴女の様にNo.1に成った女性だ」 「え? 私と同業?」 「元は、まだ20代の若い頃にですがね。 その後に男の欲に晒され嫌になり、一念発起して警察官に成った」 「まぁ、珍しい…」 市村刑事は、自分に靡いたNo.2の彼女が、また別の男性と腕を組んで席に誘いながらも。 何処か此方を気にした、その様子も見ていながらにして。 「今も、その彼女には、その辺の男など扱うのは容易いと思う。 また、彼女には高価なブランド品も、美しい宝石を贈っても通用せず靡かない。 が、不思議で在りながら、人の心を汲む木葉にゾッコンだ。 躱されていても、尽くしてる。 貴女も、そう成りたいか?」 市村刑事に言われた女性店主は、少し黙ったが。 「…貢がれて幸せならば、安いものよ。 でも、心を尽くせるならば、それはそれで幸せじゃないかしら。 私は、その元同業の女性の気持ちが解る。 確かに、幸せそうね」 この美しい店主に言い返されて、珍しく自分が初(うぶ)に感じられた市村刑事だ。 「全く、人間ってのは時々に解らなくなるよ」 “釣は要らない”、とばかりに金をテーブルに置いた。 見送りに立つ女性店主を制して、足早に外へ消えた市村刑事で在る。 彼の後を眼で追った女性店主。 最初、木葉刑事が来た時には、見た目の良い飯田刑事に気を惹かれたのに。 たった三ヶ月ほどで、全く違う人物を視ている。 (絶対零度の心………) これまで何人の男性と恋愛ごっこをしたか解らない。 だが、彼女も経験の無い男性と巡り逢ったのは、確かだと感じるのだった。 それから、2日後。 その日の朝から篠田班は明るい。 それは、木葉刑事がケーキを買ってきた事に始まる。 里谷刑事が、ケーキを食べる木葉刑事にすり寄る。 「木葉サマぁ~、お分け下さいぃ~」 すると、酷く渋い顔をした木葉刑事が。 「構いませんよぉ。 条件は、このホットケーキも一緒に食べる事です」 出されたのは、一般人が作った様な形の悪いホットケーキ。 動物的な直感から嫌な予感がした里谷刑事で。 「あのぉ~、一つ伺っても?」 「ダメ」 「その返答で、何となく解ったわ。 止めとく」 誰が作ったのか、朧気に判って止めた里谷刑事。 其所へ、2課の『居間辺 迅』が遣って来た。 「先輩、ちょっとお話イイでしょうか」 後輩の姿を見た木葉刑事は、ニヤリと不気味に笑う。 「じ~ん~、先ずはさぁ…」 木葉刑事が何をしようとするのか、もう眺めていた篠田班長や里谷刑事は解った。 「先輩、どうかしましたか?」 「いやぁね、知り合いがホットケーキを作った訳さ。 是非に、迅の意見も聞きたいって訳よ」 「はぁ…」 後輩とか、順子を紹介して貰ったとか、妹の気に入る人物とか、色々と在るから素直に食べた迅。 そして、食べて数秒すると、吐き出しかけた。 その後、悶えながら必死に飲み込んだ彼で…。 「せん・ぱ・・い、ごっ、これは・・食べ物で、すか」 だが、量が減ったと喜ぶ木葉刑事。 「迅、偉いぞぉ~。 で、話は何だ?」 ペットボトルの御茶で口を何回も濯ぐ迅。 「く、苦しかった」 小さく呟いた迅で。 「あ、あの。 順子さんの好みとか、解りませんか?」 あの事件の最中に、木葉刑事と清水順子の関係を知るが故の質問だろうが。 「お前なぁ、深い知人でも無い俺に、そんな事を聴くかぁ? それ、其処に居る里谷さんにでも聴くか、詩織ちゃんにでも聞き出して貰えよ」 「あ、嗚呼・・そうですね」 木葉刑事の今の状況を、今更に思い出す迅。 彼は、恋愛に成ると思考力が素人以下まで落ちるらしい。 