寒き冬より、蠢く春へ

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寒き冬より、蠢く春へ

       1 2月中旬。 まだ雪が降ると予報が出る。 いい加減にして欲しいと、お天気キャスターが視聴者の代弁として言った。 午前をゆったり過ごす篠田班の面々だが。 其処へ、 “トントン” と、ドアがノックされて。 「邪魔をする」 こう言って望月主任が入って来た。 篠田班長も立ち上がり。 「望月主任、どうされました?」 「あ~いやな、木田一課長の頼みで、篠田班に事件を担当願いたい」 今日は、市村刑事と如月刑事が休みだ。 木葉刑事達が見合う中。 篠田班長が。 「どちらの捜査本部で?」 と、問うと…。 薄暗い空、垂れ込める雪雲を車内より見上げる木葉刑事。 「雪、何時から降るんんだろう」 運転する飯田刑事は、23区内から外れた道を走りながら。 「日ノ出署に着くまでは、とりあえず我慢して貰いたいね。 チッ、今日は娘と妻からチョコを貰える日なのに。 重大事件だろうと泊まりはしないぞ」 これに、後ろに座る八橋刑事が。 「あれ、バレンタインデーって昨日じゃ~」 珍しくムスッとする飯田刑事。 「昨日、俺の姉貴が救急車で運ばれたんだ」 「だ、大丈夫ですか?」 「大丈夫だ。 小麦粉アレルギーと解っているが、大のパスタ好きの姉貴がな。 本人曰く“勇気を出して”らしいが、宅配パスタ屋からパスタを頼んで食ったんだと」 「はい?」 「全く、人騒がせにも程がある。 薬を飲めばいいものを、呼吸が乱れたからと慌てて救急車を呼んだんだ」 木葉刑事は、過去にアレルギーを利用した殺人も有ったから。 「でも、アレルギーは馬鹿に出来ないんでは?」 と、言うも。 「病室に行ったらっ、発作が治まったと米粉のパンを食ってたよっ」 「あら、まぁ…」 苛立つ飯田刑事で。 「そんなに麺類が好きなら、フォーでも食べてろって云うんだっ。 小麦粉のパスタに拘る必要が何処に在るっ」 家族想いが強い飯田刑事。 こと娘と奥さんが絡むと、理性的な彼が感情的に成る。 御姉さんの一件で、バレンタインが御預けに成った。 それだけで、この有り様だ。 さて、日ノ出署に向かう篠田班だが、何が起こったのかと云うと。 先月の下旬頃か。 “ウチの祖父が帰りませんっ。 然も、祖父が散歩に連れて出た犬のテンペストが、事故に遇って瀕死だったんですっ! これ、事件ですよねっ!?” 若い女性の声で通報が入ったらしい。 通報して来たのは、『嘉山 静穂』《かやま しずほ》、17才。 日ノ出町に住む高校生だ。 日ノ出町の警察署に連絡が行き。 日ノ出署の捜査一課が捜査する事に成った。 まぁ、確かに嘉山家で飼うゴールデンレトリーバーの“テンペスト”君が、事故にでも遭ったのか路上に倒れていた。 軽トラックで通り掛かった男性が保護し、動物病院に運んだそうな。 その男性は、そのゴールデンレトリーバーを連れた老人を時折に見掛けていたそうで。 近所の人に聞いて、嘉山家を尋ねたそうだ。 その時、一人で家に居た静穂に会い、助けた犬の話をする。 この話を受けた静穂は、犬の運び込まれた動物病院に行った。 だが、其処に祖父が居ない。 “まさか、お祖父ちゃんも事故に…。” 慌てる静穂は、幾らかお金を動物病院に置くや、その足で祖父を捜して回る。 だが、何時もの散歩コースから祖父が消えた事を知る。 また、その轢かれた犬は、病院の医師の判断からして。 