一方、男女の色恋の話が聴けるとなり、里谷刑事はニヤニヤして迅を手招きした。 その後、飯田刑事やら織田刑事へと、出勤する同僚に毒物みたいなホットケーキを喰わせる。 そして、何とか半分近くまで食べた木葉刑事で。 「はぁぁぁぁぁ……。 もう棄てるか・・無理だ」 本気で、心底から諦めた。 本日は、全員が揃う篠田班。 仲間の皆が、“怖いもの見たさ”みたいな感覚から手を出して、エグ味以外の味がしない不気味なホットケーキを食す。 吐き気と云うより、爆裂なる気色悪さを感じた織田刑事で。 「ん~、在る意味で天才かもね。 こんな味、出せって言って出せないよ」 味の例えが浮かばない如月刑事は、 「ウチの妻と一緒に作ったら、少しはマシになるかも」 と、最悪のコラボレーションを考える。 また、飲み込むことを体が拒否した市村刑事。 給湯場で吐き出し、戻って買ったケーキで口直しをした後に。 「処で、木葉。 あの六本木のクラブのママさんが、お前を呼んでいたぞ」 と、教える。 その後に、どんな反応をするか横目で見ていると。 「へぇ~………」 エグ味や不気味な不毛さを感じるホットケーキを一点に、歪んだ顔をして見詰めているではないか。 そんな木葉刑事を見ているウチに、市村刑事は嫌な予感が脳裏を過り。 「おいおいおい、木葉。 そのクレイジーなホットケーキを手土産にするつもりじゃあるまいな」 腹を読まれた木葉刑事で。 「ダメッスかね、道連れは多い方が…」 本音を聴いて度胆を抜かれる想いの市村刑事。 あんな美女を相手にしたら、普通ならば嫌われたくないからこんな事を考えないだろう。 また、気に入らないにしては、敵意や拒否感もない。 見るからにして、明らかに同類としている。 「バカっ、そんなモンを店で食わしたら、食中毒疑惑が涌く。 店を営業停止に追い込むつもりかっ」 「誰も、無説明に食わせやしませんよ…。 ちょっとね、ものは試し、何事も経験ってヤツですよ…」 「ダメだ、止めておけ。 嫌われるぞ」 「世間の大半からは嫌われてますからね。 今さら、嫌われた処で何とも…」 ダークサイドに堕ちた木葉刑事。 其処へ、また別の人物が。 「あい御免、木葉殿は居りまするかえ?」 鴫鑑識員が入って来た。 皆が、挨拶がてらに会釈やら手を挙げる。 だが、木葉刑事のみ。 「鴫さん、みんなと一緒に、死んでみませんか?」 ゾクっとした、純然たる恐怖を覚えた鴫鑑識員で。 「木葉殿、如何致したのじゃ」 周りは、何をするか解った。 「木葉っ、止めとけっ」 「木葉さん、後に影響しますよっ」 次々に止める。 だが、前にやって来た鴫鑑識員に、不毛なるホットケーキを差し出し。 「以前に話しました、亜歌璃さんの作ったホットケーキ、食べてみます? 勇気は、入りますよぉぉ」 悪の手先みたいな木葉刑事に、鴫鑑識員も引いた。 が、明らかにこのホットケーキで苦しむ彼を見ては。 「ほむ、話のついで・・じゃの」 皆が見守る中で、ホットケーキを口にした鴫鑑識員。 食べてから数秒の間に、表情が歪んで行き。 黙って給湯場に消えた。 “やっぱり” と、一同が思う。 ハンカチで口を押さえながらも、戻って来た鴫鑑識員で。 「こっ、この様な不気味のものが、この世に有ろうとわ、の」 吐かずに食べた木葉刑事の顔を見返した鴫鑑識員は。 「御可哀想にのぉ。 口直しに、妾が拵えた寒天でも食べるかえ?」 有名コーヒー店の小さい紙袋を持ち出す鴫鑑識員。 木葉刑事は、まだ手を付けてない、高級菓子を机の引き出しから出すと。 「是非に、頂きます。 後、これはチョコの返礼です。 