明らかに交通事故に遭ったかの様な…、そんな怪我だったらしい。 体の左肋骨と左半分の足の骨が折れていたからだ。 が、彼女の祖父となる、70歳をとうに過ぎた老人の行方は、全く解らない。 然も、事件に遭ったと思われる痕跡が、散歩コースの路上に無いのだ。 静穂より通報を受けた日ノ出署の警察も動いて、事件と事故の両面から捜査したが、全く解らない。 防犯カメラも無い、片側が田んぼやら畑と成るセンターラインの無い道路が散歩コースだったからだ。 数日、日ノ出署の捜査一課が捜査したが、目撃者も無く。 不審な人物も、聴き込みからでは今一ハッキリ浮かんで来ない。 そして、2月の頭。 日ノ出町で“通り魔”的な殺人事件が起こって、日ノ出署に捜査本部が立った。 日ノ出署の署長判断で、この一件は昨年に新設された【失踪人捜査課】に任せ。 一課は、通り魔殺人事件に集中する事に成る。 処が、この嘉山家は、祖父一人孫一人の二人家族。 静穂の両親は離婚し、静穂の母親は無責任にも、男と不倫熱愛の末に駆け落ちして蒸発。 別れた父親も海外の女性と結婚し、移住してしまったとか。 静穂にして見れば、祖父は唯一の家族。 それを警察が本気で捜さないからと、SNSで警察の事件に対する温度差の差別を訴えた。 一応、所轄の失踪人捜査課に所属する刑事が二人、駐在の警察官と協力したりして捜しているのだが。 彼女は、 “殺人未遂・誘拐事件で、捜査一課が対応すべき” と、SNSで強く訴えた。 これにネットTVが食い付き、日ノ出署の署長へ取材の猛攻が有り。 また、民放のニュースにも取り上げられた。 全国放送でニュースに成った所為か、日ノ出署HPへの過激で止まる事のないバッシングを日々に受けてしまい。 困り果てた日ノ出署の署長が、来年には栄転で警察庁に行く警視庁の幹部を通じ、警視庁刑事部に泣き付いた…、と云う次第である。 処が…、だ。 これに因り困ったのは、独自に人を遣って調べた警視庁のトップ、“警視総監”だ。 何故ならば……。 実は、この静穂の今はもう亡き祖母とは、六代前の警察庁長官を勤めた『勅使川原 充志』《てしがわら みつゆき》氏の妹に成る。 彼が警察庁の長官に在籍した当時は、日本政府の議員に汚職者を多数出した他。 総理大臣が病気やら不適切な言動から国民の不満を買い、短期間の解散・総選挙と成った時。 その為、勅使川原氏は1年も無い在籍期間で長官に成っていた。 今、勅使川原氏は他界して居るが、その息子は議員で在る。 長々と放置すれば、政治的な火種を含む案件だったのだ。 この情報が、警察庁にも上がった。 太原警察庁長官は密かに篠田班へ捜査担当を依頼する。 話を受けた警視総監は、 “何故に、警察庁長官が、警視庁捜査一課の一班を指名したのか。” てんで理由が解らない。 が、格好だけでも捜査しておいた方が良いと考え。 刑事部長を通じ、木田一課長に命じて篠田班を出動させた訳だ。 無論、望月主任や木田一課長が知るのは、警視総監から指名を受けた事だけ。 刑事部長は、密かに太原警察庁長官の意向が在る事を知らされたものの。 木田一課長にさえ、その事実を言えなかった。 (まさか、“木葉の霊感を頼った…。”、なんて言えないな) 警視庁では、恐らくは里谷刑事と刑事部長ぐらいなものだろうか。 木葉刑事に霊感が有り。 幽霊を視て捜査している、などと知るのは…。 午後の2時半頃。 日ノ出署の中に入った篠田班、篠田班長を含めた6人で在る。 日ノ出署の玄関ホールにて。 「いや、いや。 良く来て下さいましたっ」 眼鏡で、ノッポで、警察の制服を着たサラリーマン風の年配男性が、慇懃に頭を下げて近付いて来た。 皆を代表し、篠田班長が。 「あの、警視庁の者ですが」 そのサラリーマン風の年配男性は、頷きながら。 「解ってます、解ってますよ。 私、日ノ出署の副署長をします、『大倉』《おおくら》と申します。 皆様の事は、木田一課長から伺っております。 さ、失踪人捜査課へどうぞ。 望月主任からも、キチンと伺っております、です、はい」 気持ちの悪い待遇で、何時も陰口を叩かれる木葉刑事は、無意識に首を掻いた。 大倉副署長に案内されて、三階の会議室に案内される。 新規の新しい警察署の為、東京の郊外と云う割りには、IT企業のオフィスの様で。 「ご苦労様です」 「ご苦労様です」 男女の声がする。 篠田班長が先頭で、年配女性と若い男性の二人に頭を下げて。 「ご丁寧に、警視庁捜査一課の主任をします篠田です」 大倉副署長が間に入る様に。 「まだ新しい警察署の為に、失踪人捜査課は人員が少ないのが現状です。 この二人が、失踪人捜査課に属します。 ベテランの彼女が、金城刑事。 若い彼は、反谷刑事。 二人は去年の年末に、同課設立と共に配属されました。 事件の詳細は、二人が知っています。 どうか、短い期間になりましょうが、お付き合い下さい」 こう言って来る。 だが、副署長から、 “短い期間” とは、どうゆう事か。 大倉副署長が、織田刑事と似た年齢と思しき女性の『金城』《かねしろ》なる刑事に後を託して出て行く。 年配者に見える金城刑事は、背が高くかなり筋骨が立派な女性だ。 それに対して、『反谷』《そりたに》なる刑事は、木葉刑事の様にヒョロヒョロで。 その見てくれは、今時の“僕ちゃん”みたいだ。 金城刑事は、大倉副署長を見送ると。 「わざわざ警視庁より御足労、有り難う御座います。 では、事件発生より此までの経過を説明致しますので、そちらのテーブルの席にどうぞ」 金城刑事の視線が、緊張でガッチガチの反谷刑事に向けられ。 「あぁっ、はい!」 パソコンの在る席に慌てて座る。 さて、事件の発生からこれまでを、大型モニターに映し出された写真や書類情報を合わせて報告される。 捜査一課ながら、事件の内容は失踪扱い。 望月主任の意見ではないが、捜査一課の担当する事件ではない。 処が。 先ず、資料と手帳を出して、ペンを動かす飯田刑事より。 「その車に轢かれたらしい犬だが。 別の場所で轢かれ、発見された場所に遺棄された可能性が高い、って訳ですか?」 犬に“遺棄”とは大袈裟かも知れないが。 動物愛護法も在り、行方不明の祖父と云う人物に関係する可能性も否定は出来ない。 だから、彼は“遺棄”と言った。 金城刑事は、鑑識課より挙がった資料を見て。 「飯田刑事の指摘する可能性は、否定は出来ない・・と在ります。 現在、昏睡状態の犬ですが、発見された場所でも少量の吐血をしていまして。 その犬に行った輸血の量が、発見された現場の血量だけだと少ないと。 医師、鑑識の双方から思われています」 次に、里谷刑事から。 「それで、行方不明のお祖父さんには、消えたり、犯罪に巻き込まれる原因が在ったりするんですか?」 これには、金城刑事が困った表情を浮かべ。 「今の処、その疑いが見えません。 ウチの一課の刑事に由れば、娘を捨てた母親同様に。 祖父も、年をとってからの子育てが嫌に成ったのでは・・との意見が」 八橋刑事は、それが引っ掛かった。 