事件になったらどうせ忘れますんで、今のうちに」 木葉刑事も大好物だが、ウェハースの菓子が好きな鴫鑑識員。 数千円の詰め合わせ菓子を受け取るなり。 「おぉ、これはまた好物が舞い込んだわぇ」 一方、鴫鑑識員の作った寒天三種を食べる木葉刑事の顔が、だんだんにライトサイドに戻って来た。 ミルク寒天、餡子寒天、紅茶寒天、どれを食べても旨い。 「これは、凄いぃ~。 鴫さん、店を出せますよ」 「そうかぇ。 ならば、副業にしてみるかのぉ」 「売れるッスよ」 二人の姿を見ていると、もう夫婦みたいな雰囲気も在る。 市村刑事だけが、虫酸の走る、苦虫を粉々になるまで噛み砕いた様な表情をしていた。 さて、篠田班は本日も雑務だ。 その中で、鴫鑑識員が来たのも、事件で押収した証拠品の中で、不必要なものを返却する為だ。 今は、待機番の刑事がその作業をする役回り。 リストを持って一室に置かれた物品を確め、返却する。 リストと借りたもの、返却の出来ない場合は同じものを一部弁償だ。 そのリストのコピーと箱の中身を確める如月刑事が。 「なぁ、木葉」 「はい」 「あの“諸方”って女主任、古川さんの教え子ってマジ?」 珍しい質問に、木葉刑事は手を止めて彼を見返す。 「教え子って云うと、語弊が在りますよ。 彼女が刑事に成る前に、交通警務職員として居たのが、フルさんと同じ警察署ですからね。 ま、警視庁に来るまで、刑事のイロハを教わったり、愚痴を聴いて貰ったんだと思いますよ」 「ふぅん。 でも、春で解任みたいだよ」 「あれま、何か失態でも?」 其処へ、織田刑事が。 「被疑者を逃した挙げ句、その被疑者が無関係の通行人を怪我させたンだと」 「それは、まぁ~災難な。 でも、部下が遣った事でしょ?」 すると、飯田刑事より。 「部下の責任が、その監督責任者と成る上に来るのは仕方ない。 が、今回は違うみたいだ」 噂から話を仕入た里谷刑事も加わる。 「ってか、主任自ら前線(現場)に出てたンでしょ?」 如月刑事が頷く。 「主任が、自ら引っ張った若い女性刑事と中年の刑事が、管理官の指揮で包囲する前に手柄を焦ったらしいよ。 主任の彼女の目の前で被疑者を逃して。 更に逃走した被疑者が中学生の男子を突き飛ばして自転車を奪い。 そのチャリで逃走中に、老人の女性を跳ねて重傷だってさ」 「それは、ちょっと運が悪すぎるな…」 弱冠だが同情する市村刑事。 木葉刑事も、確かに同情したく頷く。 一方、ドライな織田刑事が。 「だけど、最悪なのはサ。 その現場を仕切ってたのは、あの笹井でね。 総務部長や人事課長の指名と、笹井の推薦で班長に成った諸方だから。 大失態をしたら、あのウザい3人からの板挟みだよ。 アタシなら、気が狂いそう」 箱を改める篠田班長が。 「あ~ぁ、せっかくお前たちが大学講師の事件をスピード解決したってのに。 あの管理官サマは、それを利用する事も出来ないね」 更なる情報を持つ如月刑事は、ニヤニヤしながら。 「あの一件、笹井にポイントが付かなかったみたいですよ」 「ん? 何でまた?」 「被疑者確保が、捜査本部が出来上がる前だったし。 笹井は、諸方主任の事件に掛かりきりだった為。 指揮をしてないって判断された様ですね。 最後のトドメで、無駄に木葉を叱責したから。 セクハラ苦情の上がる笹井サマには、ポイントなんか着かないって」 スーパーの得点みたいな話に、篠田班長は苦笑いする。 このまま、ゆったりと時間が流れそうだった。 だが、その緩みを引き締めたのは、夕方5時前に来た美田園管理官。 あの事件の続報を話に来た。 