「あ~~~、じゃその娘さんって、かなり面倒な女の子とか?」 「それは・・・どうでしょうか。 私も、娘が二人居る母親ですが。 同年代の女の子として、ちょっと思い込みが在ったり。 思春期特有の“取っ付きにくさ”みたいな処は普通かと。 漫画家を目指してクラブに所属していますが、後輩の面倒も見るお姉さん的な性格で。 いい加減な男子生徒には煩いですが、周りからは信頼されているみたいです」 「じゃ、その女の子がどうこうの失踪・・と云う訳では無さそうですね」 此処で、金城刑事が頷く。 「残された静穂さんは、両親の身勝手な行為で心理的な傷を抱えています。 彼女を引き取った祖父母は、彼女を10才の頃から引き取り育てて来ました。 頭も良いらしく、大学に進学も決めて。 消えた祖父が、郵便貯金の学資保険で500万の積み立ても手付かずに残ります。 また、年金と自宅の畑で、基本的な生活水準も最低限より上です」 織田刑事より。 「今の年金で、二人にしても学校に行く子供を抱えて、生活が普通水準なの?」 「はい。 失踪した嘉山さんは、元は銀行員でして。 大手銀行の都内支店長をしていました」 「あらら、退職金だけで家と車がワンセットで買えるわ」 「今の住まいや車は、その資金で購入した模様です」 すると、座っていた反谷刑事より。 「あ、あの…。 本日は、何処にお泊まりに成られますか? ホテルを何部屋取れば…」 不思議な話が上がり、里谷刑事が。 「もしかして、先日に此方で起こった通り魔殺人事件で、警察署の何処にも休むスペースが無いとか」 すると、反谷刑事は非常に困った様な表情を金城刑事に向ける。 年配に見える金城刑事は、口を濁しても始まらないと。 「はぁ…。 実は、今回の捜査一課の皆さんが派遣されたのは、SNSで静穂さんが叫んだ為に。 民放のニュース番組で取り上げられて、一般の住民からのバッシングが激しく為ったからで在り。 また、静穂さんの亡くなった祖母に当たる静代さんは、第46期の勅使川原警察庁長官の妹に成ります。 警察庁も、警視庁も、畑違いの捜査一課の皆さんを派遣したのは、事件を捜査した・・と云う形作りの為と思われます。 ですから、ウチの署長や副署長から致しますと、皆さんは遊びに来られた御客様と変わりません」 意味が解るや、眼を細めた織田刑事。 「キャリアコースの経験を得るのに、都内や神奈川県内の署長席は安定席だもんね。 捜査した形作りの期間、アタシ達に不自由をさせて上の心証を悪くしたく無いって訳ね。 命令したのが警視総監って事は、その依頼をしたのはもしかすると、警察庁の誰かだわ」 だが、馬鹿馬鹿しいと思う飯田刑事。 「何が“形作り”だ。 現に人一人が居なくなり、犬が車に轢かれていて、保護者を亡くした娘さんが居る。 これが事件なら失踪人の遺体が見付かるなりに、警察への威信が無くなるぞ」 其処で、黙っていた木葉刑事が。 「ならば、先ずは……どうします? 現場を視ますか? それとも、失踪人の家に行ってみますか?」 だが、外を見て八橋刑事が。 「先輩、外は雪ですよ」 「それじゃ、飯田さんには電車で帰って貰って。 我々と所轄の刑事さんが本庁から来た車二台で、失踪人の家に行きましょうか」 木葉刑事から一方的に決められて、ムッとする飯田刑事。 「木葉、なんだそりゃ」 「とにかく、早く娘さんと奥さんからチョコを貰って下さいよ。 そのイライラを無くしてから、捜査に集中して下さい」 本日、飯田刑事の虫の居所が悪いのは、皆が承知していた。 里谷刑事も。 「言えてる~」 織田刑事は、家庭を持つだけに。 「今のうち、今のうち。 何れ、父親がウザくなるのよ」 仲間に言われては、飯田刑事も居心地が悪い。 「定時で上がる。 それまでは…」 其処で、壁に掛かった時計を見る木葉刑事。 「待機番の日勤は、9時ー5時が定時ッス」 同じく見る織田刑事が。 「残り15分なんて、TVの特撮ヒーローの戦闘シーンだわ。 どっちに行くだけでも、片道で過ぎるよ」 其処にノックがされると、ドアが開いた。 振り返る刑事達が入って来た人物を見るなりに、篠田班長が立ち上がる。 「これは、一課長。 それに、小山内理事官と、郷田管理官」 捜査本部に派遣される警視庁捜査一課の三役が、揃って現れた。 ビックリした金城刑事も敬礼。 慌てて椅子を後に倒して立ち上がる反谷刑事も、ぎこちない敬礼を。 さて、突如現れた木田一課長だが、その表情は事件捜査に臨むそのもので在り。 「皆、事件の概要となる流れの説明は受けたな」 篠田班長が。 「今、此方の御二人から」 頷いた木田一課長。 「この事件も、下の会議室で殺人事件を担当する郷田管理官と小山内理事官が対処する。 捜査本部はこの会議室だが、下に居る進藤主任が鑑識作業を兼任する。 御飾りの捜査だが、実は遊びじゃないぞ」 元よりそのつもりの篠田班、頷くだけで終える。 次の捜査本部に向かう木田一課長は、 「木葉。 警視総監、刑事部長より御指名だ。 短い期間の派遣だが、次に繋げろよ」 と、言って来るではないか。 敬礼をする木葉刑事で。 「解ってまぁ~す」 薄く笑った木田一課長が出て行くと、任された郷田管理官が。 「宿の話は聞いた? 特別に、取ってくれるみたいよ」 里谷刑事は、呆れたとばかりに。 「それこそ、税金の無駄じゃないですか? それなら、夕飯の弁当の質を上げてください」 笑う篠田班長や皆。 同じく笑った小山内理事官が。 「ちょっと畑違いの捜査だが、頼むよ皆さん」 こんな話で、夕方の5時を回る。 不貞腐れる飯田刑事をオン出した木葉刑事達は、車二台に別れて失踪人の家に。 もう外は薄暗く、雪が舞う。 一台目には、案内をする金城刑事と反谷刑事が乗り。 運転を里谷刑事がして、八橋刑事も一緒に。 だが、二台目には。 警察署前に、進藤鑑識員が居て。 「鴫ちゃん、木葉ちゃんを頼むよ」 「進藤主任殿、心得て居りまする」 木葉刑事の運転で、織田刑事と鴫鑑識員が同乗する。 助手席に座る織田刑事。 「また雪だ。 やだやだ、子供が休みに成るよ」 鑑識員が必要とする一切の道具が入る専用のトランクを持ち、後部座席に座る鴫鑑識員が。 「じゃが、織田殿。 事故に遭われても面倒じゃ。 然も、雨や雪の満員電車は、痴漢も多いぞな」 ルックスの凡てが素晴らしい鴫鑑識員だ。 高校生の時でも、確かに痴漢から狙われて居そうで在る。 「アタシの子供は、鴫ほど見た目が立派じゃないよ。 大体、勉強が遅れたら困る。 家で自習が出来るタイプじゃない」 先月は、例のインフルエンザで入院していた鴫鑑識員だが。 すっかり元気に成った彼女。 「処で、唯一の保護者を失った女子(おなご)は、大丈夫であろうか。 もう半月以上も経過している故、心配も一入だろうの」 織田刑事が頷き。 「警察に対する不信感も、相当に高まってるかもね。 あ~~~、やだやだよ。 他人の尻拭いはサ」 運転する木葉刑事は、ナビより案内を聞きながら。 