で。 先ずは、話のタネに・・と。 「毒物・・ね。 興味が在るから、少し頂いてみるわ」 と、彼女も例の毒物体に手を出した。 その後に、全くホットケーキらしい味がしない事に衝撃を受け。 何とか飲み込んだ後で。 「なに、この・・不気味なエグ味をもつ、不毛な味…」 と、散々な感想を洩らす。 皆、美田園管理官の此処までの様子に、朗らかな笑いを見せた。 問題は、その後で。 口直しのケーキは食べた美田園管理官だったが。 「木葉刑事。 ちょっと、残業して欲しいの」 何の話か、察したのは二人だけ。 飯田刑事と、篠田班長。 解っていた木葉刑事だから、 「はいはい…」 と、従うのみ。 木葉刑事を連れた美田園管理官が消えた。 帰る支度をした里谷刑事が。 「枯れ葉はモテるねぇ~。 口説く必要の有る誰かさんとは違う、違う~」 嫌みを言われた市村刑事。 「ふん。 幾ら探しても相手が見つからない誰かよりは、俺は幸せで恵まれているさ」 「ヒモに言われたくないわよ」 「だからっ、ヒモじゃねぇ!」 有る意味、お似合いかも知れない二人が先に出て行けば。 呆れた織田刑事が、 「如月。 今日は何を作るんだい?」 と、尋ねる。 奥様に不味い料理を作らせない為に、待機番の時は一緒に作る如月刑事。 「トンカツを買って帰る予定だからね。 タコライスでも作ろうかな」 「あら、豪勢だね」 「織田さんは、何を作るの?」 「ウチは、手巻き寿司」 「いやいや、十分に豪勢でしょ」 この二人も、5時を回ったから部屋を出て行く。 八橋刑事は、返却後に直帰と成っていた。 さて、残った飯田刑事と篠田班長。 先に、飯田刑事が。 「班長」 「ん?」 「木葉を連れて行った美田園管理官は、例のあの一件を担当してるとか」 カバンに色々と入れる篠田班長。 「恐らく、な。 刑事部長が木葉を呼んで、現場に臨場させたらしい」 「然し、班長。 何で木葉を?」 「美田園管理官だよ」 「美田園管理官が?」 「あぁ。 突然に、後嶋多氏が死んでよ。 その死因や死んだ動機が不自然で、検事から責められたらしい」 「“責められた”って、何で美田園管理官が? もう起訴して、裁判の予定も…」 「飯田、それ以上は詮索するな。 数日中に、全容が明らかとなるよ」 篠田班長の物言いに、大きな含みを感じた飯田刑事。 (木葉、適当にあしらえよ。 面倒に成ったら、大変だぞ) 篠田班長と飯田刑事が部屋を出る頃。 数階上の空いた部屋に来た木葉刑事と美田園管理官。 「木葉刑事。 貴方の推測は、現実に成ったわ。 明日、確保と成るの」 頷いた木葉刑事だが。 「美田園管理官。 細心の注意は必要ですよ。 向こうだって、警察には探りを入れてますでしょう?」 「察しがイイのね。 既に、何人か買収されているわ。 山田主任も、同期の職員から詮索された」 「ま、ぶっ潰してやればイイんですよ。 どうせ、悪いのは向こうッス」 「えぇ。 せめて、あの母子は守ってあげないと…」 その通りと同意した木葉刑事。 「でも、捜査は早かったッスね」 「まぁ、答えが解っている計算だもの。 どう式を作るか、それだけだったし…」 「刑事部長や一課長は、既に?」 「刑事部長が、一手に」 「では、自分は蚊帳の外で見てますよ」 薄く、微笑む美田園管理官。 「気楽ね。 こっちは、手が震えてるのに」 「大丈夫ッスよ。 もう、誤魔化しは利かない。 下手に足掻けば、誰かを殺さなきゃいけなく成りますから」 「えぇ…」 美田園管理官と二人して、会議室を出る。 目撃した職員が、ビックリして物陰に隠れた。 逢い引きでもしていたかと勘違いしたらしい。 さて、その夜。 木葉刑事が、六本木のクラブに来た。 あの女性店主に呼ばれてだが、仲間に止めろと言われたのにも関わらず。 亜歌璃の作ったホットケーキの一部を持参。 前置きを言って、吐き出せない様に食わせたが…。 彼女も、鴫鑑識員と同様に、裏へ一時ばかり消えた。 それで。 「はぁ…。 こんな不味いもの、生まれて初めてだわ。 御客様の手料理の差し入れよりも不味い」 ハッキリ言って、カクテルで口直しをしたほどで在る。 二人は、その後に『朝比奈 美嘉』の話に移る。 「美嘉ちゃん、元気?」 「まぁ、それなりに」 「裁判に成ったら、もう会えないわね」 「面会は可能ですよ。 申請をして、朝比奈さんが受け入れれば…」 「美嘉ちゃん、会ってくれるかしら」 「何か?」 「んん。 出所して仕事に困るようならば、世話ぐらいしてもいいかなって」 「此処で?」 驚いた木葉刑事が、クラブを指差す。 「違うわ。 此処は、雇われてだから」 「あ、あぁ、やっぱり…」 微笑む彼女だが。 「でも、私も自前の店を持つ気なの。 資金は確保が出来たから、後は場所を、ね」 「では、行く行くはこの御店も辞めるんですか」 「当たり前ですわ。 私も、そろそろアラフォーよ。 美女なんて言われても、歳を取れば只のオバサン。 御客の眼を惹くうちに、進退は決めるべきと思ってるの」 「この業界も大変ですね」 「そうですよ。 “生き馬の眼を抜く”、そんな世界ですわ」 カクテルを一口した女性店主は、更に。 「それに、この御店には、優秀な次の娘が育って来たわ。 正直、私はこの業界があまり好きじゃないの。 だから、キリのいい処で見切りを付けたいの」 「自分の人生ですからね。 ママさんがそうしたいならば、そう為さるのが一番でしょう」 「でしょう?」 聴かれて、頷く木葉刑事。 「でも、これだけの一等地でママさんを任せられるとなれば、No.1に成ればいいって訳でも無いんでしょうね」 「まぁ、そうなるわね。 他にも、色々と条件は出てくるわ。 人の面倒も看なければ成らないから、自分本意だけで済まなくなる。 何を教えるか、も考えないといけませんのよ」 「こんな人間の欲と欲が擦り合う場所では、女性の色艶(いろつや)が武器なだけに。 下手すると揉め事も在りそうですもンね」 「そ、男女の修羅場」 「事件に発展しないなら、関わり合いたく無いッス」 「でも、それに近いぐらいに成って貰わないと、お金は稼げないわ。 だから、アフターサービスも、同伴も生まれて来ます」 「面倒ッスけど、御苦労サマです」 彼と話していて、店主の彼女も市村刑事の言っていた事が解る。 話していて、会話のレスポンスを返してはくれているが。 他の男性客の様に、気持ちを向けて来ては居ない。 また、下心や何かを求むる情念も見えない。 でも、今日にしてみて、不味いものを平気で持ち込んだり。 以前の時に、金が無い事をハッキリ示して来る辺りは、不思議に憎めないし。 また、可愛くも見える。 それでいて、不思議な感性と鉄の信念を隠し持つならば、普通の男性の粗方を知り尽くした水商売のプロでも、何かを切っ掛けに惹かれてしまう事も解る。 (この人、もしかして心に誰が居るのかしら…) ふと、話ながらこう感じた女性店主は、直ぐに帰る予定だった彼を一時間半ほども話して引き留めた。 彼女なりに、この男性を観察してみたかった。
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