「ですが、失踪人の毎日の散歩コースに、目撃者が全く居ないのは困りましたね。 大体、犬の轢かれた痕跡が散歩コースに無いなんて、どうしたんだろう」 同じ意見の織田刑事も。 「別の場所で事件が起こったとして、何で失踪した老人がそっちに行ったかだよ」 雪の中で、向かったのは日ノ出町でも、“あきる野市”側に行った場所の一軒家。 2階建ての家で、狭い敷地に建てた家では無い。 豪邸と云うと格好つけすぎだが、一家で二世帯ぐらいは住めそうだ。 家の北側には、うっすら雪を被る畑が在る。 先に敷地へ入った金城刑事は、玄関に入って声を掛けた。 流石に、普通車両が悠々二台も入る庭ではない。 シャッターの無いガレージに車を入れた木葉刑事は、 「では、御迷惑を掛けに行きますか」 と、シートベルトを外した。 降りた織田刑事は、ガンガン降る雪の空を眺め。 「はぁ~、寒い寒い。 年を取る度に、寒さが身に凍みるよ」 木葉刑事は、田舎を思い出し。 「炬燵にミカンが在れば、まぁ~御の字です。 灯油ストーブで湯を沸かせば、お茶も飲める」 並ぶ鴫鑑識員より。 「木葉殿の幼き頃の、日常のひとこまかえ?」 「まぁ、家族団欒ってヤツですかね」 然し実際は、木葉刑事の若い頃など、その当たり前の日常も夢物語。 人権が半ば無い居候の身に加え、古い家の為。 竈の在る土間の床板で寝ていた。 与えられていたのは、掛け布団と敷布団一組のみで。 今の人が見たら腰を抜かすかも知れない。 冬になれば、外はマイナス何度の世界だし。 古い家屋部分だから、竈の熱など窓の隙間から抜けて行くのだから。 織田刑事を先頭に、家の方に回って庭の中に入り。 傘を差す里谷刑事に合流すると。 「一足先に例の彼女が丁度、学校から帰ったみたいよ」 寒がる八橋刑事だが、木葉刑事は大した事も無さそうに。 「空気が乾燥してないだけいいよ」 スーツの上よりコートを羽織る刑事達だが、木葉刑事のコートは一番に薄い。 里谷刑事や織田刑事は、ストールタイプのマフラーに、手袋もガッチリ装備である。 鴫鑑識員とて、制服の下は厚着をしていた。 待っていた木葉刑事の方に、金城刑事が玄関から現れて。 「いいそうです」 と、言ってきた。 「早くしましょう~」 寒いから、八橋刑事が言う。 が、灯りの点いた玄関に近寄った時だ。 「ストップ」 木葉刑事が皆を止める。 織田刑事が進もうとした先の地面に、何か靄みたいな欲望の残り香らしきものを感じる。 この家の敷地内にして、異質な気配だからと思わず止めたのだ。 織田刑事は、自分の前に木葉刑事が腕を伸ばしたから尋ねる。 「木葉、どうしたい?」 だが、皆を止めた木葉刑事は、玄関前の石材の足場の手前となる地面を指差し。 「金城さん、静穂さんを呼んで下さい」 こう言った後に、 「我々は、全員が革靴です。 金城さんも、底が少し狭いが女性物の靴だ。 ですが、この足跡は・・ゴム製の長靴みたいです」 と、玄関前の土に指を向けた。 玄関に明かりが点くとはいえ薄暗い。 見難いと思う里谷刑事は、其処に屈みながらペンライトで照らす。 「あ、ホントだ。 然も、足のサイズ・・なんか大きそう」 既にトランクを置いて開く鴫鑑識員で。 「マーカーを置きまするぞ」 と、番号の入った三角のマーカーを置いた。 其処へ、 「何ですか」 少しぶっきらぼうで、不満気な印象を孕んだ女性の声がする。 現れたのは、セミロングヘアの女性だ。 女性と少女の境目に居る、なかなかスッキリした顔で在る。 木葉刑事は、彼女を見返すと。 「御伺いしますが、この靴跡は貴女のものですか?」 「はい?」 怪訝な顔をした彼女は、白いセーターに長いスカート姿。 木葉刑事を訝しみながら玄関先に来て。 里谷刑事がペンライトで照らす足跡を見ると 「・・私のじゃ在りません。 私のは、少し履き慣れたスニーカーですから…」 「昨日や今日、此方を尋ねた来客は?」 「居ません」 「でも、塀の中に、この庭へ他人は入れますよね?」 「いえ。 お客さんなら塀の外のインターホンを押して、私があの折り畳み式の仕切りを開けないと中には…」 言うに従い、彼女も異変に気付く。 「うそっ、泥棒?」 驚く彼女へ、木葉刑事は近付くと。 「あ、待った。 先ず、玄関の中を見せて下さい」 と、一緒に玄関内へ。 「スミマセンが、まだ上がらないで下さい」 玄関に彼女を入れた木葉刑事は、鴫鑑識員を呼んで。 二人して玄関の床をライトで見る。 「鴫さん、このうっすら残る足跡…」 見る鴫鑑識員も。 「まだ跡が残る様子からして、本日の様じゃ」 異変を察した織田刑事が。 「木葉、鑑識を呼ぶよ」 片手で了承した木葉刑事は、廊下を観察する。 フローリング調の廊下は、幅が凡そ一間半(2.5メートル)前後。 幅広い廊下は、真っ直ぐに伸びる。 廊下に上がって、先ずは左手に障子戸。 右側には、風呂場らしき場所の仕切り扉。 その先に3メートルほど行くと、左手に2階へ行く階段が在る。 静穂を見返す木葉刑事は、 「貴女は夕方に帰って来てから、左側の部屋にしか行ってませんか?」 と、明かりで色が薄まる障子戸を示す。 「あ、はい。 帰って来たばかりなので…」 「この廊下の先。 階段を越えた先には、何方の部屋が?」 「廊下の先は、階段裏の左側の襖戸の中が祖父の部屋です。 その反対で右側の襖の中は、書斎の和室でしたが。 今は、亡くなった祖母の仏壇が在ります」 まだ、何か疑っている節は在るが、異変も察してか答えてくれた彼女。 頷いた木葉刑事は、 「鴫さん、手袋を」 自身の手袋は持っているのに…。 然し、問わずに鴫鑑識員がゴム手袋を出せば。 「ありがとう」 言いながら静穂に差し出す木葉刑事。 「これを着けて、この鴫さんと金城刑事を伴って、廊下より右側の貴女が入った部屋だけを見回って下さい」 「はい?」 「もし、泥棒に侵入されたならば、何かが触られているかも知れない」 「あ・・、もしかしたら祖父の事と関係が?」 「はい。 ですが、落ち着いて、鴫さんの話に従って下さい。 侵入者の残した痕跡を消さない為にも」 木葉刑事と見合う静穂は、手袋を握り締める。 だが、木葉刑事は振り返ると。 「里谷さん、八橋君、寒いけど外に行こうか」 二人は、何をすべきか解って居る。 「聴き込みね」 「了解。 いきなり急展開だぁ~」 外に出て行く木葉刑事達。 それを見送る金城刑事が。 「捜査一課は捜査一課でも、警視庁の刑事さんは違う…」 穏やかに微笑む鴫鑑識員で、静穂に向かうと。 「では、妾を案内してたもれ。 落ち着いて、何かが違えば教えてくれれば良い」 少しトーンの低い、だがハスキーとはまた違う大人びた女性の声をする鴫鑑識員。 TVで見る刑事ドラマみたいな展開に、静穂はまるで違う世界に飛び込んだ気になった。 さて、夜の10時を回る頃。 「では、本日は金城さんと一緒に泊まって下さい。 万が一、不審者が戻って来ても困るので」 木葉刑事が、日ノ出町内のホテルへと、静穂と金城刑事と反谷刑事を送った。 郷田管理官の指示である。 やはり嘉山宅には、確かに侵入された形跡が有った。 然も、祖父の部屋と祖母の仏壇の在る部屋は、パッと見て直ぐに解る位に荒らされていた。 静穂の部屋や居間も、誰かがナニかを粗く捜し回った形跡が在ったのだ。 ま、その誰かは流石に用心してか、手袋をして探した様で在る。 然し、長く履き続けた靴を脱いで廊下に上がった様だ。 温度差で生じた湿気で、足跡が幾つかしっかり残っていた。 更に、その侵入者は家捜しをしていた最中、唾液を垂らした様なのだ。 後から来た進藤鑑識員が発見し、回収していた。 また、木葉刑事が仏壇の上で、粗野に外された祖母の遺影の一部に挟み込まれた、ミクロSDカードを発見する。 流石に、銀行員で支店長までやった人物だ。 データを静穂の助けを借りて八橋刑事が開けば、静穂と祖父しか知らないワードを使ってブロックを掛けたファイルが幾つか見つかった。 今まで警察署にて、そのブロックを解く作業をしていた彼女だが。 もう夜も遅く、明日も学校が在る為にホテルへ。 捜査一課の刑事に使われる予定だった税金の無駄は、こうして有効活用された訳だが。 日ノ出署では、忙しい鑑識課を見ていた所轄の刑事達が居る。 あの、少女一人が騒いでいるだけで、これは単なる失踪事件と考えていた刑事達。 一課が来て初日に新展開が起こり、自分達の体裁が悪くなるから困っていた。 夜10時半を回る頃。 警察署に戻った木葉刑事は、鑑識課を訪ねる。 「よ、木葉ちゃん。 またまた、お手柄かもよ」 雪に濡れた髪をそのままに、進藤鑑識員の脇に来た木葉刑事。 「進藤さん。 あのミクロSDの中身って、データって言ってましたよね?」 「うん。 恐らく、何かの文章をデータとして置き換えてる」 「うわっ、アナログ人間の自分には、ちょっとムズい話だ」 「でも、市販の変換ソフトだから、明日の昼までには解るよ」 「でも、初日にいきなり侵入者とは」 その木葉刑事の話に、進藤鑑識員は目を細め。 「いんや、木葉ちゃん。 あの家、以前にも誰かに侵入されてる」 「へ?」 「現場でちょっと見ただけだけど。 洗って使われて無い筈の湯飲みに、あの娘さんでも、祖父のものでも無い指紋が有った」 「じゃ、場違いな台所から湯飲みを押収したのは、その為ですか」 「鴫が気付いた。 彼女のグラスや湯飲みの置き方には、ちゃんとしたパターンが在るのに、その湯飲みだけ外れてるって…」 「さ~すが、鴫さんだ」 此処で、奥から鴫鑑識員が来る。 「あの薄暗い雪の中で、足跡を発見された木葉殿の彗眼には敵いませぬ。 あれが、妾に運をもたらしましたわぇ」 二人の相性はバッチリと思う進藤鑑識員は、 「木葉ちゃん、鴫と結婚でもして鑑識課に来てくれない?」 と、拝んで来る。 そんな事は畏れ多すぎる、と困る木葉刑事だ。 「進藤さん、窓際刑事に何を…」 一方、何も言わない鴫鑑識員だが。 木葉刑事の後ろに立つ彼女を見た進藤鑑識員は、普段では有り得ない程に甘く微笑む彼女を見る。 (鴫の心は、完全に木葉ちゃんに向いてるよ。 口説いたら、その夜に抱けちゃうね) だが、木葉刑事の顔がミクロSDに向くと。 (強い念を感じる。 でも、まだ死んだ人の念じゃ無い様な…) 望は断たれて無い気がするのだった。 雪が降る夜は静けさが勝る。 深々と、都内に雪が降った。
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